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眠れる竜の寓話  作者: みえさん。
第六章 安寧の足もと
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10

 アスカは常勝王という号を持つ。

 出た戦で負けを知らない竜なのだ。くちさがない者は勝てる戦にしか出ていない等と言うが、その強さはシェンリィスも知っている。けれど、目の前の短槍の異常さに驚く。

 恐らく一瞬だ。

 苦しむ間も無く一瞬で死ねる。人の姿よりも丈夫な竜の姿をとったとしても、一瞬で決着が付くだろう。

 昔、アグラムに聞いた事を思い出す。

 黒翔歴32年真銀の月、アソニアで大きな暴動があった。アスカ王は人の姿のまま短槍一本で大将を討ち取り、平定してしまったという。当時王のいない時代が長く続き、王の居ないことに人々は慣れきっていた。故に新しく立った王が掲げる新たなる秩序に反発した者も多い。王はまだ若く竜王になったのもただの幸運とさえ囁かれた程だったという。幼い弱い竜に従うよりも混沌を望む者達が集まり暴動となった。だが、竜の姿になるまでもなく一瞬で戦いを終わらせた竜王はその後常勝王として名を轟かせることになる。

 アグラムの兄はその暴動で命を落としている。近くで見ていたアグラムの話によれば防戦一方だった竜王が不意に攻撃に転じ、短槍は急所を貫いたという。その一撃でアグラムの兄は倒れ、他の竜たちもほぼ一撃で倒れていったという。

 圧倒される強さの王に血の気の多いアソニアの竜たちも静かに頭を垂れずにいられなかったという。

 その時の短槍はこの槍ではないのだろうか。

(……だとしたら無謀過ぎるよ、アグラム)

 黒鋼の短槍を見つめながらシェンリィスは心の中で友人を罵った。

 アグラムは兄が殺された後、単身で竜王を討ち取ろうとコラルの城に忍び込んでいる。これを見せつけられては、それがいかに無謀な事か子どもでも分かるはずだ。

 怖い。

 強さに対し畏怖する事は勿論あった。けれど、今のアスカの強さは純粋に怖い。殺すつもりでいかなければ勝てない相手である上に、持つ武器の魔力の尋常ではない量に本能的な生への執着が蘇ってくる。

 頭で考えるより身体が危険を察知し逃げようとする。

 けれど、呪の掛かった身体は恐怖で更に重くなり動かない。

「……う……ぁ……」

 小さくうめき声を上げるがアスカはそれを意に返すことなく、ゆっくりとした動作で短槍を天にかざしシェンリィスに向かって構える。

「その命、貰い受ける」

「……っんの、ざけんなジジイっっ!!」

 辺りに咆吼が響き渡る。

 アスカは軽く上体を反らした。刹那、真上から何かが落ちてくる。

 見覚えのある赤。

 よく見知った翼。

 鋭く変化した彼の爪が、アスカの目の前の空間を切り裂いていた。

「攻撃を仕掛ける前に口上を述べるべきじゃないのかね、アグラム」

 涼しい口調でアスカが言うと、アグラムが鋭く彼に斬り込む。

「うるせぇよ、ジジイ! てめぇの獲物が目の前で他の奴に狩られそうになっている時にいちいち口上なんか垂れてられるかよっ!」

 アスカは短槍を使って軽くアグラムの攻撃を受け流しながら後退していく。

「おやおや、いつからシェンリィスは御主のものになったのかね?」

「この世に生を受ける前からだ。てめぇのリトだろうが関係ねぇんだよ。……こいつは、俺が殺す。俺の獲物だ。俺以外の誰かに殺されてたまるか」

「雌雄なればこの上のない求愛文句じゃのう」

 涼しい顔で揶揄され、アグラムは激昂する。

「うるせぇ! 俺が来ること承知で下手な芝居打ちやがったな! 死ね! 今日こそてめぇぶっ殺してやるっ!」

「殺される趣味はないと何度申せば気が済むのじゃ? ほれ、人の姿の御主はいつもここが甘い」

 足元を掬われそうになり、アグラムは一瞬攻撃の手を緩める。瞬間、隙を見つけたアスカがアグラムの腹部めがけて蹴りを入れた。

「っ!」

 すぐに防御の姿勢をとったものの、強かに蹴り飛ばされアグラムは後方へ飛ばされる。防御の姿勢のまま地面を滑るように彼はシェンリィスの少し手前で止まった。

 仏頂面でアスカを睨み付けるが、それ以上攻撃に転ずる事はなかった。

「わしは本気じゃったよ」

「なお悪いっ」

 アグラムが低く唸る。

「……竜王がてめぇ自身の手で右の翼を殺したとなったら大事になるだろ。こいつがジジイに襲いかかったなんて噂も歓迎は出来ねぇな。そういう短気起こすのは俺の役目だろうが」

「アグラムも随分と政略的な考え方が染みついて来たのう」

 くすくすとアスカが笑うと、アグラムは気に入らなそうに顔を顰めた。

 殺し合いが好きで獰猛で手に負えない獣。今は飼い慣らしている竜王もいずれ手を噛まれるのではないかとさえ噂に上るような男。血を好む性質は確かに本当なのだろう。けれど、それだけの男ではない。彼に近い人ほどそれを理解している。

「これを使えば苦しまず、身体すら残らず消滅するであろう? シェンリィスを死なせてやるには最上の策と思うが」

「……ジジイ、ここで‘それ’を使う気なのかよ?」

「使わないのには越したことはないが、ここまで思い詰めさせたのもわしが原因じゃろう」

 嫌悪感を示すようにアグラムが厳しい表情を浮かべる。

「いいから戻せよ。反則だろ、それ」

 軽く溜息を付き、竜王は言われるがままに短槍を元の髪飾りの形に戻す。

「命令されるような立場にはないのじゃが。……まぁ、御主が止めに入るのを期待しなかった訳ではないが」

「結局それじゃねぇか」

 髪飾りを器用な手つきで戻しながら、小さく呟かれた言葉をアグラムは聞き逃しはしなかった。

 舌打ちをして、シェンリィスに向き直る。

「てめぇもてめぇだ! 何ヤケ起こしてんだよっ! そんなために俺はお前に話した訳じゃねぇ。……大体、お前を倒すのも殺すのも俺だって言ってるだろ」

「………に……?」

「声が小せぇよ」

「……本当に、僕のこと殺してくれるの?」

 涙で声が歪む。

 見上げると、苛立った表情の彼がシェンリィスの肩を蹴り飛ばす。衝撃で倒れ込んだ胸元に更に重圧が掛かる。

 彼の膝が、自分を地面に縫いつけるように強く押さえ込む。

「何だその顔は」

「……っ」

 痛みで小さく息が漏れる。

 それでも彼はただ獰猛に笑い、シェンリィスを見下ろす。

「凶暴で凶悪で、首を撥ねても喰らいついてきそうな勢いはどうした? 俺をあんまり失望させんじゃねぇぞ」

「……アグ……ラム、痛………」

「ジジイに甘えて、殺されて、それで満足するようなタマじゃねぇだろうが」

「やめ……」

 首を絞められているかのように息が苦しい。

 アスカとの戦闘に加えて、赤妃の呪にかかり、身体が思うように動かない。

「……てめぇは俺と同じ側の性質なんだよ。血や戦いに餓えて、うずうずしてるのがお前じゃねぇか。まだまだ足りねぇはずだ。てめぇの奥底に眠る禍々しい程に悪辣な力もまだまだ出し切ってねぇはずだぜ?」

 ふつり、と怒りが生まれる。

 勝手に自分に執着して、勝手に自分のことを決めつけて、誰よりも自分のことを理解した風の友人に苛立つ。

 何より、彼の言葉を否定しきれないのが苛立つ。

「死ぬなら存分に殺り合った後だろう? なぁ、こんな所で沈んで終わりなんて楽しくねぇ。……俺を興奮させてみせろよ、シェンリィス」

「……………っ、痛いって……言ってるだろっ!」

 叫んでアグラムの足首を掴むと渾身の力で彼を押し上げる。勢いで後方にのけぞって転びそうになるが、彼は片手を付いて転倒を回避する。反動で大きく跳ね上がり間合いを取る。

 起きあがり、シェンリィスは剣を掴む。

 身体が重い。

 けれど、軽い。

「君みたいな奴と僕を勝手に同類にしないでよ。……戦いに餓えてるのは君だけでしょ。僕に相手にして欲しいならそう口で言えばいいのに」

 挑発するように剣先を向けながら言う。

 地面に降りたって愉悦に浸ったような笑みを浮かべ、彼が低く唸る。

「……上等っ!」

「二人とも止めぬかっ」

 鋭く叫ばれ、アグラムもシェンリィスもそのままの体勢で静止する。そして、シェンリィスは自分の血の気が引いていくのを感じた。

「陛……下」

「御主らは放っておくとすぐにケンカを始める。仲が良いのは良いが、訓練以外での私闘は禁じたはずじゃが?」

「はっ、今回に限ってはジジイも原因だろうが。てめぇのこと棚に上げて人に説教垂れてんじゃねぇよ。つか、仲がいいって誰と誰がだよ」

 いつもと変わらぬ様子でアグラムはアスカに悪態を付く。

 シェンリィスは俯く。

「……申し訳ありません、陛下。僕は……その」

「思い詰める前に年長者に相談せぬか、馬鹿者」

「はい……すみません……」

「いくら御主とてわしに剣を向けた以上、罰せぬ訳にはいかぬ」

 当然だ、と頷いて見せる。

「分かっています」

「おい、ジジイ。何でそう言う話になるんだよ。口外するような顔ぶれじゃねぇだろうが。大体……」

「アグラムは黙りなさい」

「………」

 有無を言わさない口調で言われ、アグラムはぐっと言葉を飲み込んだ。身分など気にせず悪態ばかり付くアグラムだが、この王を敬愛していない訳ではない。

 剣を向けた自分が言えることではないが、自分も誰よりも敬愛している。

「シェンリィス」

「……はい」

「生きなさい。わしがいない未来でも、御主が自ら命を絶つことだけは許さぬ。……それが御主にとって一番辛い罰則になるのじゃろう」

「陛下……」

「返事は?」

 呪縛のような命令。

 尊敬しているから、自分が引き起こした自体を後悔しているから、頷かない訳にはいかない。

「………あなたの、ご命令通りに」

 絞り出すように答えぐっと拳に力を入れる。

 結局何も出来なかった。アスカを救う事も、自分を救うことも。迷惑だけ掛けただけで、自分は何も出来なかった。

 後悔と自己嫌悪が自分の中に渦巻く。

 それでもそんなことは些細な事であったと後で気付かされることになる。その先の未来で、自分が行った裏切りに比べればその時の後悔や嫌悪感は吹けば飛びそうな軽いものでしかない。

 それに気付くのはまだ先の話である。


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