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眠れる竜の寓話  作者: みえさん。
第六章 安寧の足もと
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9

「ごめんなさい、少し効きすぎたみたい」

 赤妃はそっとシェンリィスの頬に触れる。

(……あ……れ?)

 先刻は全くの別人に見えた。

 けれど自分を心配そうに見つめる彼女は紛れもなく赤妃だった。いつもの優しく、どこか儚げな赤髪の人。瞳もいつものように、綺麗な翠の瞳に戻っていた。

「赤妃……さま……どうして」

 彼女はどこか泣き出しそうな顔で笑う。

「貴方も、アスカも死なせる訳にはいかないから……」

「シィナっ」

 槍を脇に抱えながらアスカが小走りに近づいてくる。

 ぐらり、と赤妃の上体が揺れる。シェンリィスは慌てて彼女を支えようと剣を手放し、鉛のように重い身体を動かす。

 間に合わないと思った瞬間、アスカの腕が彼女を受け止めた。

「……っ、その身で狭間を渡ったのか?」

「ごめんなさい、異変に気付いたのが遅くて、他に手段が思いつかなかったの」

 その言葉にシェンリィスは蒼白になる。

 狭間を渡る。

 それは非常に危険な術だ。

 場所を移動する為の魔法はいくつか種類がある。大きく分けて魔法で加速し高速移動をするものと、時の狭間と呼ばれる場所を介在して移動する方法とがある。どちらのもそれぞれ危険は伴うが、時の狭間を介在する方法は一度全てを分解した上で再構築する方法であるため危険であり、負担も大きい。失敗すれば時空の狭間に取り残されたり、渡った先で五体満足では居られない場合がある。まして赤妃のお腹の中に子どもがいるとなればもっと危険なことだろう。

 普通であれば少しでも安全にするために、入り口と出口に魔法陣を描いたり、他人の力を借りて渡るものだ。

 けれど、先刻の赤妃にはその兆候が見られなかった。

 魔法の変動も魔法陣が宙に描かれることもない。その身だけで狭間に入り、抜け出てきたと言うことなのだ。

 いくら精霊王の片側でも無茶が過ぎる。

「何という無茶を」

「大丈夫よ、みんなが色々助けてくれたもの」

『君の身に何かあったら、どうするつもりだったんだっ』

 彼の口を付いて出たのは抑揚の少ない‘ニホンゴ’という言語だ。アスカは日本で暮らしていた十倍以上の時間をこちらの世界で生きているが、それでもまだ時折ニホンゴを使う。魔法が絡まない言葉なのだとアスカが話したのを覚えている。その意味は分からないけれど、ずっと近くにいるのだから、内容を少しは理解が出来る。それでも暗号のような言葉の全ては理解出来ない。ただ、悲痛な声から、赤妃の身を案じる言葉なのだと分かった。

 肩を抱き、アスカは片手で額を覆うバンダナを外すと赤妃の額に近づけた。

 見てはいけないもののような気がして、シェンリィスは視線を逸らす。

「……良かった……本当に、大丈夫のようじゃの」

 僅かに光を感じた後、アスカがほっとしたように呟く。

 遠慮がちに視線を戻すと、アスカは赤妃の髪を撫で愛おしそうにこめかみに口づけをした。いくら夫婦であっても普段竜が人前でしない行為に驚き、シェンリィスは真っ赤になる。身体が重いのも手伝ってそのまま尻餅を付く形になった。赤妃が精霊であるなら、その行為は本人達にとって大した事のない事なのだろうが、角に口づけをしているように見えて淫靡に映る。

 もう一度視線を逸らした先に、転がった剣が見えた。

 手を伸ばし掛け、視界が歪む。

「……」

 こんな時に泣いている場合じゃない。二人の為にもこうすることが正しいはずなのに、全身がそれを拒んでいるように感じた。

 いくら竜王の為でも、そのために竜王を傷つけるなんて、やはり自分には出来ない。

 優しい笑顔の記憶が、伸ばされた温かい手のひらの記憶が、弱くどうしようもない自分を受け入れ泣いてくれた記憶が、全て邪魔をする。

「……アグラムから、私のことを聞いたのでしょう? シェンリィス」

 少し落ち着いたのか、赤妃はアスカに肩を抱かれたまま立ち上がり、自分を見下ろしていた。見上げようとしたが、顔を見ることが出来ない。赤妃の顔も、アスカの顔も。

「………」

「あの子は運命から私だけでも助けようと、貴方に力を貸して欲しいって言ったのではないかしら」

「……」

 その通りだ。でも、答えられない。

 長い間隠し続け、最後の今頃になってようやく真実を明かしてくれた親友の為に答える事は出来なかった。

「でも、貴方は、アスカを諦められなかったのね」

「……」

「確かに貴方のリトの力を使って瀕死の状態のアスカからであれば王の力を奪うことは出来たかもしれない。……いいえ、恐らく本当に出来るでしょうね。リトは王の影のようなものだから、繋がりの深い分、魂の上で同一の存在にも成り得る。でも、それじゃあ駄目なの」

「シィナ、それは……」

 咎めるというほど強い口調ではないが、アスカは赤妃の言葉を遮ろうとする。赤妃の胸元の髪が左右に揺れる。

「私たちには制約で話すことが出来ない事柄が多いけど、言えることは沢山ある。……貴方はアスカと成り代わっては駄目。やるというなら私が命がけで止めるわ」

「……っ」

 赤妃は恐らく本当にそうするだろう。今やったように、アスカを守るためなら手段を選ぶつもりはないのだろう。そしてシェンリィスはこの戦いを知らない赤妃に剣を向けることは出来ない。元は精霊王だと知ればなおのことだ。

「……何も話せなくてごめんなさい。私たちにはアグラムに気付かせる事も綱渡りのような事だった。リトである貴方にそれ以上の負担を強いることもしたくなかった。中途半端な形で知ってしまった貴方がこんな行動に出るのは分かり切っていたこと。でも……それでも、真実を教えることは出来ない。……貴方とアスカが入れ替わることも貴方が死ぬのも駄目。それだけは覚えておいて」

「……どうして」

 それは答えられない事に対しての答えを求めた問い掛けではない。

 話せない、制約、その言葉でおおよその見当は付く。問われた所で彼らは話せないと答えるしかないだろう。

 ただ、どうしてこうなってしまったのだろうと思う。

「陛下も、赤妃様も、もっと、幸せになって良いはずなのに……どうして」

「なれば御主はどうなのじゃ?」

 シェンリィスはようやく彼を見上げる。

「御主はどうしていつも幸せになるものの勘定に自分を入れない?」

 怒っている訳でもないのに、アスカの顔を見るのが怖い。

 シェンリィスは目線を逸らす。

「僕は……いいんです」

「生まれてきた以上、幸せになる権利があるとわしは思う。……御主自ら放棄してどうする?」

「僕はいいんですっ! 貴方さえいれば、それで……!」

 言葉は一度吐き出すと厄介だ。

 あとから後から止めどなく湧き出てくる。

 こんなの八つ当たりか言いがかりのようなものだ。この人には関係のないのに、止めることは出来ない。

「僕の幸せは貴方と共にあることです。あなたが居なくなってしまったら、僕は、立っている事すら出来ない……っ」

 夢の中でアァクに、アスカは死なないけれど、王としてこの世界に居られなくなる時が来る。そう聞いた時、冗談じゃないと思った。

 アグラムから子細を聞いた時、夢はただの夢ではないことを確信して冗談じゃないと思った。

 リトは王が死ねばその死に寄り添うように死ぬ。

 初めてその事実を知った時から、嫌だと思った事はない。むしろ嬉しかった。死が怖くない訳じゃない。けれど、王を失うことの方がずっと怖い。だから寄り添って死ねるのであれば自分にとって本望だ。きっと王のために出来ることをやり尽くした瞬間だ。その満足な気持ちのまま死ねるのだからリトにとってこの上のないことなのだ。

 けれど、死ねない。

「貴方が僕の目の前から消えても、僕は死ぬことが出来ない。それが、怖いんです! ……貴方だって、知っているはずです。分かっているはずですっ! だから僕にあんなことを言いに来た……」

 レシエと一緒になるようにと。

 自分の不安定さをしっているから、アスカは自分に変わる生きる理由を与えようとした。

「でも、レシエじゃ貴方の代わりになんかならない。アグラムでも、ハイノでも、ノアでも、あなたを失う喪失感を埋められない……っ」

 アグラムも、ノアも、迷って最終的に赤妃だけでも助ける道を選ぼうとした。

 けれど、シェンリィスには選べない。

 王を失っても生きているという事の意味がリトではない彼らには理解が出来ないだろう。だから、危険と分かっていても、アスカを傷つけても、守れる道を選ぶしかなかった。

 自分が王となり、アスカを解放する道を。

「貴方を助けたかったのは僕の為です。貴方の為じゃない」

 夢の中のアァクが言ったように、自分は自分で命を絶つのだろうと思う。この人を失った痛みに絶えられず、この人に刃を向けながらも結局助けられなかったという無念さからきっと命を絶つ。

 容易に想像が付く未来だ。

「シェンリィス」

「……」

「どうすれば御主を助けられる?」

「……殺して下さい」

 自分勝手な要求だ。分かっていても口から滑り落ちる。楽になりたいから。楽にして欲しいから。

「どちらにしても、貴方に刃を向けた以上、僕を処罰しないわけにはいかないでしょう? 貴方が近い未来に王で居られなくなるなら、リトである僕はもう必要ありません。だから、支障はないはずです」

「困った願いじゃのう。……叶えてやれぬ願いではないが」

「アスカ、駄目よ。シェンリィスは……」

 慌てる赤妃に対し、アスカは首を振る。

「これも致し方ない事じゃ」

 言うと彼は赤妃を軽々抱き上げ、シェンリィスから離れた場所まで運ぶと、優しく地面に座らせる。

「少し待っていなさい、シィナ」

 不安そうに何か言いかけた彼女の頬に口づけをすると、アスカは立ち上がり地面に槍を突き立てゆっくりとシェンリィスに歩み寄った。

「さて……」

 アスカは髪に付けている飾りを一つ外す。彼がいつも身につけている金色の管状の髪飾りだ。

「これを使うのは久しいの」

 外した飾りはアスカの魔力に反応するように淡い光を帯びる。

 やがてそれは短槍の形に変わる。彼の魔力を凝縮したような美しい黒鋼の短槍に、シェンリィスは息を呑んだ。

 見たこともない美しい武器だ。見惚れる程の完成された美しさがある。同時に尋常ではない魔力を感じ、背筋が凍った。

「……すぐに楽にしてあげよう」


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