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隙がまるで見いだせない彼に向かって斬り込むと、案の定剣はあっさりと受け流された。
アスカの使う武器は槍。剣よりも長く、熟練したアスカはこの槍で誰よりも優位に戦える。けれど祭壇近くのこの場所は木々が覆い茂り、大型武器の槍では戦いにくいことだろう。だからこそ、この場所を選んだ。
優しい王は出来るだけ相手を殺さない手段を選ぶ。そしてそれを可能にさせる強さもあった。だから彼は突然のシェンリィスの反逆に驚き、事情を知ろうと手加減をしてくるだろう。
こんな動きにくい場所で加減をしていれば追い込まれどこかで隙が生まれる。それが自分の狙い。
正攻法では勝てない。
竜の誇りなど捨ててやる。
弱い自分にもてる最大の武器は「卑怯」だ。
「……自分が何をしておるのか分かっているのかね?」
「分からず貴方に剣を向けたりはしません」
アスカは防御の態勢のままシェンリィスの攻撃を軽く受け流していく。
「こんな形で御主とは戦いたくはない。剣を収めてはくれぬか?」
「……命乞いですか?」
シェンリィスは挑発的に嘲笑う。
竜は誇りを重んじる。小馬鹿にされて、少しでも怒りを覚えたなら主導権を取れるかもしれない。
けれど、アスカは真剣な瞳をこちらに向ける。
「命乞いで、御主との殺し会いが回避出来るのであればそれに越したことはない。……わしは強いよ、シェンリィス」
「……っ」
シェンリィスは反射的に飛び退いた。
攻撃が来るのを想定した訳ではない。ただ身体が勝手に動いていた。
剣を握る手が小刻みに震えている。強い相手と戦う高揚感からくるものではない。強い竜を相手にしている恐怖感からくるものでもない。
呼吸が荒くなる。
震えを押さえ込もうと腕を握る。爪が食い込み、鋭い痛みを覚える。
(……今更、何を怯えているんだ)
決めたことのはずだ。
こうすると決めたばかりではないか。
何を今更この人を傷つけることに怯えているのだろう。
「……戻っておいで、僕の指先」
震える声で囁くとシェンリィスの剣が光を帯びる。
剣は形を変え腕に絡みつき、大地の力を帯びる。大地の力を吸い取り、更に強化した剣を作り上げる。
「その術は……」
「あぁぁぁぁっっ!」
自らを奮い立たせる叫び声を上げて、シェンリィスはアスカに突っ込む。
襲いかかるシェンリィスの剣を受け止めて、初めてアスカが押され気味になり顔を顰めた。
「……っ」
アスカはシェンリィスがどれほどの力を持っているか知っている。正攻法でただ真っ直ぐ叩きつけるだけの力ならば受け止められると踏んだのだろう。想像以上の力で打ち付けられ、少し焦った表情を浮かべる。
僅かな手応え。
みしりと、アスカの槍が軋む音がする。
押し切れるかも知れないと言う淡い期待は胸部に感じた鈍い衝撃で打ち砕かれる。
「……ぐっ」
激しく後方に飛ばされてから、蹴り飛ばされた事に気付いた。
受け身を取り損ね、勢いよく樹木にぶつかるとようやく呼吸が戻る。
他の竜に比べればシェンリィスは小柄な方だ。それを生かし素早さと小回りの利く動きで相手を翻弄するのがシェンリィスの得意な戦い方だ。竜の姿であれ、人の姿であれ、その戦い方は変わらない。
素早さには自信があった。それ故の動体視力の良さにも自信がある。けれど、後に飛ぶまで攻撃が分からなかった。初めて彼を押した興奮から判断を誤ったのか、それとも純粋に彼が強いだけなのか。
身を起こしてアスカを睨みながらシェンリィスは考える。
「面白い術式を思いついたものじゃ。剣の素材が元々御主自身だからこそ出来る技か……いや、それもあるが、御主、人間の暁の魔法を使っておるのじゃな?」
「……」
一瞬でそれを見抜くのか、と唇を噛む。
竜族の使う魔法は呼吸をするのとあまり変わらない。大がかりな魔法となれば修練が必要になるが、簡単な魔法であれば教えられなくても出来る。生まれながらにして誰もが魔力の使い方を知っているのだ。
人間は魔法を使えない。
稀に強い魔力を持って生まれる人間もいるが、人間の魔力は乏しく、教えられて周りの魔力を操り初めて使いこなすことが出来るものだ。強い魔力を持って生まれた者でも、術を理解せず使えば暴走をし、自らの生命をも使い果たすことになる。人間は不完全故に様々な術式を生み出している。
暁の魔法と彼が呼んだ暁術もその一つだ。
人間の生み出した魔法。加速する歪みの原因となる術。それでも、この人を相手にするにはそれに頼るより他になかった。
竜族は嫌悪感が強く使わないだろう。けれど、そんな非常識なことも彼はあっさりと気付いてしまう。こちらの世界での生活の方がもうずっと長いはずなのに、異界育ちの彼はこの世界の常識を常識として計らない。こちらの秘策と思ったことも、彼の中では想定の範囲内なのだ。
「御主は何故そこまで思い詰めたのじゃ? 歪みの原因が増えれば御主自身の負担も増すというのに」
「僕は思い詰めてなんか……いませんっ」
最早隠す必要もないだろう。全力で力を引き出そうと魔力を底から引っ張り上げると右手に複雑な紋章が浮かび上がる。
暁術は紋章術を基盤として作られた術だ。紋章術は紋章を介し古海と呼ばれる場所から魔法や魔力を引き出す術である。非情に良く似た術であるが、大きな違いがある。正しく最も安全な手順で古海から力を引き出すのが紋章術であれば、暁術は強制的に古海と結びつき力を引き出す。故に世界で最も歪んだ魔法であるが、身体への負担を考えなければ本人の許容量を越えた魔法も使用が可能となる。
アスカに向かって走り出すと、彼が叫び声を上げる。
「止さぬか、シェンリィス!」
「もう、遅いっ!」
言うと同時に彼に向かって剣を振り下ろす。
気持ちが悪い。
全身を何かが這っているような嫌な感覚に襲われる。
それでも止める事は出来ない。
アスカが眼前に魔力を集中させる。
二つの大きな魔力が衝突し、辺り一帯が激しく震動した。昼と夜とを繰り返すように光と影が明滅する。自分の腕と同化した剣が、びきびきと音を立て腕事粉々に砕けてしまいそうだった。
それでも攻撃の手を緩めない。
アスカは厳しい表情を浮かべていたが、少しでも気を緩めれば一気に形勢逆転されるだろう。今、押し切らなくていつ勝機が見いだせるというのだろうか。
片腕を失うくらい何だ。
そのくらい、この人に比べたら安いものだ。
許さなくていい。
ただ、この人が王としての役目を負わず、生きていてくれるのなら、自分がどうなろうと、世界がどうなろうと構わない。
「‘それならば貴方の足に絡みつくのは何か’」
「っ!」
突然聞こえた声にシェンリィスはぎくりとする。
アスカと自分以外の誰かの声。まだ、異変に勘づいて誰かがこちらに来るのは速いはずだ。
「‘誰にその足かせを付けられたのだろう。運命だろうか、呪いだろうか’」
「……なっ」
突然の事だ。
あまりにも唐突に自分の全身が重くなり、シェンリィスは慌ててアスカから離れる。アスカもまた後方に飛び退いた。
身体に力が入らない。
身体が重い。
「‘それとも自らを律する為のものだろうか’」
こんな時に何が起きたのだろうか。
シェンリィスは溜まらず膝を付いた。
(……声……自体に魔力が……? この声は……)
聞き覚えがあるはずの声。
けれど、何故か全く知らない他人の声に聞こえる。
「‘その戒めは貴方を強く縛り付けてはいないだろうか。もがけばもがく程に身体は重く沈んでいく’」
剣が元の形を取り戻す。それを支えとして倒れずにいるのがやっとだった。
誰かの足元が見える。
ふわりとして重さを感じない身体がゆっくりとシェンリィスの前にかがみ込む。見覚えのある赤い髪が、神々しいほどの光を孕んでいるのが見える。
何故この人がここに来たのだろう。
普段はコラルの寝所から殆ど外に出ないと言うのに。
「……赤……妃……さま?」
彼女はシェンリィスを覗き込むように見つめる。
宝石のように美しい若草色の瞳の奥が僅かに赤い色を帯びている。
「‘……ああ、もう動くことが出来ない’」
形の良い唇が、まるで物語の最後の一節を読むかのようにゆっくりと動かされる。
ずしり、とさらに身体が重くなった。
似ているけれど違う。顔も格好も赤妃のものだ。けれど、表情の作り方がまるで他人のように違う。
(……だ……れ?)