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キイスが街に出れば普段ならば気さくに話しかけてくる者も多いが、町中での度重なる戦闘や屋敷の方で起こった異変を感じているのか、キイスが歩いていても声をかけるものは少なかった。
或いはキイスが声を掛けるのを躊躇われるほどに苛立ちを見せていたせいもあるかもしれない。この領主代理が人前で怒ることは珍しい話ではないのだが、寄せ付けないほど苛立ちを露わにしているのは珍しいことだった。
苛立ちの原因は本人がよく分かっていることだった。
セイムの腕が切断されたことや、自分が身内のことを何も知らなかったことも要員の一つだったが、自分を最大に苛立たせているものはそれではない。
キイスはトランタの店のドアを開け中へと入る。
「トランタ、いるか?」
普段ならばキイスが近づいてきた時点で店に立ち出迎える為に待っているような男だったが、彼の姿が見えない。修復の仕事に没頭でもしているのだろうかと声を掛けてみたが、返答が戻ってこない。
「トランタ?」
呼びかけた時、奥の部屋で物音がした。
勝手の知っている場所だ。キイスは遠慮無しで奥の部屋へと進む。微かに感じた匂いにキイスは眉を顰めた。
(……血の、匂い?)
嫌な感覚だった。
自分の血に続いてセイムの血の匂いを嗅いでいる。そのせいで鼻がおかしくなったと思いたかった。
だが、感じるのは確かに彼の、
「………おや、キイス」
扉を開いて飛び込んだ友人の姿にキイスは絶句した。
トランタは奥の扉の近くで蹲っていた。その両肩は血にまみれ、衣服も酷く乱れていた。額は汗に濡れ、苦痛の色を浮かべながらも微笑んでいる彼の姿に、キイスは自分の血が沸騰するのを感じた。
「……誰だ!」
「ん? 何の話を……」
「お前に、そんな怪我をさせたのは誰だ!」
煮えるような激しい怒り。
ただの怪我ではない。明らかに誰かとの戦闘で付いた傷だった。
傷付いたが彼の妹だったならもっと冷静だっただろう。ミユルナだからいいという訳ではないが、彼女は戦士であり戦いに身を置く者だ。セイムがそうであったように時に自分の身を犠牲にして何かを守ることもあるだろう。それが戦士としての誇りであり、戦う決意をしたのであれば傷を負う覚悟も自分と相手の命に関わる覚悟も持っている。
トランタが戦士であればここまで激昂しなかった。
竜は戦士でなくとも戦う本能を持っている。だが、訓練をしている者とそうでない者とでは圧倒的な差がある。彼がいくらデイギア種という特殊な種族であっても、戦士として訓練した者が相手なら敵う訳がないのだ。
「これは、俺が挑発したからいけないんだよ」
「……俺はお前に怪我させたのは誰かって聞いているんだっ!」
「や、見かけほど酷い怪我じゃないんだよ、ほら、平気だ」
トランタはおかしそうに笑って立ち上がる。
だが、血を多く失っているのだろう。立ち上がった瞬間青ざめた彼はすぐに力を失いその場に崩れ落ちる。
キイスは彼を支えた。
「……この馬鹿っ」
「馬鹿は酷い。うちの領主さんはホント口が悪いなぁ」
「言ってる場合かよ。……ベッドまで運ぼう」
「や、肩を貸してくれ。キイスにお姫様抱っこされたなんて知ったら俺の可愛い妹が憤死するから」
「ミユルナはそんなことで怒るような奴じゃねぇだろ」
言いながらもキイスは彼に肩を貸した。
肩を貸されてようやく歩けるという風の彼は、ベッドに腰を降ろすと苦痛の声を漏らした。
「……深いのか?」
「や、本当にそんな酷くは……」
「脱げ」
「おや、手負いの俺を襲うつもりかい? おかしいな、俺の親友殿はそう言った方面の趣味は無かったは……」
「脱げ、トランタ」
「……」
低く唸るように言うと、トランタは苦く笑って血まみれの上着を引きちぎるように脱ぎ捨てた。
彼の両肩には傷があった。
片側は剣のようなもので貫かれた跡であり、もう片側は鋭く長い爪のようなもので貫かれた跡だった。どちらも貫通しており、爪のようなもので貫かれた跡の方が程度が酷かった。
(……急所は外れているな)
触って確かめると彼は痛みを訴えるように呻いたが、止めることはしなかった。
一時的に苦痛のため手を動かすのは難しいだろうが、傷が塞がれば支障のないように動くだろう。骨も腱も傷付いている様子はなかった。両肩共に同じように大事な所を避けて貫かれている。偶然そこを通せたなら奇跡だろう。明らかに手慣れた者の仕業だった。
「……誰にやられた?」
キイスは彼の目を覗き込む。
「本当に俺がいけないんだ。頼むから俺の敵討ちとか馬鹿な事だけは考えないでくれ」
「トランタ」
促すように声を上げると、彼は観念したように息を吐く。
「……セイムの腕を切り落とした男だよ」
「っ!」
キイスは目を開く。
「悪い、そこのタオルと、桶に水を頼む」
「あ、ああ……」
言われてキイスは真新しいタオルと水を彼の近くまで運ぶ。タオルを濡らして軽く絞ると、彼の肩口を拭ってやる。傷口は塞がってこそ無かった血は止まっているようだった。
「……お前、まさか追ったのか?」
「まぁ、結果的にはそうなるね」
彼はあっさりと頷く。
「……カリア女史には聞いたかい? 彼はアソニアのアグラムと言う男だ。先代の西方将軍であり、アスカ王の戦士で左の翼とまで呼ばれた男だ。気性の荒い竜で血と争い事を好むような男だ」
まるで見て知っているというような口ぶりだ。
キイスは怪訝そうに問う。
「知り合いなのか?」
「これでもアスカ王に城内出入りを許されていた身分だからね。彼とも何度か会ったことがある。……多分、君の所にいる‘シェンリィス’という子も、俺は知ってる」
血の付いたタオルを洗い、今度は少し固く絞って再び彼の肩を拭う。
「なら、何故言わなかった?」
「言っている暇が無かったんだよ。彼がシェンリィスだと知ったのはつい最近だからね」
それもそうだ、とキイスは思う。
クウルが彼を拾ってから暫く経つが、その間子竜殺しの件や彼の素姓の件でキイスも色々慌ただしくここを訪れている暇もなかった。彼の本名が‘シェンリィス・レミアス’であり、竜王候補と分かったのはつい昨日のことだ。ミユルナから話は聞いていたのだろうが、彼女も忙しく、込み入った話は出来なかったのだろう。そして、今回のようなことになってしまった。
「アグラムはアスカ王が身罷られてから少しおかしくなったって噂を聞いていたんだ。だからまだちゃんと話し合えるのかを確認したかったんだけど……この有様だ。……ああ、そこの右から二番目の薬を頼む」
「……ああ」
言われた通り薬を棚から出すと、彼に手渡した。キイスは同じ棚から新しい布を勝手に取り出し、勝手に引き裂いて包帯を作りはじめる。
「彼はまともじゃない。話が全く出来ない訳じゃないけれど、理性的とは言えない。キイスも噂くらい聞いてるだろう? 王侯補は市井に名前まではっきり公表される訳ではないけれど、元西方将軍であるとかアソニアの竜であるとか、彼の噂は特出しているから」
確かに噂を聞いていた。
竜王候補の一人に勢いのある者がいると。その彼がいずれは竜王になるのではと噂を聞いていた。噂の領域だった為に名前や立場まではっきり記憶していた訳ではないが、アソニアに勢いのある竜がいると聞いた覚えがあった。
それがアグラムであり、同じ候補であるシェンリィスを追ってフェリアルトまで来たのだ。そして、何の因果かセイムの腕を落とし、トランタを負傷させた。
「……彼がフェリアルトに来たのは、多分シェンリィスを追ってきたんだろうね。彼も竜王候補なのだろう?」
「……ああ」
「悪いことは言わない。早く彼を屋敷から出した方がいい」
「だが……」
「キイスも思わなかった訳じゃないだろう? 今このフェリアルトで起きていることの渦中に彼の存在があるって」
「……」
指摘されてキイスは唇を強く噛んだ。
それが苛立ちの元凶だ。
気の弱い弟が増えたみたいだと思ったのだ。一度面倒を見た以上、せめて記憶が戻るまでの間は面倒をみようと思っていた。だが、彼が来なければ少なくともハイノという竜が城下で暴れることも、クウルが襲われセイムが負傷することも無かったと思ってしまったのだ。
そんな自分が酷く腹立たしい。
「一度、彼と話をさせてくれないか?」
「……あいつに、出てけとでも言うつもりか?」
そんなことはない、とトランタは首を振る。
「そうじゃないよ。ただ、記憶を取り戻す為にちょっとだけ協力出来るかもしれないと思ってね。まぁ、もう少し傷が塞がってからのことだけどね」
言われてキイスは頷く。
「分かった、シェンに話をしてみる」
「うん、お願いするよ」
言って彼は片手を上げる。傷口に薬が塗り込まれ、後は包帯を巻くだけになっていた。
キイスは彼の腕を手に取ると、傷を塞ぐように包帯を巻きはじめた。