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眠れる竜の寓話  作者: みえさん。
第五章 悪夢の記憶
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 木々の生い茂る森の中は薄暗くどこか鬱々とした表情を見せる。陰鬱の森を奥へ奥へと歩いていたアグラムは不意に足を止めた。

 辺りに人の気配が無くなって久しいが、追ってくる一つの気配だけは確かに感じていた。異変を察知した鳥や動物の気配は既に無く、虫たちの鳴き声すら聞こえない。

 アグラムは振り向いて呼びかけた。

「出てこいよ」

 後を付けるように隠れているのに、気配を一向に隠しもしない。挑発するようにわざと隙を見せても襲いかかってくる事もなかった。

 呼びかけると男が姿を現した。

 細い体つきの男で、背は高い。老竜に近い年齢にも見える男だった。癖のある髪は浅い緑色をしており、額には一つ大きな宝石を付けていた。見える瞳の色は左右で違った。

 一目でデイギア種と分かる風貌をしていた。

 この顔にも気配にも、覚えがあった。

「何の用だ、トランタ・デイギア」

 低く言うと彼は肩を竦めるような動作をする。

「ああ、俺のことを覚えていてくれたんだね」

「デイギア種を忘れる阿呆がどこにいるんだ」

 不機嫌に言い放つと彼はくすくすと声を立てて笑う。

 特徴的な外見をしているデイギア種に一度でも会ったことがあるのなら忘れる方が難しいだろう。それだけ彼らは奇異の存在と言える。

「アスカ王が亡くなって、狂ったように暴れていたって聞いたよ。赤妃様が眠られてからますます酷くなったとか。街での暴れ振りも酷かったし、話を聞いてくれる所か俺のことも忘れているかもしれないって思ったんだ」

「……」

「久しぶりだね、アグラム。最後に会ったのは君が成竜して間もない頃だったから、随分と前のことだ。……ますます綺麗になったね」

「……気色悪いこと言うんじゃねぇ」

 アグラムは盛大に顔を顰めて見せた。

 トランタは毒のない顔で笑う。

「いや、戦い方のことだよ。力強くしなやかで、どこかアスカ様を思い出すよ」

「………」

 言い回しに苛立ってアグラムは男を睨む。

 男はひるみもしなかった。

 彼は古竜種だ。故に普通の竜とは違う力を持つ。強いのは確かだが、訓練を積んでいる戦士に敵うような力があるように見えなかった。

 そのくせ余裕のある表情が不気味に見えた。

「……セイム君の片腕だけにしておいてくれたことを礼を言うよ」

 セイムと聞いて一瞬誰のことか分からなかったが、先刻戦った男の事だと思い出した。確か小さな子供が彼をそう呼んでいた。セイムという竜は、弱い竜では無かった。人の姿のままでの戦闘だったが、先だって戦った竜王候補の竜よりよほど強いだろうと評価を下していた。彼が王侯補だったらそれなりに楽しませてくれたかもしれないと思う。

 アグラムは怪訝そうに男を見やる。

「何でてめぇが礼を言うんだよ」

「あの子は俺の妹の部下なんだ。死んでしまえば妹が悲しむだろ? だから、片腕だけで見逃してくれてありがとうって言ったんだ」

 どこまで分かっているのだろうか。

 アグラムは男を睨む。

「……あの状況じゃ退くしかねぇだろ」

「良かった、本当に見境を無くしている訳じゃないんだね」

「黙れ」

 声を出すと同時に男の喉元に向けて剣を突き出す。

 鋭い切っ先が僅かに喉に触れていると言うのに、男は平然とアグラムを見つめ返してきた。その表情がアグラムを更に苛立たせる。

 アグラムは男に向かって低く言い放つ。

「喚くな、必要な事だけ口にしろ。そんな下らない話の為に俺に近づいたのか?」

「違うよ。忠告しに来たんだ」

「はぁ?」

「フェリアルト城下には近づかない方が良い。今回のことで君は子竜殺しの犯人と思われただろう。城下では動きにくいはずだよ」

 そうだ。

 あの男は、自分に対してそう言い放ったのだ。実際に子供の竜が殺されたとして、子供を襲っているアグラムを見れば疑うのも当然だ。だが、当のアグラムにはフェリアルトで子供の竜を殺した覚えがない。あの時痛めつけようとしていた子供も邪魔が入ったせいで傷も付けていない。

 そう、子供を痛めつけようとしたのは事実だ。瞳の一個、腕の一本が無くても竜人は生きることが出来る。殺さない程度に痛めつけて、シェンリィスに声を聞かせてやろうと思ったのだ。殺すつもりは最初から無かった。

「……ここで何が起きている?」

 アグラムが問いかけてから、男が答えるまで少し間があった。

 トランタは目を閉じ少し息を整えるように呼吸をすると、静かな口調で言った。

「……子供の竜が殺されたんだよ」

「そんなことは口ぶりで想像が付く」

 話せと促すように剣先を喉に当てた。微かに傷付いた喉から血が滴り落ちる。

 この男は全てを知っている。

 それを肯定するように、男は口元に笑みを浮かべた。

「‘贄’だよ。成竜していない子供なら、簡単に殺せるし、何にでも成り得るからね。君が来ることでかき回されるのは少し困るんだ」

 アグラムは尋ねる。

「………お前か?」

「ある意味においては」

「………っ」

 苛立ち半分剣を横に薙ぐと、鮮血が辺りに飛び散った。さすがに男が苦痛の色を見せたが、苛立ったアグラムにとってその表情は追い打ちにしかならなかった。アグラムは男の首を押さえるとその場に薙ぎ倒した。

 大地に縫い止めるように男の肩に向かって剣を突き立てる。

「……ぐぁっ」

 苦痛に男の顔が歪んだ。身体に備わった本能が抵抗しようともがくがアグラムの爪がもう一方の肩を貫いた。

 生暖かい血液がアグラムに向かって噴き出す。

 互いの両手が深紅に染まる。

 その色が、何よりもむなしく見える。

 挑発するようにアグラムは男に囁きかけた。

「なんだ、つまんねぇな、少しは抵抗しろよ」

 男は苦痛に歪んだ顔でアグラムを見上げる。

 それでも、男の口元には笑みが浮かんでいた。

「……デイギア種を滅ぼす気かい?」

「てめぇには妹がいるだろ」

「そうだけど、妹の目はまだ覚めていない」

「……」

「まぁ、もっとも、赤妃様が俺を使えなかったなら、俺の存在は意味が無かったかも知れないけどね」

「つまんねぇんだよ、死に損ない」

「抵抗したところで、力で俺が敵う訳がないだろう?」

 心からそう思っているのか、ただ抵抗する気が無いことを表現しただけなのか今ひとつ良く分からなかった。

 アグラムは男を見下ろして口の端を吊り上げた。

「本気になれよ。古竜なら俺を楽しませるだけの力があるだろ?」

「買いかぶりすぎだよ」

「……古竜を相手に出来るなら、俺は妹の方でもかまわねぇんだぜ?」

 言うと一瞬彼の瞳に鋭い色が混じった。

 だが、その色はすぐに消える。

「妹のことは、あの子自信が決めればいいことだ」

 一瞬だけ蘇った戦う本能が僅かの間にかき消され、そして、瞳には濁った色が残る。彼が何を考えているのかは分からない。ただ、その瞳の色は不快だった。

 アグラムは同じように濁った色の目を見たことがある。

 幾度も、幾度も。

 その色はアグラムを苛立たせ、相手は破滅へと向かった。

 最初に見たのは、遠い昔、竜王アスカに殺された、自分の兄の目。

「………っ!」

 アグラムは血にまみれた手で拳を作ると力任せに振り下ろした。

 拳は男の耳を僅かに掠め、地面へとめり込んだ。

 硬い大地の痛みが拳へと伝わる。

 男の肩から剣を引き抜き、アグラムは立ち上がった。

 殺す価値も、言葉を掛ける価値もない。

 ただ冷たく男を睨め付けると踵を返した。

 男の声が追い掛けてくる。

「……シェンリィスは頃合いを見て‘追い出す’よ。だから心配は要らない」

「……」

「だから、この城下のことに手を出さないでくれ。俺が頼みたいのはそれだけだ」

 アグラムは男に何も答えず森の更に奥へと進んでいった。


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