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眠れる竜の寓話  作者: みえさん。
第四章 韜晦
34/63

 その異変は突然起きたとしか思えなかった。

 レシエがキリス・ヴェナと呼ばれはじめ30年ほどが経った頃だった。その日は妙に息苦しいような気配の漂う日だった。

 廊下を足早に歩いていると横から声がかかった。

「レシエ」

 号で呼ぶことが礼儀ともなるため、昔の仲間でもキリス・ヴェナの名前で呼ぶ者が多い。そのため、姿を確認しなくてもそれが誰なのかはっきりと分かった。

「ハイノか」

 レシエは立ち止まりもせずに言う。横に長身で癖毛の男が並んだ。

「どうしたの? 難しい顔して」

「いや……何か城内の空気がおかしい気がして」

「君も感じてるの?」

「ハイノも?」

 うん、と彼は頷く。

「うーん、レシエが感じるってことは、俺たちが感じている変化とはやっぱり別物だよね」

「………何の話?」

「ちょっとね。……前にもアグラムとも話していたんだけど、竜王陛下が韜晦されてから、変な感覚があってね、それ関連かと思ったんだけど、ちょっと違うみたい」

「?」

 彼は廊下の先を指差す。

「とにかくシェンリィスと相談しよう。アグラムも来ているみたいだし」

「あいつが来ているの?」

「うん、多分そう。気配を感じるから」

 竜王アスカが突然姿を消したのはレシエがまだ四方将軍では無かった頃だ。全く兆候が見えず突然のとも言える失踪は谷に大きな混乱をもたらした。星見達は新たな王の選定をはじめず、代わりにアスカの妻であった赤妃が王の座に座った。

 赤妃によりレシエは南方将軍に選ばれ、王の戦士と呼ばれていた彼らは赤妃の私軍に入った。暫くしてアグラムが西方将軍オーガスタス・グラントの号を受けたものの、彼は数年前に解任され、以降城内から姿を消した。

 アグラムが来ているというのが事実であれば、数年ぶりの事だ。この奇妙な空気と言い、彼の行動といい、何か嫌な予感がしてならなかった。

 そう、あの時と似ている。

 アスカ王が行方を眩ましたあの日に。

「急ごう、シェンリィスは赤妃様の部屋よ」

「うん」

 同じ予感をハイノも感じていたのだろう、いつものように穏やかそうに笑っていたが、その顔には少し緊張の色が浮かんでいた。

 急いで走り始めようとした瞬間だった。レシエは頭部に強い痛みを覚えて立ちすくんだ。

「っ……」

「いっ……」

 ハイノもまたうめき声を漏らす。

 強い魔法の気配。

 だが、それは今まで経験してきた魔法とは明らかに違う、異質なもの。

「……今の、なに……?」

 問いかけるように言うと、ハイノは首を振った。

「分かんない。シェンリィスみたいだったけど。……大丈夫? レシエ」

「ああ……でも、シェンリィスって………っ!」

 再び強い痛みを覚えた。無遠慮に使われる魔要素、それに伴う魔法での干渉。昏倒しかねない程の激しい痛みが襲ってくる。

 ぎりり、とハイノが歯を食いしばる音が聞こえた。

「……俺をあんまり馬鹿にしないでよね、シェンリィスっ!」

 彼は崩れ落ちそうになりながらも自分の足を強かに殴りつけた。

 レシエの腕を自分の肩に回すと厳しい表情のまま叫んだ。

「飛ぶよ、しっかり捕まってっ!」

「……!」

 レシエは彼の肩にしがみつくように力を込めた。瞬間彼の背から翼が生える。ばさりと羽ばたいた一瞬で壁を破壊し、もう一度羽ばたくと彼は高く飛んだ。回転する視界の端で、レシエは自分たちと同じように頭を押さえ蹲る姿をいくつも見つける。

 その時、城内にいる全ての竜達が同じような魔法による干渉を受けていた。最初の一回で昏倒何人かが昏倒し、二度目で半数以上が意識を手放した。

 ハイノのようにあの状況で翼を広げられる竜などそういなかった。

 彼は半分は人の姿のまま飛び、竜王の庭までたどり着くと一直線に赤妃の部屋まで飛ぶ。屋根を突き破り、半ば転がり込むように赤妃の部屋へと飛び込んだ。

 崩れる屋根の合間に赤妃を抱きかかえるアグラムと、それを静かに見つめるシェンリィスの姿があった。赤妃の腕はだらりと垂れ下がり、目は閉じられていた。その顔に表情は浮かんでいない。意識がないのが明白だった。

「……シェンリィス!」

 誰がその名前を叫んだだろうか。

 自分ではなかったように思える。

 レシエには目の前の光景がまるで理解出来なかった。

「せ、赤妃様!」

 すぐさま彼女へ駆け寄ったのはハイノだった。抱きかかえ、蹲っている状態のアグラムから彼女の身体を引き受けると肩を揺すって目覚めさせようとする。

 生きているのか死んでいるのかが分からない。

 レシエの身体は硬直していた。

「……息はある」

 アグラムが短く言う。

 少しホッとするが、彼の表情を見て背筋が凍った。アグラムは真っ直ぐシェンリィスを見ている。何の表情も浮かんでいないように見えるが、その奥には激しい憎悪の炎を燃やしていた。

 彼に見据えられているシェンリィスは冷たい刃のような顔をして見返している。肩で息する彼の腕には強い魔力が宿っており、彼はその腕を抱きかかえていた。

「………てめぇ、自分が何をしたのか、わかってんのかよ?」

 押し殺したような声。

 その問いに、シェンリィスは息を整えながら言う。

「他に、方法があったとは思えないけどね」

「だからって、お前、これじゃあジジイの時と一緒じゃねぇか!」

 アグラムは剣を出すと同時に彼に斬り掛かる。シェンリィスは厳しい表情のまま剣を出すと彼の攻撃を受け流す。そのまま攻撃に転じたシェンリィスの剣を避け、アグラムは大きく舞いながら間合いを取った。

「……相変わらず、喧嘩っ早いね、だからいつも問題起こすんだよ」

「それとコレは関係あるかよ? ……殺してやるっ、今すぐだっ!」

「駄目だよ、君だって分かっているだろ? 僕も、君も、ハイノも、血の匂いが変質している。僕らは‘王侯補’に選ばれたんだ」

 え、とレシエは赤妃を見る。

 自分を見られたと思ったのだろう。都合が悪そうに、ハイノが目を逸らした。

 竜王候補が選ばれるのは王が死んだ後のことだ。王の死により星の流れが変わり、星読み達が王侯補に告げていくのだ。だが、赤妃はまだ死んでいない。そうアグラムが言ったばかりだ。

「それがどうした? 星読みの馬鹿連中から耳うちされるまで待てっつーのかよ?」

「違うよ」

 彼は笑う。

 薄暗い、ぞっとするような顔だった。

 悪魔のように恐ろしい、そのくせ、ぞっとするほど綺麗に見えてしまう男の顔だった。

「さっきも僕が王になるって言っただろ? だから、君が僕を殺すなんて駄目だって言ったんだ」

「寝言は寝てから言えよ、シェンリィス。……てめぇには、飛びきり上等な悪夢を見せてやる」

 アグラムは獰猛に笑った。

「や、止めなよ二人とも! こんな………何があったって言うんだよっ!」

「……てめぇだって怒ると思うぜ、ハイノ。こいつ、リトの力を利用して赤妃を‘封印’しやがったんだ」

 ハイノは目を見開き、呆然とシェンリィスを見つめた。

 驚愕を隠せない表情だった。

 やや間があって、ようやく彼は喉の奥から絞り出す。

「………うそ、だよね」

 否定して欲しいと言いたげなハイノに、シェンリィスは笑う。

「嘘だと思う?」

「……」

「思わないよね、赤妃様がそんな風になられたんだから」

 その言葉にハイノは苦痛に満ちた表情を浮かべる。

 気を失った赤妃を抱きしめ、ぼろりと涙をこぼした。

「……君は………、君って人は、どこまでっ……!」

 シェンリィスは笑う。

「ハイノは優しいよね、泣いてくれるんだもん。君とは大違い」

「黙れよ、それとも今すぐ、口をきけねぇようにしてやろうか?」

「出来るならやってみなよ」

「上等だ」

「………双方動くなっ!」

 ようやく、レシエは叫んだ。

 足元をふらつかせながらも立ち上がる。立てば一気に意識が南方将軍のものへと戻っていく。

「竜王の庭での殺生は禁じられている。……シェンリィス・レミアスには赤妃様を害した事に関して聞かせて貰う。戦士として大人しく従え」

 言い放つとシェンリィスは肩を竦める。

 相変わらず彼の片腕は強い魔力を帯びていた。

 彼は少し困ったような‘ふり’をしたような顔で言う。

「ここで捕まっちゃうとちょっと問題かな。仕方ないから少し隠れさせて貰うよ」

「待てっ、決着はまだ付いて……」

 アグラムが叫び声を上げた瞬間、シェンリィスから激しい風と魔力が吹き出す。

 その激しさに圧倒され、レシエは自分の顔を庇った。

(……転移魔法かっ)

 竜の中でも適性のある者が少ない遠くへと移動させる魔法。

 まるで自分の力を見せつけるかのように、易々と使い、シェンリィスはその場から消え去った。

 風が収まると、沈黙だけがその場に残された。時折、瓦礫が崩れ落ちる音だけが響いている。

 言葉が出なかった。

 起きたことも、目にしたこともまるで信じられない。混乱か、怒りか、緊張か、それとも別のものか。身体が何かに揺さぶられるように震えている。

 それは居合わせた全ての人が同じだった。

 ただ、黙り込み呆然と彼が消えた方向を見つめている。

「……はっ」

 沈黙を破ったのは、アグラムだった。

 息を漏らし、その場に蹲り、自分の身体を強く抱きしめる。

「はははははははは………!!」

 地の底から這い出すような笑い声だった。

 彼は狂ったように笑いながら、自らの身体に爪を突き立てた。

 かきむしられた皮膚は裂け、血が滴り落ちるが、彼は厭わず笑い続けた。目を見開き天を睨み、恐ろしくなるほど激しく笑い続ける。


 それは、自らを嗤笑するような高笑いだった。


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