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「私は多分恵まれていたのよ」
レシエは組んだ自分の手を見つめながら言う。時折どこか辛そうに見える彼女の話をミユルナは静かに聞いていた。
シェンリィス、ハイノ、アグラム、レシエ。
ここ最近で彼女の話の中に登場した四人の人物がフェリアルトを訪れている。シェンリィスに誘われるように。
彼女の話は作り話のようには思えない。ただ、だからこそ違和感を覚える。彼女の語る‘シェンリィス’の人物像の差に。
「竜王陛下に名前と顔を知られている事は私にとって大きな力になったわ。無論、知り合いと言うだけで重役に起用するほど陛下は単純な人ではないけれど、周囲は私を少なからず特別視した。不当なやっかみもあったけれど、同程度の実力者なら私を選ぶ上官も多かった。そうして私は実力を付けていった」
彼女とノアが友人関係になっていたのも強みだった。極秘事項を漏らすような人ではなかったが、それでもレシエは情報が速かった。中央の考え方も彼女から学んだ。それもレシエの実力となり、やがて城内深部に出入りするのが普通となった。それは大出世といえるだろう。
「そこで私は赤妃様ともお会いしたの」
「現竜王陛下か」
「ええ、その当時はまだ妃殿下でいらっしゃった。……美しく綺麗な方で、到底強い竜に見える方ではなかった。ただ、その魔力というのは半端ではないのは見てすぐにわかったわ。戦闘能力ではアスカ王の方が当然上だったけれど、魔力面では比較にならないのではないかとさえ思ったわ」
彼女は短く言葉を切る。
「………本来話すべきではない事柄かもしれないけれど、あの方は髪を染めていらした」
「赤妃様はその名を示すような赤い髪の竜だと聞いた」
「そう、赤く染めていらした。……でも……赤妃様の本来の髪色は‘金’よ」
「まさかっ」
ミユルナは息を呑む。
竜には金色の髪は生まれない。それは常識的な事だ。金色の髪は精霊素という魔法要素が蓄積した色である。人間の外面は遺伝的要素が強く魔法要素に左右されるのは稀だが、魔法に近い生き物である竜族は魔法要素の影響が大きい。勿論例外もあるが、髪や瞳の色を見れば相手がどんな魔法を得意とするのか想像が付くほどだった。
それだけ魔法要素に左右される竜族にとって金色の髪はあり得ないのだ。精霊素は竜の存在と相性が悪く強すぎると竜の魔力と精霊の魔力は反発し存在すら出来なくなる。生を持った竜が精霊に近づいたからといってどちらかがすぐさま消滅することはあり得ない事ではあったが、大昔人間の世界で大戦が会った時、救済に訪れた迅雷王と当時の精霊王は普段は親しくしたものの大量の魔法要素を消失する戦闘時には出来るだけ近づかなかったと言われる。
黄金に輝く髪が精霊を象徴とするならば、竜に生まれたものの金色の髪はあり得ないことだった。
例外があるとすれば。
レシエは背筋を伸ばし、口調を改めた。
「赤妃様は恐らく黄金竜です」
あり得ない、とミユルナは首を振った。
「精霊族という可能性は」
「飛翔王アスカの即位に関わっているはずだから、少なくとも250年以上谷にいて、飛翔王の側にいたことになるわ。精霊であれば存在を保てる訳がない」
確かにあり得ない事だ。
250年という途方もない年月を精霊が谷で生きれる訳がない。谷にも大きな影響を及ぼす可能性もある。けれど飛翔王の時代は他に類を見ないほど安定をしていた。
「まして、精霊が竜の子供を産むなどと言うことも考えられない」
「……子供?」
「アァク様よ」
彼女の話の中に会った白竜のことだ。
アスカ王に子供がいたという話は聞かない。ただ、先刻の話のように体が弱く公表を控えていたのならば納得することも出来る。
もし赤妃が精霊であるならば、子供を産むことは出来ないだろう。反発する気配もそうだが、精霊は竜よりももっと魔法に近い存在であり、基本的には実体を持たない。そもそも「子を成す」ことの法則が竜や人のそれとは異なるのだ。
「赤妃様からは確かに竜の気配を感じたわ。だから精霊ではあり得ない。そうなれば、あの方は黄金竜だったとしか言えないわ。……そうでなければ、あの絶大な魔力も、黄金の髪の理由も説明が付かない」
「……だが、現れないはずだ。黄金竜は創魔期、世界再編の礎となって以降、根本概念の一部になっているため二度とこの世に現れることはないと言われている存在。存在出来るとなれば根本が揺らぎ底から蘇っていることになる。そうなれば、全てが……」
レシエは頷く。
「全ての‘界’が変革期を迎える」
背筋が寒い。
ミユルナは唾を飲み込んだ。
「私たちが四方将軍に選ばれた時、赤妃様は自らその髪を晒され、竜王アスカが居ない今世界の歪みを正せるのは自分しかないのだと仰った。……実際各地で起きた暴動を除き、赤妃様が眠られるまでの谷は安定をしていたわ」
竜の谷の歪みは急激に加速している。それは王の資格のない赤妃が勝手に王となったからではなく、今まで竜王と赤妃のふたりで支えていた根本の歪みが押さえきれなくなったのではなかろうか。それでも赤妃は歪みを正そうとしてきた。だが、彼女は眠りに就き、そして谷は大きく揺らいだ。
「赤妃様を眠らせたのはシェンリィスで間違いない。奴もそれを認めている」
「何故そんなことを?」
「王になるため、と奴は言っていたわ。そして、………谷を終わらせると」
終わらせる、とミユルナは口の中で呟いた。
「あいつは争い事を好まないような大人しい顔をして、人を騙し、準備を進めていたのよ。……アスカ王が身罷られたあの日あの時、シェンリィスはあの方の側にいた。恐らくその殺害にも関与している」
「意味が分からない。そんな風にしてまで谷を滅ぼすのが何の意味がある?」
分からない、とレシエは首を振る。
「ただ、記憶喪失と言ってここに留まっているのも演技かもしれない。相手の懐に入り込み何かを企んでいるのかも知れない」
「それならばますます納得が出来ない」
ミユルナは頭を大きく振った。
レシエが不思議そうに見返してくる。
「……先だってここに一人の竜王候補が来た。彼の微かな記憶からその名をハイノと言うことが分かった」
「………ハイノ」
「戦い、ハイノを倒し、シェンリィスは泣いていた。おれにはあれが谷を滅ぼそうとしている者の顔にはみえなかった」
「………貴方は、竜になったあいつの戦い方を見たの?」
「遠方からであったが、少しは」
「悪魔のようだと思わなかった?」
ミユルナは黙り込む。
「急所を的確に狙い、鋭い牙で相手を引き裂く。そして絶命してもなお、執拗に食らいつく。……シェンリィスが竜となり戦った後には惨殺された死体しか残らないわ。私はあれが彼の本性だと思う」
ミユルナ達が彼らの元へ駆け付けた時、確かに惨い状態だと思った。その傍らで血まみれで倒れている彼の姿には異様なものを感じざるを得なかった。怖いと思ったのも事実だ。的確に、そして確実に相手を仕留めるための戦い方。悪魔のようという形容はあながち間違っているとは言えない。
ただ、あの涙は本物に見えた。
普段おどおどしてキイスに怒鳴られ怯え泣く涙とは別の種類の涙に見えた。本気で人の死を悼んでいるように見えたのだ。
そう、自分の中にも違和感がある。
惨殺と見えるほどの「殺し方」で戦う彼と、あんな風に涙を流す彼がとても同一人物には思えない。
「奴が竜王になれば谷は滅ぶわ。だから私はあいつを殺さなければいけない。……そう思って来たはずなのに、駄目ね。貴方の言うとおり、私は失敗してしまってほっとしている。あいつを傷つけることも、私の血に全く動揺しないのも怖い。こんな中途半端な状況で戦って、勝てる訳もないのに」
レシエは深く息を吐いて自嘲気味な笑みを浮かべる。
「あいつはやると言ったらどんな手段でも遂行する。……見かけによらず頑固で、曲げないから、だから、私は彼を竜王にしてはいけないと思っている。私はあの時、そう思ったんだ……」