1
フェリアルトで城の地下牢を使うことはあまりない。通常は城下にある牢を使い、ケンカ程度の犯罪ならばそちらで処理される。ここに捕らえられるのは領主の命を狙うなどをした特別な犯罪者なのだ。フェリアルトの竜は兎角温厚な竜が多い。同程度に職人気質の人も多く無口な人も口の悪い人も多かったが、仲間同士の結束は強かった。そのためフェリアルトで城の牢が必要な程の犯罪は殆ど起こらなかった。
久しぶりに使われる牢には、今女の姿がある。
服装は他種の文化が混じったコラルのような服装だったが、体格や雰囲気からミレイルかレミアスの竜だろうと見当を付ける。
ミユルナが牢に近づくと置かれたベッドに腰を降ろしていた女が顔を上げた。反抗する気力もないと言う風に彼女から力を感じられない。気怠そうに顔を向けたが、顔色は悪く、目も赤かった。
「……まずは名前を聞いてもいいか」
女は力無く答える。
「個としての名はレシエ。出身はレミアス。……当代、キリス・ヴェナを務めていた」
南方将軍、とミユルナは少し驚いた。
中央コラルを守るのが四方将軍だ。キリス・ヴェナの名前を名乗ることを許されているのはそのうちの南方を守るものであり、歴代女性であることが定められている。フェリアルトは南方に属する。赤妃の時代はまだ短いものの、少なくともここ数十年の間は彼女がフェリアルトを管理し、守っていたとも言える。
キイスは領主代理であるために彼女とは面識が無いだろうが、本当にキリス・ヴェナだとすれば、彼女はフェリアルトにとって無視出来ない存在であることを意味している。
彼女は表情を殆ど動かさないままミユルナに言う。
「領主の守る城に押し入るのは礼に欠いたと重々承知している。まして領主殿に傷を負わせたのであればどんな処遇をされても致し方ない。寛大なとは言わない。的確な処置をお願いする」
「……彼はあくまで領主代理だ」
ミユルナは言い切る。
牢の中の女は少しだけ表情を動かす。
「キイスはただの戦士が戦闘の後に怪我を負った程度にしか考えていない。罰することが必要と言うならば、ここに不当に押し入り戦闘したことだけだろう。……理由を話してはくれないか」
「……」
「当代キリス・ヴェナ殿であり、彼と面識があるのであれば、彼が何であるか知っているはずだ」
「あいつは、悪魔よっ」
吐き捨てるように彼女の語気が荒くなる。
「あいつを竜王にしてはいけない。私はそれを食い止めに来たのよ」
「婚約者だと聞いたが」
「今は婚約者ではないわ」
ミユルナは彼女を見る。彼女は忌々しげに吐き出したが、彼女の表情にはシェンリィスへの未練が伺えた。ほんの些細な表情だが、同じ女性としてミユルナには良く分かった。
「……竜を殺せる毒は愛する者の血」
良く聞く冗談のような言葉を口にすると彼女は眉を顰め顔を背けた。
「別に、そんなものを確かめに来た訳じゃないわ……」
竜の身体に普通の毒は効かない。
身体を悪くすることは稀にあるが、それでも人間のいう致死量を超えても竜の身体を流れる血が浄化してしまう。並の毒であれば竜の血の方が強いのだ。
ただ、その竜さえも殺してしまう猛毒があると言われている。
それが‘愛する者の血’なのだ。
勿論、愛した者同士の血が互いにとって猛毒になりどちらかが傷付いただけで死に至るという訳ではない。ただ、消して抽象的な言葉ではなかった。
竜の血には魔法の力がある。想いが強いほど互いの血の干渉を受けやすくなる。
彼女は自ら自分の命を絶ち、シェンリィスにその血を浴びさせようとした。どんな状況なのか聞いただけだったが、彼女から激しい憎悪が伺えた。自らの手で命を絶つ時、彼女はその血に自分の全てを含ませただろう。魔力も、感情も、魂も。もしもシェンリィスが彼女のことを愛していたなら、その死と憎悪は何倍にもなってシェンリィスに降り注ぐ。それは彼自身の感情と彼女自身の感情に比例するように増える。シェンリィスが彼女を何とも思っていなければ、影響は少ないが、もしも少しでも彼女を考えていればその影響を受ける。場合によっては先日城下で暴れた竜のように、気が狂い、正気を保てなくなることもある。
そして、真実愛していれば即死することもあり得る。
「おれにはお前がそれを確かめたかったように見える。だから彼が記憶を失っていると知った時、失望した」
「………成功するか分からない事に命を賭けるのが馬鹿馬鹿しいだけよ」
「なら、愛されている自信があったんだな。確実に何かしらの影響を与えられると」
「そうよ」
「……そのくせ失敗して安心した顔をしてる」
きっ、と彼女の目線が強くなる。
「貴方に、何が分かるのっ」
「おれも、好きな人を傷つけたくない気持ちは分かるつもりでいるが……」
一瞬彼女の目が大きく見開かれ、瞬いた。
そこで初めてミユルナを認識したような顔になる。
「………女の、ひと?」
「よく間違われるが、そうだ」
彼女は顔を赤らめる。
「ご、ごめんなさい。私、勘違いをしていたわ」
「いい、慣れている。それにこんな格好で女と見抜けと言う方が難しい。名前を聞いても男だと思いこむ人もいるからな」
ミユルナは男の格好をしている。口調も男性的で声も低いために、よく男と間違われるが、分かっていてやっていることだ。魔力を考えれば竜族にとっての「強さ」は女性も男性も変わらないが、腕力などの純粋な力の場合、女性の方が劣る。故に女だからと舐められることもある。隊長職に就いているのだから男性と思われていた方が都合が良かった。
「名前を……聞いてもいい?」
「ミユルナ・デイギアだ」
「……デイギア種……滅びたんじゃ無かったのね」
「同じ事をシェンにも言われたな」
言うと彼女は不審そうに眉を顰めた。
「……記憶喪失じゃなかったの?」
「おれと会った時に不意に過去の記憶を思い出したようだ。錯乱して、結局何も思い出せなかったみたいだが、彼はデイギア種がいたことに驚愕しているようだった」
「……? 確かに王都では今、デイギア種は滅んだと言われているけれど、そこまで驚く事かしら」
「滅んだ? おれたちの存在は飛翔王に認められているはずだ」
「その生き残りである三人のうち、父である男は王都で老衰で死亡、兄も老衰で死亡、妹は戦死と聞いているわ」
ミユルナは眉を顰める。
「父親が王都で死んだのは事実だけど、おれも兄さんも生きている。デイギア種は滅んでいない」
「……の、ようね。瞳の特徴で、貴方がデイギア種であることは疑いようがないもの」
竜にはいくつか種がある。外観の特徴の違いで大きく六種族に分けられ、そのうちデイギアは片方の角が大きいことと、左右の瞳の色が違うという特徴が上げられる。
同じ領地内で婚姻し子を産むのが普通だったが、違う種であっても婚姻し交わることは出来る。その際親のどちらかの特徴を受け継いだ竜となるのだが、デイギア種は受け継がれる可能性がとても低い。同じデイギア種同士で子供を成してもデイギアの特徴を持って生まれない子も多かったと言う。ミユルナ達のように兄弟揃ってデイギアの特徴を持って生まれるのは非常に希な例と言える。だからデイギア種は次第に数を減らし、今では認識されているのは二人だけになってしまった。
ところがそれすらも今は王都ではないものと言われている。フェリアルトではトランタもミユルナも当たり前にデイギア種として認識されているというのに、どういうことだろうか。
疑問に感じたが、今はそれを問いただしている場合ではない。
「話を戻そう」
言うと彼女は少し目を逸らした。
「……おれは、お前を女の目線から見て、シェンを好きでいるように見える。何かしらの憎しみがあるのは事実のようだが、自分のことを少しでも好いているか確かめたかったようにも思える。何があって、こんなことになったんだ?」
ミユルナが女と知って少し肩の力が抜けたのだろう。レシエは目を伏せながらもぼそぼそと話を始めた。
「確かに……そういう気持ちもあったわ。私の死で、あいつが少しでも動揺すればいいと、そう思ったの。でも、何よりあいつを竜王にしてはいけないと思ったわ。だから、自分で命を絶つなんて、戦士としてあるまじき行動に出たのよ」
「なりふり構っていられないと?」
「そうよ」
「分からないな。何故そこまでシェンが竜王になるのを拒む必要があるんだ?」
当然の質問に、彼女は一瞬言葉に詰まったようにだまり、やがて声を低くして言った。
「……あの男は悪魔よ」
彼女の視線がミユルナに向けられる。
瞳に浮かんでいるのは憎悪だろうか、それとも恐怖だろうか。
「あの男は、飛翔王を殺し、赤妃様まで殺そうとしたのよ」
「………は?」
「……赤妃様が眠りに就かれたのはあの男が原因。この谷の混乱は全部あいつのせいなのよ」




