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「大丈夫か?」
ミユルナが差し出した布を受け取ったキイスは自分の手に布を巻き付けながら頷いた。
ミユルナが駆け付けた時には彼は怪我を負っていて、首謀者らしき女は泣き崩れていた。もう少し戻るのが早ければミユルナは女を殺していたかもしれない。キイスの傷を見た瞬間、その怪我を負わせた誰かに激しい殺意を覚えたのだ。だが、彼を傷つけた相手は戦意喪失しており、ミユルナもまた無防備な相手を襲うほど見境を無くしてはいなかった。
「大事無い。少し深いみたいだが、ほっといても治るだろ」
「念のためにカリア女史に見せた方がいい」
彼は少し眉を顰めた。
「……カリアは?」
「いないのか?」
こういう時には真っ先に彼女が駆け付けても良さそうなものである。
大人しく捕縛された女は既に地下牢に運ばれており、シェンリィスは部屋に戻された。駆け付けた城詰の女官達が割れたガラスの撤去を始めている。これだけ騒いだのだからカリアが気付かない訳がないのだが、カリアの姿はそこにはなかった。
バタバタとなにかが走ってくる気配を感じた。
「いた、ミユ! キイス! ……おわっ、何だこれ、何があったんだ?」
「クウル! この馬鹿弟! お前一体、どこへ……」
行っていたんだ、と言いかけてキイスは硬直する。ミユルナも走ってきたクウルの姿を見て目を見開いた。
彼は血だらけだった。
衣服は勿論、髪や頬にもべったりと血が付いている。
「お前、その血……」
「俺のじゃない」
クウルはきっぱりという。
「こっちの事も気になるけど、とにかく来て。セイムが大変なんだ」
セイムと聞いてクウルからセイムの血の匂いがしていることに気付く。ミユルナは表情を険しくさせた。
彼は戦士でありミユルナの隊の副長をしている。当然のように強く実力のある人だ。武器を使えば実戦や訓練中に怪我をすることもあるのだが、クウルにかかった血の量は尋常ではない。
何かあったのは明白だった。
「何があったんだ?」
とにかく来て、と廊下を走り出した彼に続きながらミユルナは問う。
キイスも厳しい表情を浮かべていた。
「俺、襲われて……」
「襲われたぁ? どこで、誰に!? 怪我はねぇのか?」
「俺の事よりセイムだよ。あいつ、俺を助けに来て、戦闘になって、腕落とされた」
「まさか……」
ミユルナは覚えず口にする。
クウルは冗談でもそんな話をする子供じゃない。だがあのセイムが戦闘で腕を落とされたという言葉は理解出来なかった。彼の腕を落とせるような実力のある戦士などそうそういない。だが、同時にクウルの浴びた血の量も納得する。腕を落とされた時に近くにいれば、これだけの血を浴びていてもおかしくはない。
「すぐにカリアが駆け付けて、見てくれたけど、どうなってるかわかんない。俺、どっちか呼んで来るように言われて……」
一瞬ミユルナは彼の言葉に違和感を覚える。
「クー、セイムはどこで戦闘になったんだ?」
「職人街。俺、迅雷王の剣を見に行ってて……」
キイスが盛大に顔を顰めた。
「町中だな。……カリアはその時、シェンの食事の準備をしてたはずだ」
それがなぜ‘すぐに駆け付けた’のだろう。
カリアは女官長であり、彼女はフェリアルト城の侍従たちを統率する責務がある。だから城を出ることは滅多にない。特別な用事が無い限り城内に留まっている人なのだ。それが、城内でこんな事が起きたというのに何故城下の方へ行ったのだろう。
同じ事をキイスも疑問に思ったのだろう。走りながら酷く難しい顔をしていた。
正門まで駆け付けた所で数人が駆け込んでくるのが見えた。簡易的に作られた担架に寝かされているのはセイムであり、脇にはカリアが付いている。カリアは周囲に指示を飛ばしながら走っていた。
城内に入ると同時にその場に担架を下ろさせるとカリアはセイムの様子を確かめた。
「カリア!」
「……キイス様、緊急事です。この場を血で汚すことをお許し下さい」
「構わねぇ、何でもやれ。セイムは大丈夫なのか?」
キイスが問うとセイム少し目を開いた。
衣服を引きはがされ上半身を晒したセイムの右腕を抑えるように布が巻き付けられている。見ただけではどんな状態か分からなかったが、彼の身体に無数の傷があることはすぐに分かった。
腕を落とされたと言っていたが、カリアは腕を助けるつもりでいるのだろう。鋭利な刃物で切り落とされた腕は処置が早ければくっつくこともある。だが、再び戦士として戦えるのかは怪しいとミユルナは思った。
険しい表情だったが、カリアは諦めようと言う様子もなく的確な処置を続けている。
「……とんだ……失態しました」
苦しそうに呻きながら、彼は言う。
「しゃべるな」
「いえ……俺には報告の義務があります。……隊長、城下で子竜殺しの犯人とおぼしき人物と戦闘になりました」
ミユルナは表情を引き締めた。
「本当か?」
「本人は否定をしましたが……俺が駆け付けた時は坊を襲ってるまっただ中でした」
クウルをちらりと見ると、彼の言葉を肯定するようにクウルは頷いた。
「本当に犯人かしらないけど、俺が襲われたのは確か」
「……坊を守るためと、捕縛の為に戦闘になりました」
「種は?」
ミユルナの問いに彼は答える。
「アソニア種です。……雄竜で成竜、髪は少し褪せた赤色、瞳と気質は焔、左目の上に比較的新しい三本の傷、竜化時に他の竜に爪でやられたような傷です。…褐色肌に尖って長い形状の耳でしたので、おそらくカトゥス族です」
「カトゥス族?」
カリアが厳しい表情を浮かべた。
「アソニア南方の少数部族です。……あの方は、おそらく先代オーガスタス・グラントです」
「四方将軍か? 何故そう思う?」
「……私は一度お会いしたことがあります。まだあの方がお小さい頃でしたが。良く似た他人では無い限りは、恐らく」
カリア様、と女官の一人が大きな箱を抱えて駆けてくる。
カリアはその箱を受け取ると急いで開く。中には様々な薬と、妙な道具が入っている。
「麻酔を」
「はい」
女官は頷き、慣れた手つきで薬の瓶を次々と取り出す。カリアは細い針と、奇妙な色に輝く糸を取り出す。
「何をする気だ?」
「縫合します。麻酔が間に合いませんので、その間の痛みを覚悟して下さい」
「覚悟?」
「良くて気を失います。このまま麻酔が効くまで放置すればセイムさんの腕は戦士として致命傷になるでしょう。今ならまだ間に合います」
「………俺の腕、元通りに繋がりますか?」
「治します。……戦士を諦めるのであれば痛みのない治療をしますが?」
セイムが苦笑する。
そんな問われ方をして、痛いのは嫌だと言う戦士はいない。
「……お手柔らかにお願いします、先生」
「わかりました。善処します」
針に糸を通し、カリアは力強く頷いた。
「では始めます。……キイス様、ミユルナさん、セイムさんを押さえていて下さい」