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「ねーカリアー」
クウルは椅子に座るカリアの足元に座り、カリアの膝に頭を置いて下から覗き込むように見上げた。
シェンリィスは結局特別なことを何一つ思い出していなかった。自分の名前とあの竜がハイノという名前と言うことの他何も思い出しておらず、竜王候補という事実も分からないというばかりだった。
彼をそのまま休ませる事にして、キイス達は自分の仕事に戻った。カリアも仕事がある様子だったが、足元にまとわりついてきたクウルを注意することもしなかった。
「どうしました?」
筆で何かを書きながらちらりとクウルを見た。
「あのさ、竜王候補って殺し合うってホント?」
言うとカリアは一瞬だけ筆を止めた。
「本当です」
「何でそんなことしなきゃいけねーの? 話し合いで王様決められねぇの?」
「血が殺し合う、と言われていますが……私は王候補でないので分かりません。ただ、王候補は相手の王候補を殺して食べる、と言われています」
食べる、と聞いてぞくりとした。
ハイノと戦い倒れたシェンリィスの口元は血まみれだった。喉元に噛み付いた時に浴びた血だというのは想像できたが、シェンリィスがハイノを食べたようにも見えた。
カリアは少し笑ってクウルの頭を撫でた。
「捕食の意味での‘食べる’ではありませんよ。魂を食べるんです」
「魂を食べる……?」
「竜は相手の魂を食べることで相手の力を手に入れることが出来るようです。生きている全てのものは死ねば冥府の海に還ります。稀に意識のみこちらに残すものもあるそうですが、魂は還り食べると言うことは出来ないはずなのですが……」
「竜王候補は例外ってこと?」
「そうなりますね」
「食べるとその分強くなる?」
「そう言われていますが、沢山の候補を食べたはずの竜王が竜何頭分もの圧倒的な力を持っていたかと言われればそうでもありません。昔コラルで聞いたことがある程度の噂に過ぎませんが、アスカ陛下は竜王になる前と後でそれほど力に差があったようには思えないそうです」
元々強い方でした、と彼女は補足するように付け加える。
クウルは少し考え込んだ。
変な話だとクウルは思う。クウルが竜王候補に選ばれたとしても、相手を殺すのは嫌だと思う。シェンリィスも殺した後で泣いていたのだ。殺し合うことを望んでいるようには見えない。それなのに何故殺し合うのだろう。圧倒的な強さをもてるなら、殺し合う意味も少しは分かる。でも、そうではないのなら何故そんな仕組みになっているのだろう。
「候補って星読みが選ぶんだよな?」
「はい。正確に言えば星読みが軌道を読み、王に成り得る存在……証を持つ者を探して知らせるようですね」
「シェンが記憶無くしても本能で‘分かった’ってことは、星読みが知らせなくても会うだけで殺し合わなければいけない運命を理解するってことだよな? じゃあ、何で星読みがいちいち星を読む必要があるんだろ」
「………」
カリアが一瞬酷く険しい表情を浮かべた。
何か悪いことを言ってしまったような気分になり、クウルは不安げに彼女を呼んだ。
「カリア?」
カリアはあの険しい表情を無かったかのようにするように、優しく微笑む。
「星の軌道は未来を知らせます。それは一つではありません。人の選択一つで変わる未来もあれば、どんなに足掻いたところで修正されてしまう未来もあります。星読みは幾通りもの未来を見て‘最悪の事態’にならないように修正する役割を持っています。直接手出しをすることは滅多にありませんが、人の前に現れ話をしていきます」
「それで修正できんの?」
はい、と言ってカリアは少し考え込む。
「クウル様が食べ物を食べようとした時、私がそれがお腹を壊すような毒だと分かればクウル様に食べないように言います。そんな時クウル様はどうしますか?」
「食べない。お腹壊すのやだから」
「でも私が言わなければどうしますか?」
「んー、特に変じゃなかったら食うかも。……ああ、そういうことか」
急に出てきた変な話が、たとえ話だと気付いてクウルは頷いた。
「でも、じゃあ、最初から全部教えればいいのに。どの選択をすれば一番いいかって」
「どの未来が誰にとって一番いいのかは誰にもわかりません。星読みが全ての未来を把握出来ている訳ではありませんし、見守るのも役目です。多くを語りすぎてしまえば新しい未来を作ってしまいます」
「新しい未来?」
「クウル様は明日死ぬと言われればどうしますか?」
「どうもしない。何もしようがないし」
「では一年後に死ぬと言われたら?」
カリアの言いたいことが分かってクウルは溜息をついた。
一年後、は何もしないで待つには長い。その間に生き延びる事が出来る方法を探すことだろう。知らなければ何もしないが、知れば動いて、或いは本当に助かる道をみつけるかもしれない。生き延びる事が出来るのであればいいことだと思うが、いいことだけとは限らない。新しい未来が出来たことで‘最悪の事態’を招く可能性だってあるのだ。
だから星読みは深く関わらないのだろう。
星を読んで、自分好みの未来を作ることだってできるかもしれない。けれど、他を犠牲にするかもしれない。クウルには、未来を知ることは怖いことのように思えた。
「もう一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう?」
「竜王候補は絶対殺し合わなきゃいけないの? いやです、って逃げられねぇの?」
最後の一人になるまで、と聞いた。
嫌がっているように見えたシェンリィスにそんなことをさせるのは可哀想だと思った。何よりシェンリィスが誰かに殺されるかも知れないと言うのがいやだった。
「基本的にはそうですね」
「基本的には?」
「過去、殺し合うのを嫌がって、一人になる前に王位に付いた方がいらっしゃいました。残った他の候補者も納得の上でしたが、歪みは加速する一方で、とうとう竜王自身が狂ってしまわれました。故に殺し合うのが定めと言われています。ただ、過去に二つだけ例外があります」
クウルはじっと彼女を見つめた。
「一つは東方の大陸にアインハイトという国があった時代です。双子の竜がそれぞれ王侯補に選ばれました。他の候補を倒したものの、互いに殺し合うことだけは嫌がりそのまま即位してしまいました。皆前例のような事が起きるのではと懸念しておりましたが、二人は良く治め、寿命により力が弱まり、次の王の選定が始まるまで400年もの間治め続けたと言われています。双子王、双竜王などと呼ばれていますね」
「もう一つは?」
「人間の帝国であるアス最後の時代、竜王候補アルレイトがあろうことか人と契約を結んでしまいました」
「血の契約?」
「いいえ、人間の騎竜になるという契約です」
クウルは驚く。
騎竜になるということは人に使役されるということだ。クウルは人間に興味はあったが会ったことはないために特に何の感情も抱いていなかったが、多くの竜が人間に対して嫌悪感を持っている。今でこそ同盟が結ばれているものの、アス時代は人間の世界に足を踏み入れることも無かったはずだ。そんな時代に使役竜になるという契約をする竜がいるとは思えなかった。
「それって無理矢理?」
「竜と無理矢理契約出来る力をもった人間はいません、……と言いたいところですが、契約者は強い魔力を持っていました。アス討伐の英雄の一人騎士イクシールです。幸いにも互いに望んでのことのようでしたが、無理にでも出来た事でしょう。契約を結び縛ることで、竜王候補の枠から外してしまわれました」
「そんなこと出来るの? 契約だけで?」
「普通は無理だと思います。ただ、イクシールにはその体内に‘赤の神’と呼ばれる古代の神を有していたと言われています。神の力を持ち、その力が竜の力に勝っていたからこそです。……私も実際に知っている訳ではありませんので、詳しいことは分かりませんが、何らかの修正が行われ、アルレイトが外れても谷が揺らぐ事は無かったそうです」
クウルは黙り込む。
例外はある。
けれど並大抵な事では覆らないと言うことが分かる。長い歴史で二つしかないのがいい例だ。
シェンリィスのように知っている竜を殺して泣いた王候補もいただろう。或いは殺すのが嫌で自害を謀った竜もいたかもしれない。自分が死にたくなければ他を殺して王になるしかないのだ。
そんなのは理不尽なことのように思える。
竜王に選ばれるのは名誉と言われている。王候補でもそれは同じだ。だが、シェンリィスを見ていれば名誉を喜んでいるようには見えない。
「……何でこんな仕組みなんだろ。やりたいやつが立候補して、みんなでいい奴選べばいいのに」
クウルが呟くと、カリアがそれに丁寧に答えた。
「そうですね、私もそう思います」