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「レミアスの竜で‘シェン’というお名前……気付くべきでした」
カリアは息を吐く。
消耗が激しかったシェンリィスはベッドに寝かされ、その周囲に集まる形になった。シェンリィスに適切な処置をしているカリアの隣にはキイスの姿があり、窓際にミユルナが待機した。クウルはセイムの膝に座りながらシェンリィスをじっと見守る。
「カリアはコイツを知っているのか?」
「はい。この方はレミアス領主の四男、シェンリィス・レミアス様です」
「四男? 随分多いな。確かこの間領主家で娘が生まれたとか言っていたと思うが」
竜は長命種であるが故に子供を産む数も少ない。一つのつがいが生む数は二人程度が普通だろう。千年竜ともなる雌の竜ならばもっと生むことになるが、五人も産んだとなれば結構な人数を生んだことになる。
「レミアス領主は剣技の才能のある子供を自分の子供として引き取っています。シェンリィス様は正当領主家の血筋であったはずですが」
「……僕が、レミアス領主の……息子」
シェンリィスは自分に聞かせようとしているように呟いた。
キイスは頭の後ろを掻いて息を吐いた。
「レミアスから連絡は」
「そろそろあちらへ文が届く頃と思います。その……急ぎの文とはしませんでしたので」
判断間違いでしたと謝るカリアにキイスは頷く。
「まぁ、俺でもそうする。……に、しても、竜王候補か……。お前、他に何か思い出したことは?」
竜王候補は次の竜王かもしれない人だ。敬うべきところだが、キイスはいつもと変わらない口調だった。
シェンリィス自身もそれを気にした様子もなくキイスを見て首を左右に振った。
「何も。僕はただ、彼が竜王候補だって分かっただけで……それで……」
説明もしようもないことだと、彼は口ごもる。
キイスが苛立ちを見せるよりも早く、カリアが説明を加える。
「竜王候補同士、その血の匂いでかぎ分けられると言われていますから、シェンリィス様が本能的に感じ取られたとしても何の不思議もありません。記憶以前に本能が記憶しているのですから」
カリアは妙に世の中のことに詳しい。昔コラルで教師をやっていたことがあると言っていたが、実際どうなのか知らない。クウルにとってカリアは実母の友人であり、フェリアルト家に仕える女官であり、母親のような存在というだけだ。
「せんせー、カリア先生、質問いいですか?」
セイムが手をあげながら言うとカリアは頷いた。
「どうぞ」
「俺あのとき坊といたんですが、坊は‘王の戦いだから手出ししちゃ駄目’って言ったんです。どういう意味ですか?」
「竜王候補を候補でない竜が殺せば多大な影響を及ぼすものですが……クウル様があの時そう仰ったんですか?」
視線を向けられ、クウルは頷く。
「うん、言った」
「どうして竜王候補の戦いだと分かったんですか?」
「えー? わかんねぇ。何かシェンと同じ気配がして気持ち悪いって思ったんだ」
「同じ気配?」
「別の竜だってのは分かるけど、何かこう……同じもの食った後って、そいつら同じ匂いするだろ? そんな感じで、シェンとあの竜同じ匂いがしたんだ」
カリアは少し厳しい表情を浮かべる。
その表情を怪訝そうにキイスが見上げた。
「カリア?」
「……恐らくクウル様は王候補の証の匂いをかぎ分けたんです。王侯補の匂いは王候補でなければ本来感じられないものです」
キイスが目を見開いて目を瞬かせた。
「ちょっと待て、それはクウルが王候補と言うことにならないか?」
「どうでしょうか。クウル様が候補であるなら星読み達が知らせてくるはずです。それがありませんでした。……選定が始まった頃クウル様はまだ生まれていませんでした。そんな小さな子供が候補に選ばれた前例はありませんし、クウル様のように、その……」
カリアは言いにくそうにした。
クウルが竜になれない事を口にするのをカリアは嫌がる。クウルの母親が死んだ時、クウルの母親の腹を割いてクウルを取り出したのはカリアだ。だから、思い出すのだろうと思う。クウルのことを口にする時に、嫌でもその時を思い出すのだ。
クウルは彼女の言葉を引き継いで言った。
「竜になれない竜が竜王候補に選ばれた前例もない?」
「はい、そうです」
キイスは難しそうな顔で唸る。
「‘前例がない’が‘あり得ない’訳ではないからな。竜になったことがないクウルは竜の気配が薄い。星読み達が読みきれないのかもしれない」
「じゃあ、キイスはクーが竜王候補だと?」
ミユルナの問いにキイスは困ったように首を振る。
「あり得ない事じゃないっていってるだけだ。だいたい、この戦い方もろくに知らないガキが竜王候補の戦いに巻き込まれてみろ。一瞬で決着ついちまう。……可能性はない方が俺としては望ましい」
「あ、あの……っ」
黙っていたシェンリィスが声を上げると、全員の目が彼に集中する。
彼は少し肩を竦めおずおずと話し始める。
「クーは………王候補……じゃ、ない……です」
「根拠は?」
「僕が………その、違うって、思うんです」
「思う?」
「……その、うまく、説明、出来な……けど」
イラっとしたようにキイスの顔が引きつったのが分かり、クウルは反射的に耳を塞いだ。
あー、と後ろでセイムが唸った。
「がーーー!!! てめぇ、コラ、男だったらもっと腹から声だせってーの!」
「………うぁ、ご、ごめんな……」
ボロボロ泣きだした彼にキイスが更に大声を上げた。
「いちいち泣くんじゃねぇ!」
「キイス、サイテーまた泣かしたー」
「あはは、うちの領主様は顔怖いし声もでかいから、凄まれたらびびるのも無理ないですよ」
「……キイス、少しは落ち着いて話たらどうだ」
「うっせ、黙ってろ、外野! てめぇもさっきの戦いの時の勢いはどこへやったんだ! えぇ? 竜王候補なんだろうがっ!」
「……めんな……さ」
「がーー、だから、腹から声だせっつってんだろうがっ!」
さすがに身体が弱っているのが気に掛かっているのか、掴みかかることはしなかったが、シェンリィスはその勢いに怯えるようにボロボロと涙を流している。
クウルは先刻の戦いをセイムと一緒に見ていた。普段のシェンリィスとまるで違う人のような恐ろしい戦い方だった。ただ相手を殺すことしか考えていないように見えた。怖いと思うより呆気にとられたという方が正しいだろう。本当にあれがシェンリィスなのかと目を疑った。シェンリィスはそれでも人に迷惑のかからない位置まで竜を連れ出した。クウルが追いついた時には既に竜は絶命しており、血まみれの状態でシェンリィスが倒れていた。
目を覚ましたシェンリィスは、泣きじゃくりながら声にならないこえでごめんねと呟いたように聞こえた。
死んだ竜の有様を見ればシェンリィスが殺しを楽しんでいたように見える。尋常ではない殺し方をしていたのだ。目を覆いたくなるような程の光景だったのだ。けれど、彼は泣いていたのだ。あの涙は真実だろう。そして今流している涙とは別の種類の涙。
「……」
クウルは黙って泣いているシェンリィスを見る。
クウルを抱きかかえるように座っていたセイムが怪訝そうに問いかける。
「坊、どうしました?」
「えっ? ん、何でもない。シェンはホント泣き虫だな、って思って」
「シェンさんは少し気の優しいお人みたいですからね。うちの隊長も時々でいいからあれだけ可愛らしかったら和むんですけどねぇ」
じろりとミユルナがセイムを睨む。
「……セイム、聞こえているぞ」
「聞こえるように言ったんですよ」
「うーん、俺はシェンよりミユの方が可愛いと思うんだけどなぁ……」
言うと少しミユルナが戸惑った表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締める。
「……お前ら、おれがあんな風にメソメソしている姿思い浮かべてみたか?」
言われ、クウルは泣きじゃくるミユルナを想像してみる。
普通に可愛いんじゃないかとクウルは思ったが、背後のセイムは「うわっ」と小さく悲鳴を上げた。