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「っ!」
竜王候補の気配を感じてアグラムは大地を蹴った。舞い上がり、他の木を足場にするように蹴りながら一番高い木の上へと登った。
見渡す限り広大な森が広がっている。その森のずっと向こう側に強い竜の気配を感じる。気を狂わせそうな程の強い気配。それは王候補である証の匂い。
(……誰だ、この気配は)
アグラムは目を閉じ気配に集中する。
どこか狂気を孕んだ気配。どこか覚えがあると言うことは知らない竜ではない。けれど、特定するにはその人物の気配が薄すぎた。
やがてそれが誰なのか特定してアグラムは眉を顰めた。
「………あ? あいつか?」
それにしては妙だと思った。
歪みの気配に当てられて狂った竜のように奇妙な気配をしているのだ。アグラムの思った通りの人物なら、歪みに当てられ狂うなんて考えられなかった。
(あいつ、何を……)
森の向こうをじっと睨みながらアグラムは様子を窺う。
明らかに何かがおかしい。
そもそも竜王候補が狂うなんて、考えられないことだった。
「………っ!」
不意にもう一つ竜の気配を感じてアグラムは鳥肌を立てる。
知っている気配。
間違いようがないほどはっきりと感じるもう一人の王侯補の気配。
気が狂いそうだった。
殺したくて殺したくてたまらないあの竜の気配がするのだ。笑い出しそうなのを堪えても、口元に笑みが浮かぶ。
側にいる。
そう思うだけで全身の血が沸騰した。
殺し損ねた竜。
自分に深手を負わせるほどの強い力を持った竜。しなやかで、力強く、自分を惹きつけて止まない竜の姿を思い描く。
「……シェンリィスっ!」
口にすると魂が引き裂かれそうだった。
いや、もう引き裂かれているのだろう。
あいつが、自分の半分を持っている。
会いたい。
会って、あいつを殺し、その髄まで喰らい尽くしてやりたい。
激しい衝動がアグラムを突き動かした。
だが。
『駄目ですよ、アグラム様』
脳裏に声が響き、アグラムはそれを睨み付ける。
近くの木に降り立ったのは真っ白な鳥だった。それが普通の鳥でないことくらいすぐに分かる。意識だけ移している魔法で出来た鳥なのだ。
相手の気配を確かめて、アグラムは低く唸る。
「……ノアか」
『はい。……決着は程なく付きます。ハイノ様の王の命運が尽きようとしています』
「………」
『シェンリィス様はハイノ様の魂を喰らうでしょう。その直後を襲うことは禁止されています。貴方も本調子ではないシェンリィス様とやりあうのは本意ではないでしょう』
アグラムは舌打ちをする。
「……分かったような口聞くんじゃねぇ」
『すみません。……ああ、決着が付きましたね』
彼女が言うと、シェンリィスではない方の気配が消えた。アグラムは眉根を寄せた。あの二人が戦ったという割に決着が早すぎる。シェンリィスが竜の姿になってからそれほど時間は経過していないはずだ。
「……やけに早いな」
『ハイノ様はもとよりシェンリィス様を殺すつもりなどありませんでした』
「どういう意味だ?」
『ハイノ様は歪みを自らの身体に取り込み、少しでも支えになろうとしたのです。けれど、王ではなく‘リト’もいないハイノ様ではその負荷に耐えられませんでした。僅かに残った自我で他の王候補を探し殺して貰おうと思ったのでしょう。気配を辿って一番近くにいた候補に近づいた。それがたまたまシェンリィス様だっただけのことです』
馬鹿か、とアグラムは毒づく。
竜王は歪みを正す力があるという。歪みを支えることで竜の谷を安定させているのだ。だから王のいない竜の谷は歪みに傾く。竜王候補とはいえ、まだ王ではないハイノでは負荷に耐えられなくて当然だ。アグラムでさえもすぐに狂気の竜となるだろう。‘リト’がいなければなおのことだ。
「てめぇ、何故止めなかった?」
『お諫めはしました。でも、ただの星読みの私にはお止めすることは出来ません』
「……てめぇが‘ただの星読み’な訳ねぇだろ」
『私は星の軌道を読み、伝えるだけの者です』
アグラムは不快そうに眉を潜め彼女を睨む。
「……何しに来た?」
『何のことです?』
「てめぇが俺を止めるために鳥を出したとは思えねぇよ」
くすりと女の声が笑う。
『よくお分かりですね。………レシエがこちらに向かっています』
「……ん……あぁ? あいつが? 何で?」
『‘あの悪魔を殺す’と言っておいででした』
アグラムは鼻先で笑う。
「はっ、あの程度の力で殺せる訳ねぇだろ。寝言は寝てから言え」
そもそも竜王候補を候補でない者が殺すのは禁止されている。南方将軍の号を得た彼女もそれを知らない訳がないだろう。
『寝言ではありませんでした』
「馬鹿か、あの糞女。人を悪魔と罵る前に自分の発言脳味噌通せよ」
『レシエは昔からそうでした。対等な位置に立ちたいという理由で四方将軍を目指して本当になってしまうような人ですから』
アグラムは声を低くして笑う。
「……だが、殺せない」
『はい、ですが、万一と言うこともあります』
「ねぇよ」
『取り急ぎ連絡を取るために鳥を出しました。本当でしたらシェンリィス様にもお伝えしたいところですが、私が無断で入る訳にはいかない場所にいらっしゃいますので』
「フェリアルト城か……」
『はい。事情は詳しく分かりませんが、現在シェンリィス様はフェリアルト領主代理キイス様の保護下に入っております』
「……何やってんだ、あの野郎」
竜王候補がどこかの領主の保護下にはいるなどという事はあり得ないことだ。町中で竜になれないことを利用して人の姿同士で戦うつもりなのだろうか。シェンリィスは人の姿で戦うのが得意だ。飛翔王アスカを師としているためだろう。元々の才能やレミアスの剣の技術も加わり、成竜になる頃には見かけにそぐわない能力を持った竜となっていた。戦うことを嫌う性質であるためにそれを知る者は少ないが、アグラムが誰よりも苦戦する人物であると知っている。
人の姿で戦うのを目的としているとはいえ、まるで逃げるかのような行為に眉を顰める。
何かあった。
そう考えるのが妥当だろう。
アグラムとの戦闘で消耗しているため、癒している可能性も否定出来ないが、そろそろ調子を戻していてもおかしくない頃だ。いくらハイノが勝つつもりがなかったとしても、あの短期間で決着が付くとなれば、傷は完全に癒えていると言っても間違いないだろう。
ならば何故外に出ないのだろうか。
そもそも癒すためとはいえ、シェンリィスが他の領主に泣きつくのは考えられなかった。
そう言う性格の男ではない。
それはアグラムが一番知っている。
「……フェリアルトへ行く」
『今はまだ……』
「手出ししねぇよ。様子を見るだけだ」
アグラムは言って口の端を吊り上げて笑った。
「止まらねぇかもしれねぇけどな」
二章 了