5
剣を手にすると妙に冷静になる。
引き抜いて鞘を身体に同化させると剣は微かにうす緑色に輝いた。
「竜王候補って……お前、何故分かる」
キイスの厳しい声が聞こえる。
シェンは少し振り向いて彼を見る。
「さぁ、何でだろ」
分からない。自分の事だって曖昧なのに分かる訳がない。けれど、感じるのだ。
あの血の匂いは、竜王候補。
考えると頭の中から戦いの本能が目覚める。過去に何度も経験した。命の駆け引きをするあの感覚。
シェンは部屋の窓枠に足をかけると、窓を開け放った。
激しい風が部屋の中へと吹き込んでくる。
「おいっ……!」
「手出し無用。住民を安全な場所へ」
自分の口から出たとは思えないほどの静かな声だった。
引き留めるような二人の声が聞こえたが、今はそれに構っていられなかった。自分の身体に魔法を纏わせると一直線に竜の元へと飛んだ。
竜の様子は明らかにおかしかった。
正気を失っている。
苦しそうにもがくようにただ暴れているだけに見える。
(……そう、君‘は’死にたいんだね)
彼の真横を通過すると、その瞳にようやく正気の色が戻る。
『しぇん………りぃす?』
「そう、僕のことを知っているんだね」
『ぅあ? あああああああしぇんりぃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
竜はもがくように羽ばたく。
『ころして。はやく、おれを、ころして』
「ここじゃ駄目。町の外にでよう」
『おれが、しぇんりぃすころすまえに、はやくころして』
竜は羽ばたきながらシェンに角を向ける。
くる、と本能が感じる。
シェンは空中で剣を構えた。地上で戦う時のように足の踏ん張りが効かない分、力が分散するだろう。剣に、自分の魔力を集中させる。
『ああああああああ!!!』
叫び声なのか、それとも悲鳴なのか。
竜は叫びながら突進してきた。
その軌道がはっきりと分かる。
何度も、何度も、‘彼’とはそう言う訓練をしたのだから。
シェンは町の外の方へ向かって後ろ向きに移動しながら、彼の角の軌道を見つめる。
短い時間のはずだが、戦闘の匂いで酩酊したような頭では速度がゆっくりと感じる。角が自分の眼前に迫っていた。
「………っ!」
シェンは剣でその角を跳ね上げる。
竜の力を乗せた細い剣は折れることなく強い力で彼を跳ね上げた。
竜が大きくのけぞった。
『いたい、いたい、しぇんりぃす、いたい』
咆吼と共に脳裏に声が響く。
竜の目から涙がこぼれる。
「大丈夫、僕が楽にしてあげるから」
『しぇんりぃす、いたいよ、くるしいよ、はやくころしあああああ』
竜の目が少し正気を失いかけていた。
時間がない。
はやく決着をつけなければ。
「おいで、こっちだよ」
誘導するようにシェンが動く。
大きな咆吼を上げて竜は身体をくねらせた。シェンを追い掛けるように竜が付いてくる。本気でシェンを殺そうとしているかのように、竜はその角で幾度もシェンを貫こうとしていた。それを避けながらシェンは町の外へと飛んだ。
やがて、広い平原へと着く。
まだ、竜の姿になってはいけない距離だ。だが、シェンは翼を大きく広げた。二対の翼、白茶色の身体、そして鬣。それが、シェンの本来の姿。
竜の姿に変わったとたん、その竜の攻撃が激しくなった。襲いかかる角をシェンは爪で止めた。
『あー、あーしぇんりぃす……しぇんりぃす!!』
『……くっ』
ぎちぎちと角が鳴る。
このままでは砕けて散ってしまうことは分かっている。けれど、シェンは押さえつけるのを止めず、彼も押しつけるのを止めなかった。
ばりん、と角が砕けた。
悲鳴のような叫び声。
もがき苦しむような竜の首筋に向かって、シェンは食らいついた。本能が感じる死に対する恐怖からの錯乱か、竜は大きくもがくが、もがくたびにシェンの牙が鋭く喉元を抉っていく。
血の味が広がる。
竜の血。
竜王と成り得る者の血。
『……っ』
頭がくらくらとした。思考を手放したくなるような快感にも似た興奮がシェンの中を駆け抜ける。
(支配されては、駄目だ)
シェンは目を開き彼に食い付いたまま急降下していく。
思い描くのは大地から突き出る剣。
その思考に反応するように急降下した先に大きな岩で出来た剣が出現する。シェンはそれに向けて竜の身体を叩きつけた。
断末魔の叫びを聞いた。
竜の身体は大地の剣に貫かれ、心臓を抉られる。首から上はシェンの牙で引き裂かれ吹き飛び、ごろりと大地へと転がった。
引きちぎられ身体と分断されてもなお、意識の残る頭部は、シェンを見つめていた。
『…ご………んね……しぇ……おれの……』
最後までは言葉にならなかった。
彼が言葉にする前に、シェンは竜の頭に牙を突き立て彼の意識が残る部分をかみ砕いた。血や鱗が飛び散り当たりに飛散する。
酷い血の匂いが当たりに広がる。
完全に彼の意識が無くなったのを確かめると、シェンはゆっくりと彼の頭部から口を離した。
「ん………」
シェンは自分の身体を人のものに戻す。
言いようのない不快感が全身にあった。口の中に嫌な味が広がっている。一瞬酔いそうになったそれは、竜の血の匂い。肩で息をしながらシェンリィスは自分の口元を拭う。
拭った手にもべっとりと血が付いたが構っていられなかった。
いそがなければ。
これ以上、彼を苦しめたくない。
「どこ」
シェンは砕けた竜の頭に腕を突っ込んだ。
ぐちゃり、と不快な音が聞こえる。
まだ死んだばかりなのだ。
生暖かく生々しい。ぬめるような嫌な感触がある。
それでもシェンはそれをさがす。
やがてふわりとした光と共にそれが竜の頭からゆっくりと浮かんでくる。荒い息のまま、シェンは腕を抜いた。
血にまみれた手のひらでで光るそれに優しく触れる。
ゆっくりと光がシェンの手に吸い込まれていく。
これで、この竜の戦いは終わった。
最初から勝つつもりのない戦いは、シェンの勝利という形で終わった。
シェンは動かない竜を見下ろして微笑む。
「おやすみ、ハイノ、君はもう、自由だよ」
言って、シェンは意識を手放した。