第37話 憎しみに隠れているもの
「先生の蒼蘭光石と君のペンダントのおかげで、母さんの魔力を辿るのが予想よりも簡単だったんだよ。ありがとう」
「え?」
顔を上げると、バルタザールは微笑んでいた。
生真面目な彼の、それは初めて見る作り物でない笑顔のような気がした。
前を向いた少年は、静かに切りだす。
「先生、あなたの呪いは老いたのちに若返る。それを延々と繰り返すことですね?」
トアンの眉がぴくりと動くが、バルタザールは構わず続けた。
「俺が母さんと暮らしていた頃、あなたは若かった。今の俺よりも一、二歳年上といったところでしょう。そして俺が三百年後のこの国にやってきた時、あなたは五十代か六十代の見た目でした。もっと早く、気づくべきだったんだ。ここで出会った当初から母さんの名前を知っていたこと。俺が時間魔法を使えることを説明もせずにわかっていたこと。それを覚えていれば、この一連の事件はそもそも起こらなかったはずなんだ」
トアンは低い声で嗤う。
「逃げるために魔法を使い、そのせいでほぼすべての記憶が無くなったのでしょう? なら仕方がないじゃないですか。嘆く必要がどこにあります?」
「後悔もしたくなります。あなたの呪いを、少しでも早く穏やかなものに出来たかもしれないのに」
突然、トアンのまとう空気が変わった。彼が指先を動かしたとたん、バルタザールの周囲を黒色のもやが取り巻く。
「くっ……」
自らの胸を押さえ膝をついた少年へ、稲光のような怒声が落ちた。
「あの母親にしてこの子供ありか! そんな慰めなど要らない。稀代の到達者は、稀代の嘘つきだった! 私どころか〈嫌われた血族〉の誰一人、救えなかった詐欺師だ!」
バルタザールは宙に浮かび、トアンの元まで引き寄せられる。摩李沙は叫んだが、足が震えて動くことも出来ない。
どさり、と音をたてて転がったバルタザールは、痛みの失せた胸を確認するように撫でる。だがすぐさまトアンに胸倉をつかんで起こされた。
しかしその瞳は、トアンの視線をしっかりと受け止める。
「十年以上前に君を見つけた時、とても嬉しかったんですよ。師匠へ良い報告ができると。それと同時に、復讐も私の思うがままだと歓喜しましたよ」
トアンは空いた片方の手で、バルタザールの拳を強くつかむ。そこに、母が息子のために残した蒼蘭光石があるからだ。
「アルシノエは大した魔法使いです。事故とはいえ、息子は傷ひとつ負うことなく三百年後の世界にやってきた。いずれあなたが魔法具を見つけるようにと、魔力のない偽物さんの元へ石を送り、安全なところで守られるように仕向けた――ああ、確かに称賛されるにふさわしい、最高のお方だ」
最後の言葉には、遠い昔に隔てられたアルシノエへの憧憬が滲み出ていた。バルタザールは一瞬、幼い頃の記憶に呑まれる。
数名いた母の弟子達の中で、年若い彼が最も目を輝かせていた。
師匠を一心に敬い、呪いの解明に全身全霊を捧げる熱意があった。魔法をしっかり教わっていなかったバルタザールにすら、それは感じ取れていたのだ。
トアンをここまで蝕んだのは、あまりにも長い歳月。
理不尽な呪いによる、言葉などではとうてい表せない苦痛。
希望が絶望へ、敬愛が憎悪へ反転するのは当然の成り行きだったのだろう。
バルタザールは、あえて言った。
「母さんは、あなたに限らず皆を救うつもりでいた。それは息子の俺がよく知っている」
胸倉だけでなく首にまで手がかかる。バルタザールは、両手でトアンの手をひきはがそうともがいた。
そのせいで石が手から転がり落ちたが、二人は気づいていない。
「まだ言うか。あの女は誰も救えなかったというのに!」
獣がうなるような低い声に、バルタザールはかろうじて息をしながら返した。
「じゃあなぜ、先生はどうして、蒼蘭光石を研究の対象にしてたんですか?」
トアンが明らかに動揺する様が、離れている摩李沙にも伝わった。
先ほど摩李沙が質問をぶつけた時とは様子が違う。
きっと、バルタザールとアルシノエの瞳が似ているからではないだろうか。
「母さんを憎んでいるならば、俺を気のすむまで害したいと思っているならば、どうして、母さんに少しでも関わりのある研究をしていたんですか?」
トアンの手が緩み、バルタザールは大きく息をした。
トアンは首を横に振る。
「黙れ。そこに何も意味はない」
「先生は、母さんが憎い。けれども一方で、母さんの魔法を受け継ぎたかった。そういうことじゃないんですか?」
「違うと言っている!」
「先生の心の中には、どうしても消せない願いがあった。だからその分憎しみも強くなる。違いますか?」
二人の間で光がはじけ、バルタザールは近くの壁面に叩き付けられた。衝撃であたりに砂ぼこりが舞う。




