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義母狙いの令嬢、美貌の公爵令息に挑む

掲載日:2026/04/23

 私、ノア・ジェルジュ伯爵令嬢は、前世の記憶がある。所謂、転生者だ。


 前世28年分の記憶を持った私は、幼少期からの英才教育を余す事なく吸収し、貴族たる作法を完璧に身につけた。結婚適齢期になると『あなたはどこに嫁いでも恥ずかしくない立派な淑女よ』と母からお墨付きをもらい、両親は私が結婚すると信じて疑わない。


 私は前世結婚していた。モラハラ夫とモラハラ義母。結婚に良い思い出はない。前世の実母が病に伏せ看病したいと願った時も、亡くなった時も、私は家から出る事を許されなかった。私は、結婚して実家から出た事を後悔し、二人を恨んだまま死んだ。

 だから私は、今世で結婚する気はなかった。


 そんな私の考えを180度変えることになったのは、ある春の日の夕暮れだった。


 久しぶりの舞踏会に参加するため馬車で向かっている最中。行手に馬車が停車しており、私たちの馬車は立ち往生を余儀なくされた。

 困り果てた様子で佇む、光沢のある上質なドレスに身を包んだ女性に、私は背後から話しかける。


「どうされましたか?」

「…その、車輪が壊れてしまって…」


 彼女が振り向いた時、私の世界が一瞬止まった。


(龍本小牧様!!)


 それは、前世で私が追っかけをしていた大女優の名前。そして、私の目の前にいるのは、その龍本小牧と瓜二つの麗しいご婦人であった。


(まさか、もうお目にかからないと思っていたのに…!!)


 私は荒くなる息を噛み潰して、困り果てた様子のご婦人を助けるために動く。


「…もしよろしければ、私の馬車に予備の車輪を積んでいるので、試してみましょう。取り付け出来なければ、御者に飲食料を渡しここで待機してもらい、あなた様だけでも私と共に王都へ向かいましょう。夜はまだ冷えます、お風邪をひかれたら大変です」

「あら、まぁ、なんて親切なご令嬢かしら…、でも悪いわ」

「とんでもございません。ここの道は荒れていて、事故は日常茶飯事です。こんな時は互いに助け合わなければなりません」

「…本当に、お言葉に甘えていいの?」」


 私は勿論と頷いて返す。すると、ご婦人は花が咲く様に微笑まれた。

 結局、ご婦人は私の馬車に同乗した。


「王都の息子の元へ行く途中だったの。領地には滅多に帰って来ないから、こちらから出向かないといけなくてね。騎士の仕事が充実しているようで、家族は放ったらかしなのよ。結婚する気もないみたいで…」


 ご婦人はよく喋った。おかげで、私はご婦人のパーソナルな情報を知る事ができる。

 彼女はサラン・ハーディスト公爵家夫人。辺境の地を王より任せられた名門ハーディスト公爵家当主の奥様だ。

 サランには22歳の一人息子レディアスがいる。私も22歳なので同い年だ。彼は、王都で近衛騎士として勤めており、結婚はおろか女性の影もないらしい。


(レディアス・ハーディスト公爵令息…、聞いたことある。難攻不落の美貌の公爵令息とか言われてたような…)


 私の容姿は特別秀でてはいない。前世の凡庸な見た目と比べれば、今世は格段に可愛くなったと思う。しかし、この世界の美の基準は高く、結局今世でも平凡な令嬢である。私は中背で化粧映えする今世の容姿が好きだが、美貌のレディアスに選ばれる自信はない。


「はぁ、ノアさんが息子のお嫁さんだったらいいのに…」

「私でも手に届く男性だったら、婚姻をお願い出来たのに…」


 サランと私の呟きが被る。私たちは顔を向き合い、驚いた表情を見せ合った。


「失礼だけれど、あなたは独身なの?」

「サラン様は、私が嫁でもいいのですか?」


 お互いの疑問が重なり合ったところで、私たちはお互いの願望を察した。そして、結託したのだ。


「私は息子の事なら全て分かるわ。レディアスを恋の穴に落としてしまいましょう!」

「お、お願い致します!!」


 サランは私の手を握った。白く細い絹の様な触り心地の良い手だ。彼女の長い睫毛が縁取った大きな瞳に、私が映ってる。


(サラン様がお義母様になって下さるのなら、もう一度結婚してもいいかもしれない)


 


 ーーーー



「レディアス様、もし差し支えなければ私と踊ってくださいませんか?」

「…」

(また無視された…)


 正直にいうと、サランの助言は功を成していない。というか、助言を使うまでに至れないのだ。

 あれから三ヶ月。私は呼ばれた舞踏会、全てに参加し、レディアスと出会える機会を作った。そうまでして、会えたのは四回。そして、話掛けて返事が返ってきた事はゼロだ。彼に群がる令嬢の壁をかき分けて、必死に話掛けているのだが、彼は平等に令嬢全員を無視する。


(話し掛けても返事がないのでは、やりようがないわ…)


 それでも、私は諦められなかった。レディアスはサランと顔のつくりが似ている。彼を見ているだけでサラン、そして前世の推し龍本小牧様を思い出し、私を奮い立たせた。


(舞踏会中に話しかけるのがいけないんだわ。いつも舞踏会の途中で返っていたけれど、終わるまで待って声を掛けてみましょう)


 次の舞踏会は王主催。となれば、必ず近衛騎士であるレディアスは参加するはず。そう考えた私は、遅くなっても王都に泊まる事ができるよう宿を手配した。


 そして、王主催の舞踏会の日。私は予定通り、帰り際のレディアスに声を掛けようと、彼の動向を遠目で探っていた。

 しかし、いつまで経っても話し掛けられない。というのも、彼は今日の舞踏会を近衛騎士として参加していたのだ。さすがに職務中の彼には話し掛けられず、私は王宮の大広間の隅で、彼が職務終了する時を待っていた。


「君、帰らないの?」


 いつの間にか隣に立っていた男性に声を掛けられる。レディアスに集中しすぎて、気配に気が付かなかった。


「えっ、私?…いや、帰らない訳ではないのですが…」

「あ、そう。じゃあ家まで送ってあげようか?帰りたくないなら、僕の家でもいいけど」


 怪しく笑う隣の男は、徐々にこちらへ近付いてくる。その姿に、私は前世の夫を重ねた。昼間は鬼のように怒りを発散する癖に、夜の時だけニヤニヤと笑うアイツ。


「いえ、結構です」

「…君、ノア・ジェルジュ伯爵家令嬢でしょ?ハーディスト公爵家令息の取り巻きの一人の。彼は君の手に負える相手ではないと思うけど」

「…」

「僕のことまさか知らない?ラルク・サーナイト公爵令息、聞いたことない?付いてきてくれれば、悪いようにはしないよ」


 突っぱねるように言ったつもりなのに、彼は引き下がらない。レディアスの取り巻きと知ってて声を掛けてたなんて、いやらしい男だ。

 名前を聞いて思い出したが、ラルク公爵家令息は、レディアスに負けず劣らずの色男で有名人だ。レディアスが美男子なら、彼は美丈夫といったところ。私に下品な誘い方なんてしなくても、女性に困るようには見えない。

 私も年頃の令嬢なので、お誘いは何度かされた事がある。断る文句は決まっているのだ。


「結構です。レディアス様以外、興味はありませんので」


 レディアスを追いかけているのは、サランを義母にするためなのだ。身分や容姿が目的ではない。


「…へぇ〜、面白いね。僕の誘いを断ったのは君が初めてだよ」


 ラルクは眼を大きく開けて驚きながら、軽やかに笑う。そして、すんなりとその場を去っていった。

 私はようやく解放されて、視線をレディアスに戻す。


(嘘、いない!)


 ラルクと絡まれている間に、レディアスの姿は消えていた。私は慌てて大広間から出て、辺りを見回し彼の姿を追った。


 結局、レディアスは見つからなかった。

 私は捜索を諦めて、宿に向かう。街灯に照らされた王都の街路は、昼間の賑わいが嘘のような静かさだった。


(無音って怖いな。前世の夜道とは違う怖さだ)


「おい」

「ひぇぇ!」


 背後から突然声を掛けられて、驚いた私は悲鳴を上げた。


「…悪い、驚かせるつもりはなかった」


 後ろを振り返ると、外套を纏ったレディアスが立っていた。黒色の外套が夜の闇に馴染み、美貌の顔だけが輝いているように見える。


「い、いえ、私こそ声を上げてしまい、失礼致しました」


 私はターゲットの出現に戸惑いが隠せない。彼の声を聞くのさえ初めてだ。何故この場所にいるのか疑問は浮かぶが、こんなチャンスは二度とないかもしれない。

 私は、サランに教えてもらった、レディアスの心得を思い出した。


『一、光る物が好き』


 私はロングの髪を両耳に掛ける。そして、頭を横に振った。

 サランから借りたイヤリングがシャランシャランと、音を立てる。黄色に輝く宝石が散りばめられた高価なアクセサリーだ。


(どうかしらレディアス様。宝石キラキラ光ってる?)


「…どうした、頭でも痒いのか?」


 素っ頓狂なレディアスの台詞に、私は顔が熱くなる。この行動に効果があるようには思えなかった。

 イヤリングを揺らすことをやめて、「虫がいました…」と言い訳をいう。


(サラン様、彼は本当に光り物が好きなんですよね?全然、宝石見ていないけれど…)


『ニ、面白いものが好き』


「王都の夜って明るいですね」

「…うん?あぁ、そうだな?」

「でも、街灯がない所は暗くて危ないです…、おうっとっとっと……」

(王都とおっとっとを掛けたんだけど、どう?)


「気をつけなさい。怪我でもしたらどうする」


 レディアスは、転けるふりをした私の腕を支えてくれた。遠巻きに見ていた彼は細い印象を受けたが、近くで見ると逞しい。近衛騎士という職に就いているだけあって、立派な体躯をしている。

 私は、「も、申し訳ありません…」とすぐに姿勢を直して、彼から離れた。不発のダジャレも、姿勢を崩した行動もとても恥ずかしい。


(この世界にはダジャレなんて文化なかったの忘れてた…。スベってしまったわ。あぁ、サラン様に助言頂いてるのに、これでは逆効果よ)


「…では、失礼します。おやすみなさい」


 私はもう耐えられなかった。これ以上恥をかく前に彼の前から去りたくて、逃げるように離れる。

 しかし、レディアスは逃してくれなかった。


「待て。どこに帰るつもりだ」

「宿へ…」

「あなた一人で泊まるのか?こんな夜遅くに」

「はい、今日はそのつもりでして…」

「令嬢が夜中に一人で歩くなど、見過ごせない。宿はどこだ、部屋まで送ろう」


 レディアスは正義感の強い、真面目な人物だった。想定外の彼の行動に呆気に取られながら、足早に歩いていく彼を追う。彼の隣で歩くと、何も怖くなかった。


(頼もしい方だわ。さすが、サラン様の息子さま)


「良い宿を取ったな。ここなら防犯は問題ないだろう」

「…はい。送って頂きありがとうございました」


 泊まる宿の前に到着し、レディアスにお礼を述べる。道中無言で歩き、私は気疲れしていた。一刻も早く彼と別れて部屋で休みたい。これまで追っかけ回していた彼といるのに、変な話だが。


「…ジェルジュ伯爵家にはいつ戻る」

「明後日帰る予定です。…私の家名ご存知だったのですね」

「当然だ。舞踏会に参加している者は全員顔と名を覚えている。…なぜ明日ではないんだ」

「明日開催されるタナーマン侯爵主催の舞踏会に参加する予定なので、もう一泊します」

「…君は、舞踏会に随分熱心なのだな」


(なんか、遊び呆けてる印象持たれちゃったかしら?…日帰りで二日移動するよりもコスパがいいんだけれど)


「明日、私も舞踏会に参加する。宿まで送ってやるから、帰る時は待つように」


 レディアスはそう言い放つと、踵を返して去って行った。願ってもいないチャンスが舞い込んできたことに、私は一人になってから気がついた。



 ーーーー



 翌日の舞踏会後。レディアスは自ら私に声をかけてくれた。


「昨日はよく眠れたか?」


 改めて光の当たるところで見ると、とんでもない美男子だ。私は、サランの面影のあるレディアスに緊張しながら、頷いて返す。


「それは良かった。昨日言い忘れたが、近頃の王都は窃盗や強盗をする輩がいて危ないんだ。だから、華美な装飾品は、会場から出たら外して隠しなさい。そして、足元には充分に注意するように。君は昨日転びそうになっていたし足腰が弱いようだから、ダンスは控えなさい」


(父親みたいなこと言うのね、レディアス様)


 レディアスとは昨日初めて会話をしたのだが、彼は想像していた冷たい人物ではなかった。


「ふふ、お心遣いありがとうございます。気をつけますわ。レディアス様はお優しいのですね」


 私は思わず笑っていた。麗しい見た目と規律の厳しい父のような話の内容とのギャップが、面白かったのだ。


「…君は私を優しいと言ってくれるのだな…」


 レディアスはポツリと呟き、宿まで私を送り届けると夜の闇に消えて行った。私は不思議な魅力のある彼のことを考えながら、宿に入った。




 ーーーー



 それから、気付けば三ヶ月が経っていて、レディアスと私の距離は接近した。


 サランからの助言であるレディアスの心得は実践している。

『三、格好良い人が好き』については、メイクを男装風に変えてみた。

『四、力持ちが好き』については、前世で習っていたキックボクシングと筋トレを再開し、上腕二頭筋を彼に披露した。

 どれも、アピールした時には良い反応が見受けられないのだが、じわじわと効いているのかもしれない。


 舞踏会で会えば会話を交わすようになり、直近では彼から踊りを誘ってくれた。

 彼の所作は美しく無駄がない。ダンスが不得意ではないが、彼の相手として不足ないよう必死に舞った。踊りを終えた時は不思議な達成感があった。


「今度、王都でお茶でもしないか?」


 レディアスからそう誘われたのは、舞踏会が終わり私が馬車に乗りあげた直後だった。

 俯く彼を見下ろすと、艶やかな金髪から覗く耳がほんのり色づいているように見えた。


「え、私とですか?」

「君以外に誰がいる。…場所と時間は手紙を送る。返事をくれると嬉しい…」


 話し終えると、彼は逃げるように去って行った。

 願ってもいない彼からの誘いだ。すぐにでもサランに報告して、作戦を練らなければいけない。それなのにーー。


(レディアスは、私がサラン様の義娘となるために結託していることを知らないわ。この事実を知ったら、彼はどう思われるかしらーー)


 私はレディアスに罪悪感を抱き始めていた。

 

 レディアスからの手紙は、すぐに届いた。

『三日後正午にジェルジュ伯爵家に参上致す』

 初見で読んだ時は、怪盗の予告状かと思い、少し笑ってしまった。

 レディアスからの手紙は自室の文机に飾った。そして、暇さえあれば彼の綺麗な字と文を眺めた。その隣には、サランから届いた手紙も飾ってある。


(サラン様と字も似てらっしゃるのね)



 ーーーー


 

 レディアスとの約束の日。


「あんの!元!旦那!め!」


 私の朝は、元旦那人形を蹴るところから始まる。レディアスへの筋肉アピールの為に、久しぶりに再開したのだが、いい息抜きになっていた。

 身体が温まると、私は軽く身体を拭き、続いて筆を取った。

 自室に並んだ二枚のキャンバス。一枚はサランの肖像画だ。もう一枚はその肖像画を模写しており、顔の輪郭しか描かれていない。


(よーし、今日も推し活よ)


 私は離れている間もサランのご尊顔を眺めていたかった。だから、彼女に肖像画を借り、模写している。

 正午にレディアスが来訪するため、今日は午前中しか時間がない。


(今日は、瞳と鼻、それから眉も描きたいわね)


 集中して描いていると、二時間ほど経過したところで顔が概ね出来上がってきた。後は長い髪の毛を描けば、彼女らしくなるだろう。髪がなければ、レディアスのようにも見える。二人は顔の造形がとても似ているのだ。

 私が絵を眺めていると、扉からノック音が聞こえてきた。返事をすると、扉の向こうから母の声が聞こえる。


「ノア、ハーディスト公爵家のレディアス様がお見えになりましたよ」

「えっ!もうそんな時間!?」


 朝から筋トレをして汗をかいているし、手や顔は画材で汚れている。

 いや、それよりも、この部屋はまずい。文机にはサランとレディアスの手紙が飾ってあるし、サランの肖像画もある。あと、キックボクシング用の天井からぶら下がった謎の人形(元夫似)まである。


(こんな部屋、絶対見せられない!!)


「お母様、レディアス様に貴賓室でお待ちになるように伝えてくださいませんか?」

「あら、もうお連れしてしまったわ」


「ノア殿、無礼なのは承知の上だが、緊急なのだ。今すぐ君に言わなければならない話がある!」


(緊急?何の話?え、待って、え!)


 私が慌てている間に、レディアスはズカズカと侵入してきた。流石に、無礼すぎる。

 室内を見られる前に、レディアスを部屋から追い出すべく、私は訴える。


「え!レディアス様!私も一応女でして、そんな押し入るなんて…っ!」

(早く追い出さないと!こんな部屋見られては…!)

「あの道は何だ」


 レディアスのあまりの剣幕に、私は怯む。


「君が王都へ訪れる際に、通る道を見てきた。あんな危ない道を使っていたなんて…!森の細道も倒木だらけで危なかったが、特に酷いのは崖沿いの裏街道だ。行き道だけで、落石が二度もあったぞ」

「あぁ、確かにそうかも知れません…」

「理解していて何故その道を使う…。何かあってからでは遅いだろう!」


 レディアスの言い分は正しかった。私の使う道は王都の整備対象から外れている裏街道で、荒れている。ただ、その道を通らなければ、王都へ行くまで丸二日移動に要するのだ。それは勘弁したかった。


「一刻も早く整備しなければ…!百歩譲って、あなたは道に慣れているかも知れないが、初見の者が通れば、事故や遭難しても不思議ではないぞ」

「…あ、お願いします!前にサラン様も事故に遭われていましたし…」


 整備してくれるならば、お願いしたい。一伯爵令嬢が国に掛け合うよりも、近衛騎士の公爵令息が意見を言った方がいいだろう。

 すると、レディアスは「うん?」と首を傾げた。


「サラン、私の母と同じ名だ。……そういえば、母が数ヶ月前に脱輪して令嬢に助けられたと話していたな…」


(しまったわ!よりにもよってこの部屋にいる時にサラン様の名前を出すなんて…!)


「『天使のような令嬢だった』と言っていた…!ということはまさか、あなたが!?」


 レディアスは新事実が明かされた!と言わんばかりの驚きを見せた後、私の顔を熱のこもった瞳で見る。彼の眩い眼差しに、私は耐えられずに顔を逸らした。


 ふと、思い出したように彼は部屋を見回し始める。


「…あれは何だ?」


 レディアスの視線の先にあったのは、サランの肖像画と、その画を模写した途中のキャンバスだった。


「うっ、そ、それは…」


(もう終わりだわ。サラン様の肖像画とその模写を見られてしまった。これではあなたの母のファンと言っているようなものだわ…。もう観念しましょう…)


 私はレディアスに全て話してしまおうと、腹を括った。いつまでも隠し通すことは出来ないのだ。

 サランと義娘の関係になれる望みがなくなるのは悲しいが、彼を欺いてまで叶えたくはない。そもそも、上手くいってもレディアスが私と結婚してくれるはずがないのだ。

 私はいつの間にか、レディアスのファンになっていた。麗しく逞しい容姿ではなく、誠実で優しい彼の内面に憧れを抱いている。


(さようなら。私の二人目の推しーー)


「これは…私か?」

「え?」

「母の馬車を助け仲良くなり、私に似た母の肖像画を手に入れ、私の肖像画を描こうとしているのか?」

「は?」

「あの文机に、母がよく使う便箋が飾ってある。文通しているのだろう?…あぁ、私の送った手紙も飾っているじゃないか…なんて健気な…」

「…」

「あのおぞましい人形はなんだ?…あれもまさか私か?…あなたはどれほど私のことが…」


(いや、違う。全然違うわ。どこをどう見たらそうなるのよ)


 私は呆気に取られて声も出なかった。レディアスは都合良く勘違いしてくれている。

 レディアスは、普段の冷たい印象を与える表情筋を綻ばせていた。頬も血色良く赤らめている。形の綺麗な手を眉間に当て、悩むポーズを取る。


「…あなたには参った。……あの道を通らせる訳には行かないから、今日の約束はまたの機会にしてくれ。整備するよう国に掛け合うから、直るまでは王都へも来ぬようにしなさい。……少し時間がほしい。では、また」

 

 私が話す暇もなく、レディアスは屋敷を去った。


「ハーディスト公爵家の令息は、随分と熱心なお方なのね…。私、孫が楽しみ…」


 母はうっとりと強請るような目で私を見た。今世の母は、どうしても私に結婚してほしいらしい。前世の母に恩返しできなかった分、彼女の願いを叶えたい気持ちはあるのだが、簡単な話ではない。


 取り残された私は、すぐにサランへ手紙を書き始めた。



 ーーーー



「うふふ、あはは」

「公爵夫人様、笑い事ではないですわ」

「だって、私の息子ってば可笑しいんですもの」


 手紙で事の顛末をすでに伝えていたと言うのに、サランは私がレディアスの話をするも笑い出した。鈴のような笑い声は聞いていて心地良いが、今はそんな事を言っている場合じゃない。

 レディアスの働き掛けにより、王都への裏街道は無事安全なものになった。そして、私はようやく王都でサランと会うことが出来た。


「公爵夫人様、私はレディアス様に伝えようか迷っているのです…!」


 私は迷っていた。レディアスが私の屋敷に訪れてからふた月経つ。その間、彼から音沙汰はなく、私は毎日彼のことを考えてしまう。


「ノアさん、まず私のことは名前で呼んで。会った日にお願いしたじゃない」


 私は戸惑いながらも頷いた。王都でサランと会うのは初めてだったので、名前に様付けでは失礼だと思ったのだ。彼女とは身分が違いすぎる。


「あの日から、私はあなたのこと、友人だと思っているの。だから正直に言うと、あなたが息子と結婚するかどうかなんて、もうどうでもいいわ」

「…え」

「いえ、違うわ。むしろ、あなたをレディアスに取られたくないとさえ思ってる。…ふふ、私は独占欲が強いの」


 サランの艶っぽい目線に、私はドキリと胸を鳴らす。


「だから、あなたが言いたいのなら、息子に話しなさい。息子がどう思うかは分からないけれど、もしあなたが怒られるようなことがあれば、私が守ってあげる。共犯者だもの」


 サランの言葉を聞いて、私は決心した。


「私、レディアス様に正直に伝えます。…サラン様の義娘になりたかったのは本心ですが、レディアス様を欺いてまで叶えたくはありませんもの」

「ふふ、そうね。…少し、残念だけれど。あとは息子に託すわ」


 それから何事もなかったように、肖像画の進捗など雑談を話し、私たちはカフェを出た。

 すると、騎士服を見に纏った見慣れた男性二人が目に入った。


「あら、レディアスとラルクじゃない」

「サラン様、ラルク様とお知り合いですか?」

「あの二人は幼馴染よ。今も同じ近衛騎士を務めているの」


 レディアスとラルクは街路の壁に並んで立ち、何やら話をしている。


「仲は良いんですか?」

「ええ、勿論。昔から二人でよくイタズラばかりしていたわ。レディアスったら、昔から令嬢人気だけはあってね。相手するのが面倒くさいなると、ラルクに女性を唆せて、自分への興味を無くさせていたみたいなの。私、それを聞いて初めてレディアスに怒ったのよ。まあ、断れないっていうあの子なりの優しさなのかも知れないけど、残酷よね」


 私は心臓を握られたように、胸が軋んだ。ラルクに唆された覚えがあった。


(私、鬱陶しがられてたのね…)


 痛む心を、私が必死に治めていると、彼らの視線がこちらに向いた。

 

「あら、私たちに気が付いたみたい」


(嫌だわ、今お話ししたくない…)


 レディアスは何かに弾かれたように、足早に向かってくる。最後に会った時のように、頬を染めて。


「ノア殿、あなたに話がある。私に付いてきてほしい」

「…」


 私は返事に困った。一度、感情を整理したかったのだ。

(私もレディアス様に言いたいことも聞きたいことがあるのに、話すのが怖い…。自分の考えを伝えられないなんて、これでは前世の私から全く成長していないわ……)


「母上。あなたにも明日、話があります。今日は騎士団の客室にお泊りください」

「…ここにいてはお邪魔ね。ラルク、送ってくださるかしら?」


 サランとラルクが歩き去り、私とレディアスがその場に残る。

 私はレディアスの顔が見れず、返答も返さずにいた。俯く私に、彼が一歩近付いてくるのが、足元を見てわかる。


「…ノア殿?どうかしたのか?」

「あの、私…」


 意を決して、彼に話しかけようとした時ーー


「やめて!痛いっ!」


 小道の先で、若い娘が中年の男に髪を掴まれ、悲鳴を上げていた。薄汚れた服、怯えた目。男は酒臭く、怒鳴り散らしている。


「嫁に来た以上、実家に帰れると思うな!逃げ道なんてないんだよ!」


 その言葉が、私の胸に刺さった。


(……逃げ道はない。前世で、何度も言われた言葉だわ)


 母に会いたいと言っただけで怒鳴られた日。義母に従えと押しつけられた日。母の最期に寄り添えなかった後悔。前世の記憶が一気に蘇る。


「止めに入らねば……な、ノア殿、どこへ…!」


 レディアスの制止を振り切り、私は三人の前に立った。


「……離しなさい」

「あぁ?貴族様が口出しする気か?」

(…前世の夫と、同じ匂いがする)


 男が私に手を上げようとした瞬間、私は叫んでいた。


「嫁を舐めるなー!!!」


 私は、右脚に全ての体重を乗せて、蹴り飛ばす。男は脇腹を押さえて崩れ落ちた。


「はぁ……はぁ……」


 息を整える私に、娘が震えながら頭を下げる。


「…あ、あの、ありがとうございますっ!」

「…ごめんなさい、驚かしてしまって」


 娘に謝罪すると、彼女はとんでもないと首を振った。


 私は振り返って、レディアスを真っ直ぐに見つめる。


「レディアス様、お恥ずかしい姿をお見せして申し訳ありません。私もあなたにお話があります」

「…ノア嬢、あなたは……。行きましょう」


 レディアスは、驚きと困惑が入り混じった顔をしていた。それでも、彼は私を連れて歩き出した。



 ーーーー



 連れて来られた先は、王都の高台にある石造りの邸宅だった。立派な正門を抜け、小さな庭園を通り、建物の中へ入る。


(誰かの屋敷…?それにしては生活感がないわ)


 壁も床も傷ひとつなく、家具も新品同然。まるでモデルハウスのよう。

 レディアスは無言で家の中を案内し、最後に庭のテラスへ腰を下ろした。


(内見でもしている気分。レディアス様、どうしたのかしら…)


「どうだ」

「え、えっと…。どうだ、とは?」


 レディアスは真剣な表情で、まっすぐ私を見つめる。


「私たちの新居だ」


(……は?)


 冗談かと思ったが、彼の顔は真面目そのものだった。突っ込める隙もない。

 私は、一度深呼吸して話を元に戻す。


「…その前に、レディアス様にお伝えしなければならないことがあります」

「あぁ。だが、その前に私から話させてほしい」


 私は頷いた。


「…私は友人を使ってあなたを試した。ラルク・サーナイト。先ほど一緒にいた男だ。彼に誘わせたのは私だ。…すまなかった」

 

 レディアスは丁寧に頭を下げ、顔を上げると熱のこもった瞳で私を見つめた。


「…あなたは、私だけだと断ってくれた。容姿や地位ばかりじゃなく、私という、人間を見てくれた。それが、嬉しかった…」


 彼は続ける。


「あなたは年齢の割に、落ち着いた堅実な女性だと思っていたが、関わる程に新しい一面が見える。奇想天外で、時に大胆で危なっかしいところもある。……私はあなたから目が離せない」


(……違う。レディアス様は誤解している。私の行動は全てサラン様との企みの結果なのに)


 私は胸の鼓動を抑えながら、意を決して口を開いた。


「私は、レディアス様のお母様、サラン様に憧れていました。義母になってほしいと願い、あなたを私の夫にする計画をサラン様と立て実行しました。あなたが見ていた私は、本当の私ではありません。私は、あなたを騙しておりました…」


 涙が溢れ、声も震える。私は彼を見るのが怖くて、顔を上げられない、


(怒鳴られて当然だわ…)


「あなたは私と結婚したかったんだな。それほどまでに…」


 レディアスは、なぜか満足げに頷いた。


「…レディアス様?私はサラン様目的で、あなたに嫌われても仕方ないことをしたのですよ…?どうか、一思いに怒鳴ってください」

「何故だ、怒る理由がない。私はあなたを好いている。好いている相手に怒鳴るものか。あなたもそうだろう?私の肖像画まで描いたのだから」

「あれは、サラン様の肖像画です。あなたではありません…」


 レディアスは首を傾げる。


「いや、間違いなく私だったぞ。母にはないホクロや眉間の皺、父似の眉が描かれていた。それに、私の文も机に飾ってあった。母の文の隣に」


 嬉しそうに頬を染めて微笑むレディアス。


(……そうか、私はいつの間にかサラン様ではなく、レディアス様を描いていた。だって、いつも頭の中にはいたのはーー)


 私は震える声で、今度こそ本心を伝える。


「私……レディアス様が好きです。…騙しておきながら、こんな事をいう資格はないかもしれません。…でも、もうあなたには嘘をつきたくない」


 私は深く頭を下げる。


「どんな罰も受けます。あなたが望むのならもう二度と現れません…」

「それは困る。ここで一緒に暮らすのだから」


 レディアスは私の手を握り、優しく包む。


「ここは、あなたと私の家だ。婚姻の準備が必要だろう?裏街道は整備したが、あなたがあの道を通ると思うと心配で堪らない。だから、先に住居を構えたのだ。その準備に時間がかかって、こうして話すのが遅れて申し訳なかった。あなたの真っ直ぐな想いに、私は行動で示したかった。門の衛兵からあなたが今日王都にきたと聞いて、今日しかないと思った」


 レディアスは跪き、私の顔を覗き込む。


「ノア。私と結婚してくれ」


(そんな、嘘。夢みたい…)


「あなたは私の初恋だ。そして、最初で最後の恋にする。あなたを私の妻にしたい」


 木漏れ日が金髪を照らし、青色の瞳が揺れていた。この世界で一番美しい人が、私を見ていた。


「…こんな私でいいのですか?」

「そんなあなたがいいのだ」


 彼の愛おしい顔をよく見たいのに、涙で視界が霞む。


「…私の母が義母になるんだぞ、良かったじゃないか。さあ、はいと言ってくれ」


 少し、意地悪な言い方。レディアスが冗談を言うなんて、珍しい。私は泣きながら、笑った。


「……はい。私でよろしければ喜んで」


 レディアスは花が咲くように微笑んだ。

 私は今日から、新しい第三の人生を始めるのだ。



 ーーーー



「ノアちゃん、こっちにいらっしゃい」

「はい、お義母様」

「ふふ、何度聞いても良い響きだわ」

「…母上、そろそろ領地に帰る準備をしては?」


 私のお気に入りになった庭園で、旦那様とお義母様と過ごすティータイム。

 あれから、私はこの邸宅に移り住み、レディアスとサランの三人で暮らしていた。


「いいじゃない。もう少し王都にいるわ。婚姻前の若い男女を二人きりにするなんて、いけないもの」


 サランが横目でレディアスに鋭い視線を送る。レディアスは苦い顔をした。


「先に婚姻の承諾さえ取っていれば、今頃は……」

「今頃は二人きりだったのに…って?ふふ、ダメよ。ノアちゃんは私の義娘でもあるんだから」


 私は二人のやり取りを眺めながら、紅茶を口に運ぶ。

 今でも、前世を思い出さないことはない。けれど、それは感謝の気持ちだけだ。


(お母さん、今度こそ幸せになるよ。次は転生せずに天国へ会いに行くからね。

 龍本小牧様、あなたのお陰で素晴らしい旦那様とお義母様に出会えました。ありがとうございます。)


「…ノア」

「なんでしょう?」


 レディアスがそっと私の耳元に顔を寄せる。


「今日こそ、母上を追い出すぞ」


 私は思わず笑ってしまう。そろそろ、旦那様は限界なのだろう。しょうがない、一芝居打とう。これもレディアスのためだ。

 私は、昨晩サランから教えられた台詞を思い出す。


「お義母様、あまりレディアス様をいじめないでください」

「あら、何よ」

「大事な旦那様のために……どうかお帰りください」

「まあ!しょうがないわね、帰るわ」


 サランは去り際に私にだけウインクをして去って行った。

(棒読みじゃなかったかしら?)


「ノア、君はなんて格好いいんだ。あの母上がすぐに帰った!」


 喜ぶレディアスを見て、私は騙されやすい夫が少し心配になる。

 

(サラン様ったら、あの作戦が失敗したのをまだ根に持っているのね)


 昨日、サランから取り引きを持ちかけられたのだ。

『私の考えた台詞をそのまま言ってご覧なさい?レディアスはもっとあなたに夢中になるはずよ』

 そうすればサランは帰ると。


 サランから教えてもらった、レディアスの心得。それは彼曰く、全て空振りしていたらしい。

『私は、素のあなたが好きなのだ。よく分かったか?』

 私は、その言葉がとても嬉しかった。


「ノア。今日から二人きりだな。ようやく……好きに愛が囁ける」


(レディアス様を騙すのはこれで最後。罪悪感がすごいんだから。……でも、レディアスは喜んでいるし……ありがとう、お義母様)


 私は、幸せが胸いっぱいに広がった。

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