家出した夜は、思ったより静かだった
第2話 家出した夜は、思ったより静かだった
家出した、その夜。
私は、思っていたよりもずっと静かな時間を過ごしていた。
「……本当に、出てきてしまいましたわね」
小さな仮宿の一室。
焚き火の代わりに置かれた灯りが、壁に揺れている。
聖月界の城を離れてから、
まだ半日も経っていないというのに、
遠い昔のことみたいに感じた。
「今さら、後悔ですか?」
淡々とした声で言ったのは、氷月。
短い銀髪に、碧い瞳。
十三歳とは思えないほど落ち着いた様子で、
窓の外を警戒している。
「後悔はしていませんわ」
私は、すぐに答えた。
「知らないままでいる方が、
ずっと怖いもの」
氷月は一瞬だけこちらを見て、
小さく頷いた。
「……それなら問題ない」
相変わらず、淡泊。
「姫さま」
今度は、月華が声をかけてくる。
長い黒髪を揺らしながら、
薪を整える手つきは慣れたものだった。
「寒くはありませんか?」
「大丈夫よ。ありがとう」
そう答えながら、
私は膝を抱えた。
夜の空気は冷たくて、
ようやく、実感が湧いてくる。
――私は、本当に家出をしたのだ。
「……綾人さま」
ぽろりと、その名前が口から零れた。
「怒っているでしょうか」
月華の動きが、ほんの一瞬止まる。
「……怒ってはいないと思います」
少し間を置いてから、
静かに続けた。
「きっと、探しています」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
「……そうね」
分かっている。
それでも、戻る気はなかった。
「理由を、ちゃんと知りたいの」
「記憶を消された理由を、ですか?」
「ええ」
私は、はっきり頷いた。
「それを知らないまま、
守られているだけなんて、嫌なの」
そのとき。
「……姫さま」
今度は、風翔が口を開いた。
青みがかった銀髪に、
いつもの穏やかな笑顔。
でも、その声は、少しだけ低かった。
「一つだけ、覚えておいてください」
「なにかしら?」
「この旅は、
楽しいことばかりではありません」
私は、少し考えてから答えた。
「……それでも、進みますわ」
風翔は一瞬、目を細めて、
それから小さく息を吐いた。
「分かりました」
「では、最後までお供します」
月華が頷き、
氷月も短く言う。
「俺も、同意」
三人の言葉に、
胸の奥が、じんわり温かくなった。
そのとき――
ぎぃ……。
どこかで、
木が擦れるような音がした。
「……今の、聞こえました?」
私が小声で言うと、
三人の空気が一変した。
「風の音でしょう」
風翔はそう言いながらも、
視線は窓の外を追っている。
「……姫さま」
月華が、低い声で言った。
「今夜は、
俺たちが見張ります」
「……ありがとう」
布団に入って、
私は小さく息を吐いた。
目を閉じると、
昼間の出来事が、頭の中を巡る。
記憶を消されたこと。
怒って、家出したこと。
そして――
この旅が、
もう戻れない場所へ向かっている気がしたこと。
「……おやすみなさい」
誰にともなく呟いて、
私は、ゆっくりと眠りに落ちた。
その夜。
闇の中で、
確かに――
誰かが、こちらを見ていたことを、
私は、まだ知らない。




