第4章_濡れ羽の精霊
霧海の奥深く、船はゆっくりと進んでいた。視界を遮る霧の向こうに、黒い影がいくつも舞っている。翼を広げたそれは鳥に似ていたが、羽根は濡れた墨のように艶めき、目は青白く光っていた。
「なんだ、あれ……?」真子が声を震わせる。
瑛太は弦を抑えた指を止め、眉を上げた。
「霧幻鳥――伝承にしか出てこないはずの幻獣だな」
「伝承だろうが何だろうが、来るぞ!」剛が槍を構え、甲板の前方に躍り出た。
群れは鋭い鳴き声を上げ、一直線に船を襲った。甲板に羽ばたきが叩きつけられ、視界がさらに乱れる。
「全員、伏せろ!」圭佑が叫び、剣を抜く。
真子は反射的にしゃがみ込み、耳を塞いだ。しかし次の瞬間、甲板の一部が折れて水が噴き上がった。
「船底に穴が……!」真弓が駆け寄り、破損部分を確認する。
「このままじゃ沈む!」
真弓は素早く腰の道具袋を開き、木片と金具を取り出す。
「時間を稼いで!」
その声に剛が応え、槍で一羽を突き払い、圭佑も剣で羽根の雨を弾いた。
真子は恐怖に震えながらも、必死に声を張り上げた。
「みんな、一緒に! 連携すれば大丈夫!」
瑛太が即興でリズムを刻む歌を奏で、それが仲間の動きを不思議と揃わせた。
霧幻鳥の群れは次第に勢いを失い、最後の一羽が霧に消えるころには、船底の補修も完了していた。
真弓は額の汗を拭いながら短く言った。
「……これでなんとか持つはず」
圭佑は剣を納め、真子に目を向ける。
「お前の声で、みんなが動きやすくなった。……よくやったな」
真子は照れくさそうに笑った。
修繕を終えた甲板には、まだ霧幻鳥の羽が数枚、濡れ羽色の光を放ちながら落ちていた。真弓はそれを拾い上げ、軽く首をかしげる。
「ただの羽じゃない……金属に近い硬さがある」
剛が覗き込み、短く息をついた。
「武器に加工できそうだな」
「帰ったら鍛冶場で試してみよう」真弓の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
瑛太が楽器を片づけながら肩をすくめた。
「いやぁ、いい歌のネタをもらったよ。“霧海を渡る勇敢な仲間たち”ってね」
「好きに歌え」圭佑は淡々と答えたが、その声にはほんのわずか柔らかさがあった。
真子は手すりに寄りかかり、遠くの霧を見つめる。
「……怖かったけど、みんなで動いたら、なんとかできたんですね」
圭佑は彼女の横に立ち、静かに言った。
「一人では防げなかった。お前が声を出さなければ、対応も遅れていた」
「そ、そんな大したことじゃ……」
頬を赤らめる真子を見て、圭佑は少しだけ目を細めた。
船は再び安定した速度で進み始めた。霧はまだ濃いが、皆の表情には先ほどまでの緊張はない。
その時、船首の方角に影が浮かび上がった。
「……島だ」剛が指差した。
小さな漂流島。そこに、青白い光が脈打つように揺らめいていた。
「星片の反応かもしれない」圭佑の声が低くなる。
六人は互いにうなずき、準備を整えて上陸の支度に取りかかった。