第3章_霧海への船出
三日後の朝、西の港町セルダは海霧に包まれていた。白い霧は街路を淡く覆い、遠くの帆船の影をぼんやりと滲ませている。潮の香りと、波が桟橋を叩く音が混じり合い、旅の始まりを告げるには十分な臨場感があった。
圭佑は馬車から降り、積み荷の確認を終えた真弓と剛に目を向けた。
「補給は済んだか」
真弓は無言でうなずき、剛は笑みを浮かべて答えた。
「食料も水もばっちりだ。これなら数日は持つ」
その横で真子は大きく深呼吸し、港の光景に目を輝かせていた。
「すごい……海ってこんなに大きいんですね!」
彼女の無邪気な声に、圭佑は苦笑を漏らした。
(本当に何もかも初めてなんだな……)
そこへ、ゆったりとした足取りで近づいてくる男がいた。色褪せたコートに楽器ケースを背負い、口元には飄々とした笑み。
「おや、君たちが噂の星片探しの一行かな?」
男は深く一礼し、胸に手を当てた。
「名は瑛太。旅の吟遊詩人でね。ひとつ、道中ご一緒させてほしい」
剛が眉をひそめた。
「なぜ俺たちの目的を知っている?」
「歌は耳を持たぬものも伝える。王都での召喚の噂なんて、もう酒場中に広まってるさ」
瑛太は肩をすくめ、陽気に笑った。
圭佑は一瞬だけ考え、そして答えた。
「……自己責任でなら許可する。命の保証はしない」
「承知の上だよ、騎士殿」
こうして六人の旅路が始まった。霧海を渡る船が桟橋に待機している。
船員たちが荷を積み込み、帆を張り始める。霧が濃く、視界は数メートル先しか見えない。
真子は甲板に足を踏み入れると、潮の匂いに少し顔をしかめた。
「すごい……海の匂いって、こんなに強いんですね」
「酔うなよ」剛が笑い、肩を軽く叩く。「これからしばらくは海の上だ」
瑛太は甲板の端に腰を下ろし、楽器を取り出して弦を軽く弾いた。
「霧海の旅には歌が必要だろう? 緊張も和らぐしね」
軽やかな音が霧の中に広がり、真子は思わず足を止めて聞き入った。
圭佑はそんな光景を横目に、全員を見渡した。
「ここから先は計画外のことも増える。勝手な行動は控えろ」
視線は自然と真子へ向く。彼女は苦笑いしながらも、元気よく手を挙げた。
「わかりました! ……たぶん」
その言い方に、圭佑は深く息を吐いた。
真弓が舷側の補強部分を見つめ、指で叩いていた。
「この船、古いけど頑丈そう」
「船大工か?」瑛太が興味深そうに問う。
「鍛冶師だよ。道具と材料さえあれば何でも直せる」
短いやりとりの中に、彼女の職人気質がにじんでいた。
やがて鐘が鳴り、船がゆっくりと動き出す。白い霧が船体を包み、足元の水音だけが確かに旅の始まりを告げていた。