第2章_護衛と迷子
翌朝、王都の空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。市場へ続く大通りには色とりどりの布屋台が並び、香辛料の匂いが風に乗って広がっている。
圭佑は通りを進みながら、頭の中で巡回経路のように計画を反復していた。
(西の港町セルダへ出立するには、まず宿舎に立ち寄り、旅装備を整える……それから馬車の予約だ)
しかし背後から聞こえる足音は、いつの間にか別の方向に消えていた。
「……おい、真子?」
振り返ると、そこに彼女の姿はなかった。
圭佑はため息をつきながら周囲を見渡した。市民たちの声が溢れる中、遠くで聞き慣れた声がした。
「すごい! この果物、見たことない!」
声の先、真子は露店の前で果物を手に取り、店主と楽しげに話していた。
「真子、勝手に動くなと言っただろう!」
圭佑は早足で近づき、低い声で諭した。
「だって……初めて見るものばかりで」
真子は申し訳なさそうに笑い、果物をそっと棚に戻した。
「護衛対象が迷子になったら意味がないんだ」
「ごめんなさい。でも、ここってみんな笑顔で話してて……なんかすごく温かいんですね」
彼女の言葉に圭佑は一瞬だけ言葉を失った。王都で過ごしてきた自分には、あまりにも日常的すぎて気づかなかった景色だったからだ。
そのとき市場の奥で突然、怒号が上がった。
「盗賊だ! 財布を取られた!」
群衆がざわめき、道の中央に小柄な影が走り抜けていった。
圭佑は反射的に剣の柄に手をかけた。
「ここで待て」
しかし真子は足を止めることなく、その影を追って走り出してしまった。
「ちょっと、待ちなさーい!」
圭佑は舌打ちをし、彼女の後を追うしかなかった。
石畳の路地に足音が響き渡る。真子は慣れないブーツで必死に走りながら、前を行く小柄な影を見失わないよう目を凝らした。
「待ってってば!」
盗賊の少年は振り返りもせず、人混みを縫うように逃げていく。その姿を追いながら、真子は胸の奥がざわつくのを感じていた。
(逃げてるのは悪いことをしたから……でも、必死さがなんか違う)
背後から圭佑の低い声が追いかけてきた。
「危険だ、止まれ!」
しかし真子は止まらなかった。路地の先に広がる小さな広場で、少年は角を曲がり損ねて転がるように倒れた。
息を切らせながら近づいた真子は、少年の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫? 怪我してない?」
少年は怯えた目で真子を見上げ、ぎゅっと財布を抱えたまま後ずさった。
「来るな……俺、返すから!」
圭佑が追いつき、剣の柄に手を添えたまま警戒の目を向ける。
「持ち主に返す気があるなら、今ここで出せ」
少年は一瞬ためらったが、すぐに財布を差し出した。
持ち主が駆け寄り、安堵の声を上げる。
「助かったよ……ありがとう」
その場の空気が緩んだ瞬間、真子は少年に視線を戻した。
「どうして盗んだの?」
少年は俯き、小さな声でつぶやいた。
「……弟に食わせるものが、なくて」
その声に、真子は一歩踏み出しかけた。だが圭佑が腕を伸ばして制した。
「事情は後で聞く。ここは治安隊に任せる」
「でも……」
真子は言いかけて唇を噛んだ。圭佑の眼差しは真剣で揺らぎがなかった。
少年が連れていかれた後、真子はぽつりと呟いた。
「……人のこと、もっと知ってから動かなきゃいけないのかな」
圭佑はしばし黙し、やがて短く答えた。
「理解しようとする気持ちは無駄じゃない。ただ、護衛対象としては命が最優先だ」
その言葉に真子はうつむき、小さくうなずいた。