表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/205

第八十三章「夢の中で逢いたい」

 中野ブロードウェイの中は、いつもと変わらず独特な熱気に満ちていた。アニメや漫画、古着に模型、あらゆるサブカルチャーが集うこの迷宮のような空間の中で、龍馬はひときわ静かな空気を纏って歩いていた。鮮やかなポップの色彩と混ざり合う人波の中でも、彼は周囲に流されることなく、淡々と歩を進める。その手には、一輪の小さな花が握られていた。

「なんでこんなとこで待ち合わせなんだろうな」

 彼は自分に向けて呟くと、ビルを出て哲学堂公園へ向かって歩き出した。ここは、かつて歩と初めて出会った場所。春の終わり、まだ肌寒さの残る季節。ひとりでベンチに座っていた彼の隣に、何も言わずに腰かけてきたのが歩だった。

 それ以来、ふたりは互いに自然と寄り添うようになった。言葉は多くなかったが、不思議と心の距離は近かった。今日は、そんなふたりにとって少し特別な日だった。何かの記念日ではない。ただ、龍馬がどうしても“夢”について語りたくなった日だった。

 哲学堂公園の入り口に着くと、歩がすでにベンチに座っていた。静かに本を開き、ページをめくるその手元は、やはり変わらず落ち着いていた。

「また“今来たとこ”って言うの?」

 顔を上げずにそう問いかけられて、龍馬は少し笑った。

「バレてんのかよ」

「そりゃね。何年付き合ってると思ってるの」

 彼女は本を閉じ、ゆっくりと彼に向き直った。どこか無表情に見えるその目には、しかし奥深くに温かな灯が宿っていた。

「今日、来てくれてありがとう」

「むしろ、来てくれてありがとうって言いたいのはこっちだよ」

 龍馬はそう言いながら、手に持っていた一輪の花を差し出した。歩は少し驚いたような顔をして、そっと受け取る。

「これ……なんで?」

「なんとなく。今日、渡したい気分だった。特別な意味はないけどさ、でも、ちょっとだけ“夢”の中で渡してるイメージだったんだ」

「夢の中で?」

「うん。最近、よく夢を見るんだ。お前と一緒にいる夢。何でもない日常だけど、起きたときに、“あ、これって願いだったんだな”って思う」

 歩は花を見つめながら、小さく微笑んだ。

「私も。夢って、不思議だよね。目が覚めても、そこにいた気持ちだけは残ってるから」

「だから、今日みたいな日があると、“夢が現実になった”って思えてさ、嬉しくなるんだ」

「……それ、言葉にするの、難しかったでしょ?」

「めちゃくちゃ難しかった」

 歩はくすっと笑った。彼女の笑い方は昔から変わらない。ミーハーな話題も好きで、街角のカフェでスイーツを並べて写真を撮ることもある。でも、根本はとても真面目で、目標を見失うことなく、一貫した努力を積み重ねてきた。

「ねぇ、龍馬」

「ん?」

「私たち、少しずつだけど、ずっと進んできたよね。お互いに足りないところもあるし、完璧じゃない。でもさ、夢を語れるようになったのって、すごくない?」

「うん。昔の俺だったら、夢なんて言葉、馬鹿にしてたかもしれない。現実がすべてって思ってた。でも、お前といるうちに、“現実の中で見る夢”ってものを信じたくなった」

 歩は、まっすぐに龍馬の目を見た。

「じゃあ、その夢の中で、私は何してる?」

 龍馬は、ちょっとだけ考えて、こう答えた。

「……俺の隣で笑ってる。何でもない日常の中で、くだらない話して、たまに喧嘩して。でも、毎朝起きたとき、夢でも現実でも、お前がいることを喜べるような、そんな毎日を一緒に過ごしてる」

 風が吹き抜けた。歩は、手の中の花を強く握った。

「夢の中で逢いたいって思ってたけど……今は、現実の中であなたに会えてよかったって思ってるよ」

 龍馬は何も言わず、彼女の手を取り、優しく握り返した。

「夢でも、現実でも、何度でも会いに行くよ」

 ——夢の中で逢いたい。

 それは、願いが言葉になり、現実に息づき始めた瞬間。ふたりにとって、“これから”がはじまる合図だった。

(第八十三章 完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ