第七十三章「胸に秘めた願い」
新宿区の夜は、華やかでありながらどこか冷たかった。歌舞伎町のネオンが街を照らし、行き交う人々のざわめきが絶えず響く。その喧騒の中で、たいせいは一人、新宿御苑の入口近くのベンチに腰掛けていた。
彼の視線は遠くに向けられ、そこには冬の夜空にぼんやりと浮かぶ月があった。冷たい風がビルの間を抜けて肌を刺すように吹きつけるが、それがたいせいの心をさらに引き締めるようだった。
「お待たせ」
控えめな声がして、振り向くと、希美がゆっくりと歩み寄ってきていた。
「いや、俺も今来たところだ」
「またそれ?」
希美はくすっと笑いながら、コートの襟をぎゅっと握りしめた。
「今日は、どうしてここなの?」
「なんとなく、静かな場所で話したくて」
「ふふ、歌舞伎町からここに来るのって、ずいぶんギャップがあるね」
「……まあな」
二人はしばらく無言で、新宿御苑の静けさを感じながら並んで座った。遠くでは、誰かが話す声が微かに聞こえてくる。
「ねぇ、たいせい」
「ん?」
「願い事って、どんなふうに叶うと思う?」
たいせいは少し考えた後、静かに答えた。
「願うだけじゃ、叶わないだろうな」
「やっぱり、努力が必要ってこと?」
「ああ。自分で動かなきゃ、何も変わらない」
希美は驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「なんだか、たいせいらしい答え」
「そうか?」
「うん。でも、私はね、願うだけでも意味があると思うの」
たいせいは彼女の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頷いた。
「どうして?」
「願うことって、その人の本当の気持ちが表れる瞬間だから。それがあるからこそ、人は動けるんじゃないかな」
たいせいはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……お前の願いは?」
希美は静かに息を吐き、少し視線を落とした。
「私の願い?」
「ああ」
希美はしばらく考えた後、微笑んだ。
「今は、こうしてたいせいと一緒にいられることかな」
たいせいの心臓が大きく跳ねた。彼は驚いたように彼女を見つめたが、すぐに静かに微笑んだ。
「……それなら、叶ってるな」
「うん。でも、ずっと続けばいいなって思う」
たいせいは、彼女の言葉に真剣に頷いた。
「俺も、同じ気持ちだ」
希美は少し驚いたように目を丸くしたが、やがて優しく微笑んだ。
「なら、願いは叶ったね」
二人はしばらく無言で、冷たい夜風に包まれながら、確かな温もりを感じていた。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——胸に秘めた願い。
それは、言葉にせずとも伝わる、大切な想いだった。
(第七十三章 完)