第七十二章「星明かりに照らされた手紙」
港区の夜は、都会の喧騒に包まれながらも、どこか静かな時間が流れていた。渋谷スクランブル交差点の光が遠くにちらつき、ビルの隙間から見える星々が微かに瞬いている。
謙太は、明治神宮の近くにある小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。手には、少し折り目のついた白い封筒が握られている。冷たい冬の風が頬を撫で、木々の枝がかすかに揺れた。
遠くから足音が近づく。軽やかで、それでいてどこか慎重な歩み。その気配に気づき、謙太は顔を上げた。
「待たせちゃった?」
萌子が、小さく息を弾ませながら微笑んでいた。彼女はコートの襟を押さえ、冷たい風を避けるように肩をすくめている。
「いや、俺も今来たところだ」
「またそれ?」
萌子はくすっと笑いながら、彼の隣に座った。二人の間に静寂が訪れる。冬の夜空を見上げながら、謙太はゆっくりと口を開いた。
「……寒くないか?」
「大丈夫。でも、なんだか緊張してる?」
「……わかるか?」
「そりゃあね。だって、手紙なんて珍しいじゃない」
萌子は、彼の手元の封筒をじっと見つめた。謙太は深く息を吐き、封筒の端を指でなぞった。
「これ……お前に渡そうと思ってた」
「私に?」
「……ああ」
萌子は驚いたように封筒を受け取り、そっと指で開いた。中から、一枚の便箋が現れる。
「読んでもいい?」
「……ここで?」
「ダメ?」
謙太は少し考えた後、小さく頷いた。萌子はゆっくりと便箋を広げ、目を走らせる。
——萌子へ
俺はずっと、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だった。何かを伝えようとしても、上手く言えなくて、結局、後悔することが多かった。でも、お前といると、不思議とそんな自分が少しずつ変わっていく気がした。
お前は、俺にとって特別な存在だ。誰よりも大切で、そばにいたいと思う。
だから、伝えたかった。
……俺は、お前が好きだ。
萌子は、静かに手紙を読み終えた。ゆっくりと目を閉じ、深く息を吸い込む。そして、そっと手紙を折りたたみ、膝の上に置いた。
「……手紙って、ずるいね」
「え?」
「こんな風に、ちゃんと気持ちを伝えられたら、もう逃げられないじゃない」
謙太は、彼女の言葉の意味を測りかねていた。しかし、次の瞬間、萌子はふっと微笑んだ。
「私も……謙太のことが好き」
謙太の心臓が、大きく跳ねた。言葉が出てこない。ずっと抱えていた想いが、たった一言で報われたような気がして、ただ、彼女の言葉を噛みしめた。
「……ありがとう」
萌子は、そっと彼の手に触れた。
「手紙、大切にするね」
「……ああ」
二人はしばらく無言で、星明かりに照らされた公園を眺めた。冷たい風が吹く中でも、確かにそこには温もりがあった。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——星明かりに照らされた手紙。
それは、言葉にならない想いが、確かに届いた瞬間だった。
(第七十二章 完)