第七十章「プロポーズ」
東京都の夜は、冷たく澄んでいた。空気は張り詰め、星がちらちらと輝く。東京の喧騒を離れた静かな公園の一角、一成はベンチに腰掛け、スマートフォンの画面を何度も見つめていた。時間を確認するたびに、心臓の鼓動が少しずつ速くなるのを感じる。
「……緊張してる場合じゃないだろ」
自分に言い聞かせるように呟きながら、深く息を吸い込んだ。頬を冷たい風が撫でていく。そのとき、遠くからヒールの控えめな音が近づいてきた。一成は顔を上げた。
「待たせちゃった?」
瑠菜が、少しだけ息を弾ませながら微笑んでいた。
「いや、俺も今来たところだ」
「またそれ?」
瑠菜はくすっと笑いながら、彼の隣に腰を下ろした。二人の間に静かな時間が流れる。冬の夜空を見上げながら、一成は口を開いた。
「……寒くないか?」
「ううん、大丈夫。でも……ちょっと緊張してる?」
「……わかるか?」
「そりゃあね。何か言いたいことがあるんでしょ?」
一成は静かに頷いた。そして、ポケットの中の小さなケースをそっと握りしめる。
「瑠菜」
「うん?」
「俺と、結婚してくれないか?」
一瞬、世界が止まったように感じた。瑠菜の表情が驚きに染まり、すぐにゆっくりと笑顔へと変わる。
「……やっと言えたね」
「……え?」
「だって、一成の様子、ずっとおかしかったから」
瑠菜は小さく息を吐き、目の前の指輪をじっと見つめる。
「本当に、私でいいの?」
「お前じゃなきゃ、意味がない」
瑠菜はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「……うん、よろしくお願いします」
一成はほっと息を吐き、彼女の手に指輪をそっとはめる。指先が冷たいが、どこか温もりを感じた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
二人はしばらく無言で、東京の夜景を眺めた。未来のことはまだわからない。でも、確かに今、この瞬間、二人は同じ未来を見ている。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——プロポーズ。
それは、二人の未来をつなぐ、たった一つの言葉だった。
(第七十章 完)