第六十五章「星降る夜に誓う未来」
野田市の夜は、深く静かだった。冬の冷たい空気が街を包み込み、野田醤油の里の赤レンガの建物が、ぼんやりとした街灯に照らされている。空を見上げると、澄み切った夜空には無数の星が輝き、まるで小さな希望の光が瞬いているようだった。
翔也は、レンガ造りの歩道をゆっくりと歩きながら、ふと立ち止まった。ポケットに手を突っ込み、冷えた指を動かしながら、夜の静寂の中に身を委ねる。彼の隣には、花穂音がそっと寄り添うように立っていた。
「待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
「また、それ?」
花穂音はくすっと笑いながら、マフラーを整えた。冬の空気に触れた彼女の頬は、ほんのり赤く染まっている。
「ねぇ、翔也」
「ん?」
「星降る夜って、なんだか特別な感じがしない?」
翔也は少し考えた後、静かに答えた。
「そうだな。星がたくさん見える夜は、普段よりも何かを考えたくなる」
「何を考えるの?」
「……未来のこととか」
花穂音は驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「未来かぁ……どんな未来を想像するの?」
翔也はポケットの中で手を握りしめ、少し間をおいてから口を開いた。
「自分が、今より少しでも前に進めてる未来」
「……前に進む、か」
「俺は昔から、短期的なことしか考えられないタイプだった。でも、最近はちょっと違う気がしてる」
「どう違うの?」
「誰かと一緒にいることで、未来をちゃんと考えようって思えるようになった」
花穂音は静かに彼の横顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「それって、すごく素敵なことじゃない?」
「……そうか?」
「うん、私はそう思う」
花穂音はゆっくりと夜空を見上げた。星々がまるで二人の言葉を聞いているかのように瞬いている。
「私ね、昔から未来を考えるのが少し苦手だったの」
「お前が?」
「うん。ずっと、『今』を大事にしなきゃって思ってたから。でも、最近は、翔也みたいに少しだけ先のことを考えてもいいのかなって思えてきた」
翔也は彼女の言葉を静かに噛みしめた。
「それなら、お互いにちょうどいいバランスかもしれないな」
「……うん」
二人はしばらく無言で、星空を眺めていた。冷たい風が頬を撫でるが、どこか心地よい。
「ねぇ、翔也」
「ん?」
「この夜に、一つ約束しない?」
翔也は彼女の顔を見つめた。
「どんな約束だ?」
「お互いに、ちゃんと未来を考えながら進むこと」
翔也は少しだけ考えた後、静かに頷いた。
「……約束する」
花穂音は、満足そうに微笑んだ。
「よかった」
翔也はポケットから手を出し、ふと彼女の手に触れた。冷たい指先が、一瞬だけ温もりを感じる。
「寒いだろ?」
「……うん」
「少し歩こうか」
「うん、そうだね」
二人は再び歩き出した。野田の静かな街並みの中、彼らの足音だけが響く。星降る夜に誓った未来は、まだ見えないけれど、確かにそこに向かっている気がした。
——星降る夜に誓う未来。
それは、今この瞬間を大切にしながらも、確かに前へと進むための小さな誓いだった。
(第六十五章 完)