第五十八章「静かに流れる時間の中で」
市川市の冬の風は、どこか柔らかく感じられた。市川大野の花火大会の余韻が残る河川敷には、静かな時間が流れ、空には淡い月が浮かんでいる。陽平は、法華経寺の近くの石畳をゆっくりと歩きながら、少し冷えた指先をポケットの中で温めた。遠くから軽やかな足音が近づいてくる。
「待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
「またそれ?」
萌音はくすっと笑いながら、彼の隣に並んだ。二人はしばらく言葉を交わさず、夜の静けさを感じながら歩き続けた。
「ねぇ、陽平」
「ん?」
「時間って、なんでこんなに早く感じるときと、ゆっくり感じるときがあるんだろうね?」
陽平は少し考えた後、静かに答えた。
「たぶん、何かを大切にしているときほど、時間がゆっくり流れるのかもしれない」
「どうして?」
「その瞬間を、ちゃんと心に刻もうとしてるからじゃないか?」
萌音は驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「なんか、いい考え方だね」
「そうか?」
「うん、私も、こうして歩いてる時間がゆっくり感じるから、たぶん大切に思ってるんだと思う」
陽平は静かに彼女を見つめた。
「それなら、悪くない時間だな」
「そうだね」
二人はしばらく無言で、法華経寺の静かな境内を歩いた。夜の冷たい風が吹くたびに、木々がわずかに揺れる音が響く。それでも、二人の間には穏やかで温かいものが流れていた。
「ねぇ、またこの道を一緒に歩こうよ」
「……ああ」
——静かに流れる時間の中で。
それは、何気ない瞬間が、心に深く残る時間だった。
(第五十八章 完)