第五十七章「恋の始まりの日」
松戸市の冬空は、どこまでも澄み渡っていた。松戸駅周辺の広場では、買い物帰りの人々が行き交い、街の灯りが温かく照らしている。隼也は、松戸市民会館の前に立ち、ポケットに手を入れながら冷たい夜風を感じていた。遠くから軽やかな足音が近づいてきた。
「待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
「それ、絶対ウソでしょ?」
「……まぁな」
美瑛はくすっと笑いながら、隣に並んだ。二人はしばらく何も言わず、静かな広場の光景を眺めていた。
「ねぇ、隼也」
「ん?」
「恋の始まりって、どんな瞬間だと思う?」
隼也は少し考えた後、静かに答えた。
「気づいたら始まってるものじゃないか?」
「気づいたら?」
「ああ。意識する前に、もう心の中にある」
美瑛は驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「それって、ちょっとロマンチックかも」
「そうか?」
「うん。でも、なんとなくわかる気がする」
彼女は夜空を見上げながら、小さく息を吐いた。
「私もね、最近気づいたんだ。誰かのことを考える時間が増えると、それが恋なのかもしれないって」
隼也は静かに彼女を見つめた。
「それは、悪くない気づきだな」
「そう思う?」
「ああ」
美瑛はしばらく黙っていたが、やがてふっと微笑んだ。
「じゃあ、今日がその日ってことにしようかな」
「どんな日だ?」
「恋の始まりの日」
二人はしばらく無言で、松戸の静かな夜を感じていた。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——恋の始まりの日。
それは、気づいたときにはもう心に宿っている、特別な瞬間だった。
(第五十七章 完)