第五十六章「触れるたびに近づく心」
船橋市の午後は、穏やかな陽射しに包まれていた。船橋アンデルセン公園の広場では、冬の冷たい風が木々の間を吹き抜け、小さな子どもたちの笑い声が響いている。貴士は、木製のベンチに腰を下ろし、遠くの風車を眺めながら静かに息を吐いた。遠くから足音が近づいてくるのを感じ、顔を上げると、紗江がコートのポケットに手を入れながら歩いてくるのが見えた。
「待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
「それ、絶対ウソでしょ?」
「……まぁな」
紗江はくすっと笑いながら、隣に座った。二人の間には、一瞬の静寂が流れる。冬の澄んだ空気の中で、遠くの池には水鳥が静かに羽を休めていた。
「ねぇ、貴士」
「ん?」
「人の心って、どうしたら近づけると思う?」
貴士は少し考えた後、静かに答えた。
「触れることじゃないか?」
「触れる?」
「ああ。言葉じゃなくて、直接感じるものがあると思う」
紗江は驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「貴士にしては、ちょっとロマンチックかも」
「そうか?」
「うん。でも、なんとなくわかる気がする」
彼女は手袋を外しながら、小さく息を吐いた。
「たとえば、こうやって同じ時間を過ごすことも、触れるってことかな?」
「そうかもな」
紗江は静かに彼の手に触れた。
「……暖かいね」
貴士は少し驚いたが、何も言わずにそのまま手を握り返した。
「冷たすぎるんだよ、お前の手」
「ふふっ、そうかも」
二人はしばらく無言で、木々が揺れる音を聞いていた。冬の冷たい風の中でも、確かに何かが近づいていた。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——触れるたびに近づく心。
それは、言葉よりも確かに伝わる、静かな想いだった。
(第五十六章 完)