第五十三章「微笑みに隠された感情」
八王子市の冬空は、どこまでも澄み渡っていた。高尾山の山頂から見下ろす景色は、遠くの街並みを包み込むように広がり、冷たい風が吹き抜けていく。晴人は、手すりにもたれながら遠くの景色を眺めていた。微かに聞こえる鳥のさえずりが、静かな山の空気に溶け込んでいる。しばらくすると、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
「待たせちゃった?」
「いや、ちょうど来たところだ」
「それ、絶対ウソでしょ?」
「……まぁな」
真衣はくすっと笑いながら、晴人の隣に立った。二人はしばらく無言で、山の上から広がる景色を見つめていた。
「ねぇ、晴人」
「ん?」
「人の微笑みって、本当にそのままの気持ちを表していると思う?」
晴人は少し考えた後、静かに答えた。
「そうとは限らない。微笑みの裏に、いろんな感情が隠れていることもある」
「やっぱり、そう思う?」
「お前は?」
「うん、私もそう思う。時々、誰かが笑っているのに、心の中では違うことを考えているんじゃないかって感じることがあるんだ」
晴人は真衣の横顔をじっと見つめた。
「お前も、そんな風に微笑むことがあるのか?」
真衣は一瞬驚いたように目を丸くしたが、やがてふっと微笑んだ。
「どうだろう?晴人には、どう見える?」
「……さぁな。でも、今のお前の笑顔は、少なくとも嘘じゃないと思う」
真衣はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そう言ってもらえると、なんだか安心する」
二人はしばらく無言で、高尾山の澄んだ空気を感じていた。風が木々を揺らし、遠くの街の灯りがちらちらと瞬いている。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——微笑みに隠された感情。
それは、表情の奥にそっとしまわれた、言葉にできない想いだった。
(第五十三章 完)