第四十五章「甘く切ない風の音」
越谷市の夕暮れは、冬の冷たい風が街を吹き抜けていた。越谷レイクタウンの湖畔には、人影がまばらで、静かに波が揺れている。翔空は、木製のベンチに腰を下ろし、ポケットに手を突っ込みながら、風に乗って流れる音をじっと聞いていた。空は薄暗く染まり、湖面には街の灯りが揺らめいている。ふと、足音が近づいてくるのを感じて顔を上げると、しおりがコートの襟を押さえながらこちらへ歩いてきた。
「待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
「それ、ウソでしょ?」
「……まぁな」
しおりはくすっと笑いながら、彼の隣に座った。二人はしばらく何も言わず、目の前の湖を見つめていた。風が吹くたびに、枯れ葉がカサカサと音を立てて舞い、どこか切ない雰囲気を漂わせている。
「ねぇ、翔空」
「ん?」
「風の音って、なんでこんなに切なく聞こえるんだろうね?」
翔空は少し考えた後、静かに答えた。
「風が何かを運んでくるからじゃないか?」
「何かを運ぶ?」
「過去の思い出とか、まだ言えずにいる気持ちとか……風って、そういうものを運んでくる気がする」
しおりは驚いたように彼を見つめ、それからふっと微笑んだ。
「翔空って、時々すごく詩的なこと言うよね」
「そうか?」
「うん。でも、なんとなく分かる気がする」
しおりはマフラーをぎゅっと握りしめながら、小さく息を吐いた。
「私も、風の音を聞くと、昔のことを思い出すんだよね」
「たとえば?」
「特別なことじゃないけど……楽しかった日とか、ちょっと寂しかった日とか、そういう小さな記憶がふと蘇る感じ」
翔空はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「それが、風の魔法なのかもしれないな」
しおりは目を丸くして、それからくすっと笑った。
「翔空がそんなこと言うなんて、ちょっと意外」
「俺も、時々はそういうことを考えるんだよ」
二人は静かに風に耳を澄ませた。湖の水面が揺れ、どこか遠くから甘く切ない風の音が聞こえてくる。
「ねぇ、またこういう時間を過ごせるといいね」
「……ああ」
——甘く切ない風の音。
それは、心の奥にそっと響く、過去と現在を繋ぐ優しい記憶だった。
(第四十五章 完)