第四十四章「消えない記憶の灯火」
三郷市の朝は、冬の澄んだ空気に包まれていた。三郷公園の広場には霜が降り、静寂の中で白い息がふわりと浮かぶ。空太は、ベンチに腰を下ろしながら、ゆっくりと手をこすり合わせた。寒さのせいか、指先が少し痺れている。遠くで鳥の鳴き声が響いたかと思うと、軽やかな足音が近づいてきた。
「待たせちゃった?」
あんながコートの襟を立てながら、息を切らして立っていた。
「いや、俺も今来たところだ」
「それ、絶対ウソでしょ?」
「……まぁな」
あんなはくすっと笑いながら、「寒くなかった?」と心配そうに尋ねる。
「少しな」
「ほら、これ」
彼女はポケットからホットコーヒーの缶を取り出し、空太に差し出した。
「お前、準備がいいな」
「こういうの、大事でしょ?」
空太は小さく頷きながら、缶を受け取り、手の中で温もりを感じた。
「ねぇ、空太」
「ん?」
「人の記憶って、どうして忘れないものがあるんだろうね?」
空太は少し考えた後、静かに答えた。
「強く思ってるからだろ」
「強く?」
「楽しいことも、悲しいことも、心に深く残るものほど、簡単には消えない」
あんなはしばらく黙った後、「そうかもね」と小さく微笑んだ。
「私にも、消えない記憶があるんだ」
「どんな?」
「昔、ここで誰かに助けてもらったことがあるの」
空太は彼女をじっと見つめた。
「それが誰だったか、今ははっきり覚えてないんだけど……その時の安心感だけは、ずっと残ってるんだよね」
「……不思議なもんだな」
「うん。でも、記憶ってそういうものなのかもしれないね」
空太は手の中の温かい缶をじっと見つめた後、静かに息を吐いた。
「消えない記憶があるから、人は前に進めるのかもな」
「……そうかも」
二人はしばらく無言で、公園の広場に広がる朝の光を眺めた。寒さの中でも、どこか温かさが残る時間だった。
「ねぇ、またここに来ようよ」
「……ああ」
——消えない記憶の灯火。
それは、時を超えても心の奥で静かに輝き続けるものだった。
(第四十四章 完)