第四章「儚い愛の証」
函館の夜は、どこか幻想的な光に包まれていた。街灯が雪を照らし、静かな空気の中で人々が行き交う。
陸翔は、五稜郭公園の前に立ち、ゆっくりと息を吐いた。
「やっぱり、ここは落ち着くな」
冬の夜、五稜郭の堀には薄氷が張り、静かに月の光を反射していた。遠くで雪を踏む音が聞こえる。
「待たせちゃった?」
ふと、背後から声がした。
「いや、俺も今来たところだ」
振り返ると、結美が立っていた。彼女はコートの襟を立て、冷たい空気に耐えるように両手をポケットに突っ込んでいる。
「寒いね」
「まぁ、函館の冬だからな」
陸翔は軽く肩をすくめた。結美はフッと微笑んで、堀の向こうを見つめる。
「五稜郭、久しぶりだなぁ」
「そうだな。最後に来たのは……いつだったか」
「高校のときじゃない?」
「……ああ、そうだったな」
陸翔は、昔の記憶をたどる。あのときも冬だった。
「私たち、ここで何話してたっけ?」
結美がふと問いかける。
「さあ……でも、お前が何かをやらかしたことだけは覚えてる」
「えっ、なにそれ!」
「忘れたのか?お前、雪で滑って派手に転んでただろ」
「……あーっ!思い出した!」
結美は顔を赤くしながら笑った。
「めっちゃ恥ずかしかったなぁ。でも、あのとき陸翔が手を貸してくれたのは覚えてるよ」
「まぁな。放っておいたら、そのまま雪だるまになりそうだったし」
「ひどい!」
結美はぷくっと頬を膨らませたが、すぐにクスッと笑う。
「でも、あの頃ってさ、何も考えずにただ楽しくて……今とはちょっと違うね」
「……そうだな」
陸翔は、彼女の言葉にゆっくりと頷いた。
「今は、あの頃とは違う。俺たちも、周りの環境も」
「……そうだけど、変わらないものもあるよね」
結美は堀の向こうを見つめる。五稜郭の形は変わらない。冬の静寂の中、その存在は確かにそこにあった。
「たとえば?」
陸翔が尋ねると、結美は少し考え込んだ。
「……うーん、たとえば……」
「言葉に詰まるってことは、特にないんだな」
「違うってば!」
彼女はムッとしながら陸翔を睨むが、すぐに笑みをこぼした。
「でも、本当に大事なものって、簡単に言葉にできないのかもね」
陸翔はその言葉に、しばらく黙っていた。
「……かもな」
雪が静かに降り続ける。
「ねぇ、陸翔」
「ん?」
「私たちって、今、ちゃんと前に進めてるのかな」
「……どうだろうな」
陸翔は堀を見つめる。水面に映る光が揺れていた。
「でも、こうしてまたここにいるってことは、何かしらの意味があるのかもしれないな」
「意味、か……」
結美は小さく呟いたあと、フッと笑った。
「なんか、陸翔がそんなこと言うの、ちょっと意外」
「そうか?」
「うん、もっと『まあ、なるようになる』って感じの人かと思ってた」
「そんな適当じゃない」
「ふふっ、そうだね」
結美はゆっくりと歩き出した。
「ねぇ、ちょっと五稜郭タワーにも行ってみようよ」
「……いいけど、寒いぞ」
「だからこそ、景色が綺麗なんじゃん」
「……まぁ、行くか」
二人は並んで歩き出した。
——儚い愛の証。
雪の降る函館の夜。五稜郭の光が、静かに二人を包んでいた。
五稜郭の静寂を後にし、陸翔と結美は五稜郭タワーへと向かっていた。冬の函館の夜は一層冷え込んでいるが、二人の足取りはどこか軽かった。
「ねぇ、陸翔」
結美がふと口を開いた。「函館に住んでるのに、タワーってあんまり来なくない?」
「まぁな。観光客向けってイメージが強いし、地元のやつはわざわざ行かないだろ」
「でもさ、だからこそ、たまに行くと新鮮じゃない?」
「……そうかもな」
陸翔はそう言いながら、タワーの入り口へと足を踏み入れた。
エレベーターに乗り込むと、静かな音楽が流れ、ゆっくりと上昇していく。結美はガラス越しに外を見つめながら、少し興奮した様子だった。
「わぁ、雪景色がどんどん広がっていく……!」
陸翔も横目で外を眺めた。函館の街が夜の光に包まれ、雪の白さがその輝きを一層際立たせている。
やがて展望台に到着すると、そこには幻想的な光景が広がっていた。
「……綺麗だな」
陸翔は思わず呟いた。
「でしょ?」
結美は嬉しそうに微笑みながら、ガラスの向こうに目をやる。五稜郭の星形が雪の中にくっきりと浮かび上がっていた。
「こうして見ると、本当に星みたい」
「まぁ、そういう設計だからな」
「分かってるよ。でも、なんか……こういう風にちゃんと見ると、すごく特別な感じがする」
結美は目を細めた。
「特別?」
「うん。だって、こんなふうに夜景を眺めることって、そうそうないでしょ?」
「まぁ、そうかもな」
陸翔は結美の横顔を見つめた。彼女の表情は穏やかで、どこか懐かしい雰囲気をまとっていた。
「……陸翔」
「ん?」
「今日、ここに来てよかった」
「そりゃよかった」
「なんか適当!」
「本心だぞ」
「……そっか」
結美はフッと笑う。
二人の間に、静かな時間が流れた。
「ねぇ、陸翔」
結美がそっとつぶやく。「儚いものって、なんだと思う?」
「……急にどうした?」
「ふと、思ったの」
陸翔は少し考えたあと、「雪、かな」と答えた。
「……ああ、それ分かる」
結美はゆっくりと頷いた。「降ってきて、積もって、溶けて消えていくもんね」
「でも、それが悪いわけじゃないだろ」
「うん、そうだね」
結美は雪の舞う夜景をじっと見つめる。その表情はどこか切なくて、でも優しかった。
「儚いものほど、美しいっていうよね」
「……かもな」
五稜郭の星形の光が、雪に包まれながら静かに輝いている。
それはまるで、二人の今この瞬間を象徴するようだった。
「そろそろ行くか」
陸翔が静かに言うと、結美は「うん」と頷いた。
二人はゆっくりとエレベーターへ向かう。
——儚い愛の証。
雪が降る函館の夜、二人の心にはそれぞれの想いが静かに灯っていた。
五稜郭タワーを降りた後、二人はゆっくりと函館の夜の街を歩いていた。雪が降り続き、街灯の光が柔らかく道を照らしている。
「……寒いね」
結美がコートの襟をぎゅっと握りながら呟いた。
「函館の冬だからな」
陸翔は手をポケットに突っ込みながら、静かに答えた。
「でも、この寒さも悪くないかも」
「なんで?」
「だって、こういう寒い日に歩くと、普段考えないことを考えたりするじゃん」
陸翔は少し考えた。確かに、雪の静けさの中にいると、普段は意識しないことをふと考えたりする。
「たとえば?」
「……今までのこととか、これからのこととか」
「ふーん」
結美は少し笑った。「なんか適当な返事だね」
「いや、俺もそんなこと考えてたんだ」
「え、珍しい!」
「そんなに意外か?」
「うん、陸翔っていつも先のことより『今』を大事にしてる感じするから」
陸翔は苦笑した。「そんなつもりはないけどな」
「でも、そこが陸翔らしいとこでもあるよね」
結美はそう言うと、ふっと雪を見上げた。
「ねぇ、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」
「どこだ?」
「函館朝市」
陸翔は一瞬驚いた。「朝市って……今夜だぞ?」
「夜でもやってる店、あるんだよ」
結美はいたずらっぽく微笑んだ。
「ほら、行こう!」
彼女はそう言うと、雪の積もる道を軽快に歩き出す。
函館朝市
市場の一角には、まだ営業を続ける店がいくつかあった。暖簾のかかった屋台からは湯気が立ち上り、温かい匂いが漂っている。
「ほら、やっぱりやってた!」
結美は嬉しそうに、小さな海鮮丼の店の前で足を止めた。
「……確かに、まだ開いてるな」
「ここ、美味しいんだよ。食べてみよう?」
「さっきラーメン食ったばかりだろ」
「デザートは別腹、って言うじゃん」
「海鮮丼はデザートじゃない」
「細かいことは気にしない!」
結美はにっこり笑いながら、店の暖簾をくぐった。
市場の小さな店
店の中はこぢんまりとしていたが、カウンターには新鮮な魚介が並んでいる。湯気の立つ味噌汁の匂いが、体を温めるようだった。
「いらっしゃい」
店主が笑顔で迎えてくれる。
「すみません、ミニ海鮮丼、二つください!」
「お前、本当に食うのか」
「もちろん!陸翔も食べるでしょ?」
「……まぁ、食べるけど」
すぐに小ぶりの海鮮丼と味噌汁が運ばれてきた。
「いただきます!」
結美は嬉しそうに箸をとり、まずは一口。
「……んーっ、美味しい!」
陸翔も一口食べる。口の中に広がる新鮮な魚の甘みと、温かいご飯の組み合わせが、冷えた体に染み渡る。
「確かに、うまいな」
「でしょ?」
二人は黙々と食べ進める。市場の静かな雰囲気の中で、湯気とともに心まで温まっていくようだった。
外に出ると、雪
店を出ると、外は変わらず雪が降り続いていた。
「やっぱり、こういう時間って大事だよね」
「そうだな」
結美はしばらく黙っていたが、ふと、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、陸翔」
「ん?」
「今日みたいな夜って、ずっと覚えてる気がする」
陸翔は彼女の横顔を見つめる。
「……そうかもな」
「でも、雪みたいに、いつか消えちゃうのかな」
「……さあな。でも、たとえ消えたとしても、今が確かにあったことは変わらない」
「……そうだね」
二人は並んで歩き出す。
雪は降り続いている。
それでも、この瞬間だけは、確かにここにあった。
—— 第四章 完 ——