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【chap199 鳥取県】

 鳥取駅から少し歩いた先、小さな坂を上った住宅街の角にあるカフェからは、朝の光が大きなガラス窓を通して静かに差し込んでいた。照明はまだつけられておらず、店内には自然光と焙煎されたコーヒーの香りだけが満ちていた。ユウタは、入り口近くの窓辺の席に座っていた。白いカップの縁からふわりと立ちのぼる湯気に目を落としながら、彼はふと溜息をつく。

「なんか、こういうの……悪くないな」

 彼は、人見知りをしない性格だった。誰とでも打ち解けるが、踏み込みすぎることもない。その絶妙な距離感は、“お金にシビア”という現実的な性格と表裏一体だった。感情に流されず、堅実な選択を重ねて生きてきた。けれどその一方で、“他者の感情を察して配慮を示す”ことができる、繊細な面も持ち合わせていた。

 今日は、遥香と会う日だった。

 それだけで、彼の中には少しだけ波立つものがあった。彼女との再会は、思い出を呼び起こす。それは、楽しいだけの記憶ではなく、“寂しさ”と“幸福”の狭間を行き来したあの頃の感情を掘り起こすからだった。

 カラン、と小さな音が鳴った。ドアの鈴が静かに響き、少し遅れて遥香が入ってきた。ふんわりとしたベージュのスプリングコート、髪は肩より少し下で揺れている。彼女の笑顔は変わっていなかったが、その目元には以前よりも自信が見える。

「待った?」

「いや、俺もさっき来たとこ」

 ユウタは軽く手を挙げて席を示すと、彼女は素直にその向かいに腰を下ろした。ふたりの間には、数秒間の沈黙が流れた。その沈黙は、気まずさではなく、“懐かしさ”のようなものだった。

「変わってないね、ユウタくん」

「そうかな。結構いろいろ変わったつもりなんだけど」

「でも、最初にこうやってカフェで話したときも、こんなふうに静かだったなって思い出してた」

「……あのときは、言葉よりコーヒーが先だった気がする」

「わたし、緊張してたから。変に喋りすぎた気がしてたの」

 遥香はそう言って笑った。その笑顔は、以前よりずっと自然で、肩の力が抜けていた。

 彼女は“積極的にアイデアを出す”タイプだった。何事も前向きに捉えて、常に“視野を広げるために新しい経験を求める”姿勢を崩さなかった。けれど、その明るさの裏にある“さみしさ”を、ユウタは知っていた。

「最近、どう?」

「仕事は順調。だけど、なんか……追いつかなくなってきてる。考えること多くてさ。忙しくしてると、自分の感情が後回しになる」

「それ、わかるな」

「ユウタくんも?」

「うん。朝のコーヒーを飲みながら、外の景色をぼんやり眺めて、“あ、俺、ちゃんと立ち止まれてる”って思える瞬間が、いちばん自分らしい気がしてる」

「……わたしも、そんな時間がほしいな」

 外の景色は、静かに動いていた。通勤の人たちが駅へと向かい、鳥取の空は春特有の白んだ光に包まれていた。

「なあ、遥香」

「うん?」

「前に、“これからの人生、何を軸にしたい?”って聞かれて、うまく答えられなかったことあったろ」

「あったね。で、今日はその答えを持ってきたってこと?」

「いや、まだ見つかってない。けど、今は“誰と過ごすか”のほうが大事だと思えるようになってきた」

「……それって、告白?」

「違う違う、まだ準備中。でも、その入り口には立ってるつもり」

 遥香は目を細め、少しだけ口元を緩めた。

「わたしね、ユウタくんのそういうとこ、ずるいなって思うことあるよ」

「ずるい?」

「言葉にしないで、感情だけで伝えてくるから。……こっちの気持ち、かき乱される」

「ごめん」

「でも、嫌じゃない」

 その一言で、ユウタは少しだけ視線を逸らした。カップの中のコーヒーはすでに冷めかけていて、その香りも薄くなっていた。

「……また会える?」

「もちろん。次は“ちゃんと言葉にする”回、楽しみにしてる」

 店を出ると、空はうっすらと雲に覆われていた。ふたりは並んで駅までの道を歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を交わした。

「なんかさ、今日は“寂しさと幸福の境界”にいる感じがする」

「わかる。“目標”って言えるほど立派なものじゃないけど、今のこの瞬間が“次に繋がってる”って、感じられてる」

「そうだね」

 朝の空気は、まだ少し冷たかったが、そこにふたりの体温が少しずつ溶け合っていた。

 景色も、会話も、感情も。すべてが“ぼんやりと、でも確かに美しい”。

 それが、今のふたりの距離だった。

(chap199 完)


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