【chap182 守口市】
土曜の昼下がり、守口駅前のアーケード街には、いつものように地元の人々の声と、焼きたてのパンやたこ焼きの香りが入り混じっていた。想はというと、その商店街のすぐ脇にあるカフェ「木漏れ日の席」で、スコーンとカフェラテを前にしてひとり、スマホの画面をタップしていた。目元にはいつも通りの明るい表情を浮かべながらも、その奥では何かを考えているような様子だった。
店内の隅にある、一段高くなったお気に入りの窓際の席。いつもより少し遅く来たにもかかわらず、そこが空いていたことに、想は素直に「やった」と小さく口に出した。
「今日、ついてるな……」
そんなふうにひとりごとを言いながら席に腰掛ける彼は、誰とでもすぐ打ち解ける“常にポジティブ”な性格で、どこへ行っても空気を明るくしてしまう力を持っていた。周囲と協力しながら目標を追うことにも長けており、その持ち前の“活発さ”と、“優しさ”と“能天気さ”の絶妙なバランスで、多くの人に好かれていた。
そして、そんな想の視界に入ってきたのが、同じカフェに入ってきた紗栄だった。彼女はいつもと同じように、少し気だるげで、飄々とした表情を浮かべていた。肩までの髪はふわりと揺れ、ベージュのニットに、ふわっとしたスカートを合わせた装いは、まるで“休日を甘やかし尽くすプロ”のようだった。
「よっ、偶然やな。いつもその席座ってるよな、想くん」
「お、紗栄! 今日もカフェ時間か?」
「まぁね。なんかさ、こういう日に家にいてもダラダラするだけだし。来てみたら……お気に入りの席が空いてた」
「ラッキーやな」
「……ほんと、それだけで心がほっこりする。ね?」
紗栄は席を指差しながら小さく笑った。想は彼女のそういうところが妙に好きだった。自分を甘やかしがちで、でもどこか“穏やかで優しく”、そして何より、自己表現がとても豊か。何気ない会話のなかに、彼女らしい世界観がにじみ出ている。
「そういえばさ、最近、ちょっとだけ将来のこと考えてたんだよね」と紗栄が唐突に切り出す。
「お、珍しいやん。珍獣・紗栄がそんな真面目な話とは」
「失礼な。……でも、ほんとに。最近さ、何かを“心から信頼できる時間”って、あるかなーって思ってて」
「んー……俺の場合、たぶんこういう時間かも」
「このカフェ?」
「そう、ここで何か飲みながら、いつもよりちょっとゆっくりして、ぼーっとするだけでも、未来のことがちょっと楽しみになるというか……」
「それ、いいね」
紗栄はストローをくるくる回しながら、想の顔を見た。そして、ふと真剣な目をしてこう言った。
「わたしね、けっこう自分に甘いの、自覚してる。でも、それがだめだってずっと思ってた。周りと比べて、動き出すの遅いし、目標もぼんやりしてるし……」
「それでもいいんやと思うけどな」
「そうかな」
「うん。だって、そんな紗栄でも俺にはめっちゃ“頼れる存在”に見えるし。自己表現も上手やし、自分の機嫌の取り方、知ってる感じするもん」
「……それ、ちょっと嬉しい」
紗栄はその言葉を聞いて、まるで信じられないものに出会ったような顔をした。嬉しそうで、でもどこか泣きそうな、その表情に想は少し驚いた。
「泣くなよ」
「泣いてないし」
「じゃあ、泣きそうな紗栄に一杯おごるわ。未来が楽しみになる記念ってことで」
「なにそれ。調子いいなぁ、想くん」
「そりゃ“ポジティブ男子”ですから」
ふたりは笑い合い、カフェの空気は一層柔らかくなった。外を見れば、商店街のアーケードの向こうに、小さな風船を持った子どもが母親と手をつないで歩いている。その姿に、想は不意に心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ねえ、想くん」
「ん?」
「今日はちょっとだけ、心許せる時間になった気がする」
「俺も。そんで、そういう時間がちょっとずつ積み重なってくと、人生ってたぶん楽しくなるんやろうな」
「うん、たぶんね」
そして、想がそっとつぶやいた。
「また、この席空いてたら、いっしょに座ろ」
「……あはは。未来が楽しみになっちゃうな、それ」
ふたりの間に、言葉では語られない約束が芽生えた瞬間だった。
(chap182 完)