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第178章 優しさに包まれる時間

 箕面市、紅葉の名所として知られる箕面公園。午前中の曇天を押しのけて、午後には陽が差し込み始め、濡れた石畳に反射する光がちらちらと揺れていた。山道を登っていく途中にあるベンチで、康介はひとりペットボトルの水を傾けながら、小さく息をついた。静かな山の気配の中、周囲の木々が風に応えてざわめく音が、どこか彼の気持ちとリンクしているように思えた。

 康介は他者との調和を保ちながら、目標を共有して達成することに長けていた。周囲との関係を円滑に保つことを意識し、信頼関係を築くことに誰よりも気を配る男だった。しかし近ごろ、仕事仲間とのやりとりで、ふとした行き違いが何度か重なった。そのたびに自分の中で「なぜ伝わらなかったのか」「どこに誤解があったのか」と考えすぎてしまい、気がつけば夜眠れなくなる日もあった。

「信頼関係って、積み重ねるのはあんなに時間がかかるのに、壊れるのは一瞬なんだよな…」

 独り言が風に流される。誰かを責めたいわけじゃない。ただ、自分が意図していたことがうまく届かず、それによって人との間に小さな隙間が生まれていく感覚に、康介はひどく疲れていた。そんな彼の耳に、はしゃぐような足音が近づいてきた。

「ここにいたー!やっぱり康介、こういうとき自然の中に逃げるタイプ!」

 声の主は美波だった。対立を放置する傾向がありながらも、自分に正直に生きようとする芯の強さを持つ彼女は、いつだって率直だった。言葉はやや乱暴に聞こえるが、その奥にある想いはどこまでも真っ直ぐで、康介は彼女のそういうところに幾度も救われてきた。

「逃げてるつもりはないんだけどな。考え事してただけで」

「それを“逃げ”って言うんだよ。ほら、また難しく考えようとしてる」

 彼女は軽く腰を落とし、隣にどっかりと座った。リュックから取り出した小さなパンをかじりながら、康介の横顔をちらっと見た。

「最近、寝てないでしょ? 目の下、ちょっとクマできてるよ」

「…分かるか」

「そりゃ分かる。私、けっこう見てるからね、康介のこと」

 その言葉に、康介は少しだけ目を伏せた。人と調和を図ることはできても、自分が誰かに気にかけられることには、いまだにどこか慣れない。それが嘘じゃないと感じたとき、逆に戸惑ってしまうのだ。

「俺、人と信頼築くのは好きなんだ。でもそれが少しでも崩れると、自分が全部壊れたみたいな気分になる。何かを守ることに必死になって、そのうち“守ってるもの”が何だったか分からなくなる」

「…分かるよ、それ。でもさ、康介ってさ、“壊れるのが怖い”って気持ちが強すぎるのかもね」

「…かもな」

「信頼って、そんなに硬いものじゃないと思う。もっと、ふわっとしてて、柔らかいものかもしれないよ。だからちょっと形が崩れても、また時間かけて戻せるんじゃないかな」

 康介は思わず彼女を見た。ふわっとしてて、柔らかい。そんな表現は、自分ではとてもできなかった。だが、その言葉の響きには、不思議な説得力があった。彼女がそう言うなら、もしかしたら自分が考えすぎていただけなのかもしれないと、そう思えてくるから不思議だった。

「それでもやっぱり、俺は“ちゃんと伝えたい”んだよな。何があったのか、どう思ってるのか。誤解されたくないから」

「うん、じゃあ伝えればいいじゃん。時間がかかっても、回り道でも。相手がすぐに聞く耳持たなくても、康介の言葉は、ちゃんと誰かの心に残ると思うよ」

「美波ってさ、なんでそんなに俺に優しいの?」

「それは…たぶん、私が康介に優しくされてるから、返してるだけだよ」

 その言葉に、康介はふっと目を細めた。優しさをもらった記憶なんて、正直曖昧だったが、それでも美波がそう思っているのなら、それが“答え”だったのかもしれない。

 風が少し強くなり、木々の枝が揺れる音がさざ波のように耳を包んだ。ふたりは言葉を交わさず、しばらくそのまま景色を眺めた。

「俺、もう少し頑張ってみるよ。関係を修復するために、ちゃんと自分の気持ちを言葉にしてみる」

「うん、それが康介らしい。…それにしても、さっきの“壊れたみたいな気分になる”って言葉、詩人みたいだったよ」

「やめろよ、照れるだろ」

「ふふ、でも私、そういうところも好きだけどね」

 康介は照れくさそうに笑いながらも、その言葉を大切に胸にしまった。たとえ信頼が揺らいでも、また築き直せる。そんな気持ちになれるのは、美波がくれた“ふわっとした優しさ”があったからだ。

 優しさに包まれる時間。それは、壊れたと思った何かが、静かに再生を始める小さな兆しだった。

 終



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