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第177章 別れと再会の狭間

 東大阪市、文化会館の裏手に広がる小さな緑地。夕方、ビルの谷間から差し込む光が芝生の輪郭を照らし、道沿いの石段にはポツリポツリと人影が揺れていた。僚はその一角に一人で座って、手帳を膝に広げたまま、何も書き込めずにいた。誰かと話すときには笑顔を絶やさず、仲裁に優れると周囲に言われながらも、彼は今、その笑顔の裏にある“言えなかった言葉”の重みに息苦しさを感じていた。自分の世界にこもる癖がある彼は、表面上の穏やかさの裏で、葛藤と対話しながら静かに自分を追い詰めていた。

「言葉にしたかっただけなんだよな、ほんとは…」

 今日、僚は長年のプロジェクトチームから離れることが決まった。誰からも責められたわけじゃない。ただ、環境の変化と方針の違いが積み重なり、自分から“降りた”選択だった。それでも心の奥では、どこか“置いていかれた”ような痛みが疼いていた。誰にも言わずに去ることを決めたが、それが正しかったのか、今はわからない。ただひとつ、どうしても忘れられない人がいた――実花の存在だ。

 その彼女が、今まさに僚の前に現れた。風に舞う薄手のスカートが彼女の足元をなぞり、夕日を背にしたその姿は、どこか懐かしい映画のワンシーンのようだった。思いやりがあり、笑顔を絶やさず、そして自分のペースで冷静に目標に向かっていく。そんな実花は、僚の言葉を無理に引き出すことなく、いつも“察する”ことに長けていた。

「やっぱり、ここにいた」

「…なんで分かったんだよ」

「この時間、この空気で、僚が誰にも言わずに一人になってるって、何となく分かるよ。黙って消えるなんて、僚っぽいけどさ」

「……消えたつもりはなかったんだけどな」

「それでも、私はちゃんと気づいてる。僚が“別れ”を言葉にするのが苦手だってことも」

 彼女は隣に腰を下ろすと、何かを待つように黙って空を見上げた。言葉が沈黙に変わるまでの間に流れる風が、何もかも包み込むようなやさしさを含んでいた。

「俺、こういうの、ほんと苦手なんだ。別れ際の“ありがとう”とか、“お疲れさま”とか。ちゃんと伝えたいのに、喉の奥で詰まって…結局、何も言えずに終わる」

「うん、知ってる。でもね、それを“伝えたい”って思ってくれるだけで、私は十分だよ」

 その言葉に僚の胸が少しだけ痛んだ。伝えられなかったことが、いつも悔しさになって心に残る。それでも、実花が笑ってそう言ってくれることで、許されているような気がした。

「俺さ、仲裁とか調整とか、そういうのは得意だった。誰かの間に入るのが自分の役目だと思ってた。でも気づいたら、自分の本音を言うタイミングが分からなくなっててさ。ずっと“良い顔”してるだけの自分に、少しずつ疲れてたんだ」

「僚が良い顔してたのは、誰かのためだったんでしょ?でもそれって、自分のためでもあったはず。誰かを助けることで、自分がそこにいていい理由を見つけてたんじゃない?」

「…かもな。誰かに必要とされることで、自分の存在価値を確かめてたんだと思う」

 実花はゆっくりと立ち上がり、夕日で金色に染まった草むらを一歩踏み出したあと、くるりと振り返った。

「別れは悲しいけど、私は僚に“再会”してほしいと思ってる」

「再会?」

「うん。いつかまた、今とは違う場所で、違う形で、笑って会えたらって。そのためにも、今の別れをちゃんと大事にしたいなって思うの」

 僚の目が、少し潤んだ。彼の中で言葉にならなかった思いが、ゆっくりと浮かび上がるように形を持ちはじめていた。

「…ありがとう、実花。俺、きっとまた会いに行くよ。今度はちゃんと、自分の言葉で話せるようになってるから」

「うん、そのときまで、お互い頑張ろうね」

 別れと再会の狭間に立つふたりは、それぞれの未来に向けて静かに歩き出した。沈みかけた太陽の光が、その背中をやさしく見送っていた。

 終


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