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第175章 朝焼けの中で

 泉大津市、フェニックス通り沿いの堤防沿いから、朝日がじわじわと水面に染み込むように昇っていた。悠輝は、手すりに寄りかかりながらその眩しさを眺めていた。日課のランニングの帰り道だったが、足を止めたのは、走っている間もずっと胸の奥で渦巻いていた考えが、冷えた風とともに浮き彫りになったからだった。

 彼は他者との調和を大切にし、共に進もうとする姿勢を忘れず、他人の成功を心から祝福することができる人間だった。けれど、そんな彼にも“人間らしい陰り”があった。最近、それが自分でもはっきりわかるくらい、顔を覗かせていた。他人の成功を喜びながら、心のどこかで嫉妬してしまう自分。言葉では「よかったね」と笑いながら、胸の奥では「どうして俺じゃないんだ」と叫んでいるもうひとりの自分。認めたくない感情だった。そんな感情を持ってしまった自分が情けなくて、走っても、風に当たっても、心は晴れなかった。

「こんな俺が、誰かの背中を押せるなんて、言える資格あるのかな…」

 小さく呟いた声が、誰に届くでもなく空に吸い込まれていった。辺りにはほとんど人がおらず、静かな朝の空気だけが包んでいた。

「悠輝?」

 その声に驚いて振り返ると、そこにいたのは朱莉だった。朝焼けに照らされる彼女は、瞼にうっすらと浮かんだ眠気を隠さずに微笑んでいた。彼女は気が短く、衝動的な言動で驚かせることもあるが、自分の強みを活かして他者にインスピレーションを与える力を持っていた。そして、彼女自身が“結果”に強くこだわるのではなく、“何をどう伝えるか”を知っている人だった。

「まさかここにいるとは思わなかった。昨日の顔、なんか引っかかってたから、もしやと思って来てみたら…正解だった」

「こんな朝早くに?」

「うん。こっちは寝ぼけてるけど、そっちはもう走ってきた顔してる」

 彼女の軽口に少しだけ肩の力が抜けた気がして、悠輝はふっと苦笑した。

「…朱莉はさ、他人の成功見て、羨ましいって思ったことある?」

「もちろんあるよ。何度もある。特に、自分が頑張ってるときに限って、周りばっかり評価されると“なんで?”ってなる」

「…だよな。でも、俺はずっと、“他人の成功を祝える人でありたい”って思ってきた。そう思ってきたはずなのに…最近、自分の中に嫉妬があることに気づいて、情けなくて」

「それ、すっごく分かる。でもさ、祝福できる自分でいたいって願ってる時点で、もう十分じゃない?」

「そうかな…」

「うん。だって、人を妬むって、誰でもある。そこから目を逸らすか、ちゃんと見つめるかで、全然違うんだよ。悠輝はちゃんと、自分と向き合おうとしてる」

 朱莉の言葉はまっすぐで、まるで風が吹き抜けるように胸に入ってきた。いつもは衝動的に見える彼女の言葉が、こんなにも的確に心の奥を突いてくるとは思わなかった。

「俺、誰かの成功を“良かった”って言いながら、どこかで“俺も認められたい”って叫んでた」

「それ、当然でしょ。だって頑張ってるんだもん。誰かに“見てほしい”って思うのは、当たり前じゃん」

「それを言える朱莉、強いな」

「違うよ、慣れてるだけ。嫉妬して、怒って、泣いて、それでもまた“よかったね”って言って…そうしてるうちに、だんだん“本当に祝えるようになってくる”の」

「…なるほどな。それを何度も繰り返していくしかないってことか」

 朱莉は大きくうなずいた。

「それにね、さっき言ってた“他人の成功を祝える人でありたい”って、すっごくかっこいいことだと思うよ。私、そういう悠輝、好きだよ」

 突然の言葉に、悠輝は固まった。朝焼けの光が二人の間を照らし、言葉の余韻が空気の中でゆっくりと溶けていった。

「お、おう…ありがとう」

「顔赤くなってるし。ふふ、かわいい」

「からかうなよ…でも、今の一言で、だいぶ救われた」

「うん、それならよかった」

 少し照れくさそうに笑い合う二人の間に、やわらかい空気が流れる。遠くでカモメの声がして、空の色がさらに明るく変わり始める。

「今日は、少し頑張れそうな気がする。誰かの成功にちゃんと“良かった”って言えるように」

「うん、私も。誰かの頑張りを、ちゃんと見てあげられる人でいたいって思う」

 風がふたりの髪を優しく撫で、朝焼けの色が水面にきらきらと反射していた。穏やかな景色の中、ふたりは並んで立ち、ほんの少しだけ背筋を伸ばして、今日という新しい一日へと歩き出した。

 朝焼けの中で。それは、弱さも嫉妬も認め合いながら、ほんの少し強くなったふたりが交わした、正直な気持ちの光だった。

 終


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