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第162章 優しさが滲む言葉

 大津市、琵琶湖のほとりにある歴史博物館前の小道。朝の淡い光が湖面にゆらめき、静かな街の気配が少しずつ動き出している。颯真はベンチに座り、携帯も開かず、ただ指先を組んでうつむいていた。高い理想を持ち、周囲との調和を大切にしながらも大胆な決断が得意な彼だが、今朝は自分の「決断」が誰かを傷つけたのではないかという思いが、胸の奥に居座って離れなかった。

「周りのことを考えて選んだつもりだったのに、なんでこんなに後味が悪いんだろう…」

 先日、グループの方針を一気に切り替える判断を下した。周囲の賛同を得るため、事前に意見を集め、調整にも時間をかけたはずだった。しかし、それが「強引だった」と一部のメンバーに受け取られてしまい、自分の理想と、実際の行動のズレに打ちのめされていた。

「颯真?」

 その声は、愛理だった。彼女は目先の結果に集中し、協力的で、人に対して優しく接することができる人間だ。彼女の声は朝の空気の中でもはっきりと響き、颯真の耳に自然と届いた。

「どうしてここに?」

「さっき、グループの子たちと話してたの。颯真、最近少し元気なさそうだって。もしかしてと思って来てみたの」

 颯真は微笑んだつもりだったが、きっとその笑顔は歪んでいたはずだ。「…やっぱり、隠しきれなかったか」

 愛理はそっと彼の隣に座り、視線を湖面へ向けた。静かに揺れる水面に、朝の光が虹のように淡く反射している。

「やっぱり、あの決断のこと考えてる?」

「ああ。自分ではみんなのためになると思って動いた。でも…違ったのかも。結果は出たけど、納得できてない人もいたみたいだし」

「颯真は、間違ってなかったと思うよ」愛理の声は淡々としていたが、そこには迷いのない優しさがあった。「だって、誰よりもみんなの意見を聞こうとしてたし、何より、未来のことまで考えて選んだでしょ?」

「でも、そのせいで気まずくなったやつもいた。あいつらにとっては、俺が一人で勝手に決めたように映ったんだろうな」

「うん、そう見えたかもしれない。でもね、それって颯真がちゃんと考えて決めたってことが分かってるから、だからこそ言葉に出せたんだと思うよ」

 颯真は思わず、隣の愛理を見た。その横顔は真っ直ぐで、まるで朝の光をそのまま宿しているように見えた。自分が悩んでいることを、責めるでも笑うでもなく、ただ受け止めてくれるその姿勢が、何より心にしみた。

「俺…やっぱり、自信なかったのかもしれない。理想を追いすぎて、現実が見えなくなってたんじゃないかって思ってた」

「それでも、踏み出したことがすごいんだよ。颯真の判断があったから、今前に進んでる。まだ途中だけど、みんなその道をちゃんと歩こうとしてる」

 颯真は言葉を失い、じっと自分の手のひらを見つめた。大事な時こそ、この手で誰かの背中を押せるようになりたいと、そう願っていたはずだった。だけど、実際には手の力加減を間違え、人を押しすぎてしまったような後悔ばかりが残っていた。

「愛理って…どうしてそんなに人に優しくできるんだ?」

「うーん、私もね、うまくいかなくて悔しかったこと、いっぱいある。でも、そのときに誰かにかけてもらった言葉が嬉しくて。その気持ち、次は私が誰かに渡したいって思ったの」

 その言葉に、颯真は小さく「ありがとう」と呟いた。それは、彼の中にずっと澱のように沈んでいた思いが、少しずつ浄化されていくような音だった。

「次は、もう少しだけ…周りの声を聞く余裕を持ちながら、決断してみるよ。俺の理想だけじゃなくて、みんなの理想も背負っていけるように」

「うん、それならきっと、もっと素敵なリーダーになれるよ」

 愛理が差し出した手に、颯真は静かに自分の手を重ねた。小さな掌だったが、そこには確かなぬくもりがあった。

 琵琶湖の水面が風に揺れ、波紋が二人の影を優しく包み込むように広がっていく。朝の光は雲の合間から差し込み、石畳の道に細長い影を描いていた。

「またここに来よう。次は、みんなと一緒に笑える報告ができたらいいな」

「うん、次はその日を楽しみにしてる」

 優しさが滲む言葉。それは、愛理がくれた真実の光だった。

 終


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