第128章 他愛のない話
鎌倉市、長谷寺の境内。宏樹は石畳の道を歩きながら、木々の隙間から差し込む陽光をぼんやりと眺めていた。群れるのが苦手で、いつも一人でいることが多い彼だが、今日は少し心が重かった。自分の意見に自信を持ち、自分の進むべき方向を決して見失わないタイプだが、ここ最近はどうも気が晴れない。
「何か悩んでるの?」
背後から聞き慣れた声が響き、宏樹が振り向くと、唯が立っていた。彼女はチャレンジ精神があり、自分の行動に責任を持って最善を尽くす性格をしている。しかし、その笑顔の裏にはどこか疲れた表情が見えた。
「唯か。どうしてここに?」
「なんとなく。宏樹が来そうな気がして。やっぱりここにいたね」
宏樹は少し照れくさそうにうなずき、「まあ、考えごとには丁度いい場所だからな」と答えた。唯はそんな宏樹の横に立ち、同じように景色を眺めた。
「最近、何かあった?」
「いや、大したことじゃない。ただ…自分のやり方が本当に正しいのか、ふと考えちまってな」
唯は少し首をかしげた。「宏樹がそんな風に悩むなんて珍しいね」
「俺だって悩むさ。自分を信じてやってきたけど、結果が出ないと不安になる」
唯は静かにうなずき、「それでも、宏樹のやり方って、いつも筋が通ってると思うよ」と言った。その言葉に、宏樹は少し驚いた表情を見せた。
「そう見えるか?自信はあるけど、それが空回りしている気がしてさ」
「うん。でも、空回りしてもいいんじゃない?だって、挑戦してる証拠なんだから」
宏樹はふっと息をつき、「君は相変わらずポジティブだな」と笑った。唯もその笑顔に安堵し、「だって、悩んで立ち止まっても、前には進めないから」と軽やかに答えた。
「この前、仕事でミスしてさ。上司に怒られて落ち込んだけど、考えたら自分が足りなかっただけだって気づいたんだ」
宏樹は少し目を伏せ、「俺もそうかもしれない。頑固に自分のやり方を貫こうとして、周りを見てなかったのかもな」と呟いた。
唯が笑って「宏樹らしい」と言うと、宏樹は「そうか」と納得したようにうなずいた。二人の間には自然な空気が流れ、しばらく他愛のない話を続けた。
「そういえば、最近ハマってることとかある?」
「うーん、料理かな。失敗ばかりだけど、少しずつコツが分かってきて楽しいんだ」
「意外だな。チャレンジ精神旺盛な唯が、料理でつまずくなんて」
「いや、料理って意外と難しいんだよ。分量とか火加減とか、何度も失敗してようやくコツがつかめてきたんだ」
宏樹はその話に少し興味を持ち、「今度、俺にも味見させろよ」と冗談交じりに言った。唯が「約束だよ」と笑うと、宏樹は心がほぐれるのを感じた。
「なんかさ、君と話してると、どうでもいいことで悩んでた気がしてくる」
「それが私の得意技だからね。何事も楽観的に考えれば、意外と乗り越えられるものだよ」
二人は長谷寺の境内を歩きながら、桜が咲き始めた木々を眺めた。宏樹の心もまた、少しずつ柔らかくなっていく。
「唯、ありがとうな。君とこうして話すと、自然に元気が出るよ」
「私も。宏樹が素直に悩みを話してくれるのって、なんだか嬉しい」
宏樹は少し照れながら、「また、こうして他愛のない話をしよう」と言った。唯は満面の笑みで「もちろん」と応えた。
風が桜の花びらを舞い上げ、二人の周りをひらひらと踊らせている。宏樹はそんな風景を見ながら、自分の考えに固執するだけではなく、時には柔軟に受け止めることの大切さを実感していた。
「また、ここに来ような。次は料理の成功話でも聞かせてくれよ」
「うん、楽しみにしてて!」
二人は長谷寺の境内を後にし、肩を並べて歩き出した。夕暮れの鎌倉には、優しい時間が流れていた。
終