第一一〇章「夜空に浮かぶ思い出」
武蔵村山モールの屋上駐車場。冬の夜風がコンクリートの床を吹き抜け、冷たい空気が頬を刺すようだった。空を見上げると、澄んだ星々が点々と瞬き、都会の明かりが少ないこの場所では、それがより鮮明に見えた。
翔輝は、手すりに寄りかかりながら、ゆっくりと息を吐いた。彼は「安定した考え方をする」ことで周囲を支えながらも、“機知に富んだ”発想で誰かと共に成長することを大切にしている。けれども、時にはその“冷静さ”が仇となり、相手の感情を読み違えることもあった。
今日、ここで待っているのは美代子だった。彼女は「他者の意見を尊重し、共に解決策を見つける」ことを得意とし、その優しさが時に“熱さ”として伝わるほど、周囲を励ます存在だった。しかし、他者に合わせすぎることで、自分の思いを後回しにすることも少なくなかった。
「遅くなってごめんね」
美代子が屋上に姿を見せた。グレーのダッフルコートに手を突っ込みながら、少し息を切らしている。翔輝は苦笑しながら首を振った。
「いや、俺も今来たとこ」
「嘘つき。寒そうにしてたじゃない」
「バレたか」
ふたりは並んで手すりに寄りかかり、同じ方向を見つめた。駐車場の下には、夜でもまだ営業している店舗の灯りがぽつぽつと見える。ふと、美代子が口を開いた。
「こうして夜空を見るの、久しぶりだね」
「そうだな。前に一緒に見たのは……確か、花火大会のときか」
「あのとき、すごく混んでて、私、ちょっとパニックになってた」
「覚えてるよ。俺が無理やり引っ張って、少し離れた丘に移動したよな」
「うん。それで、夜空に浮かぶ花火を二人で見上げてた。あの時の空気、なんか不思議だった」
翔輝はふと、ポケットから小さな紙袋を取り出した。
「これ、持ってきたんだ」
「何それ?」
「キャンディ。お前、甘いもの好きだろ?」
美代子は微笑み、ひとつ取り出して口に入れた。ほのかな柑橘の香りが広がり、冷えた身体に少しのぬくもりを感じた。
「ねぇ、翔輝。私、あのときも今日も、あなたが隣にいると安心するんだ。何かがあっても、大丈夫って思える」
「……俺もだよ。お前の“共に解決しよう”って姿勢が、俺には支えになってた。自分ひとりじゃどうにもならないことがあっても、お前となら解決できる気がする」
ふたりは、同じ星を見上げながら静かに笑った。翔輝は、思い切ってその言葉を口にした。
「俺さ、ずっと言えなかったけど、お前がそばにいると、笑顔が絶えないんだ。どんなに冷静を装ってても、内心では嬉しくて仕方ない」
「……私も、翔輝がいると、自分が自分でいられる気がするの。頑張りすぎなくても、“それでいい”って言ってもらえる気がして」
翔輝は少し照れたように視線を落とし、ポケットの中で手を握りしめた。勇気を振り絞って、もう一歩踏み出すときだと感じた。
「美代子、これからもずっと、俺のそばにいてくれないか?」
その言葉に、美代子の瞳が少し潤んだ。夜風が髪を揺らし、彼女は静かに頷いた。
「うん。私も、あなたのそばにいたい」
ふたりはそのまま手を取り合った。冷たかった指先が少しずつ温まり、気持ちが繋がっていくのがわかった。夜空には、まばらな星がゆっくりと瞬き続けている。
——夜空に浮かぶ思い出。
それは、不器用なふたりが勇気を出して手を取り合い、これから先の未来を一緒に描き始めた、大切な一瞬だった。
(第一一〇章 完)




