第一〇七章「星の海に漂う二人」
東大和市駅前のロータリーを抜けた先に広がる東大和市民体育館。その裏手には小さな広場があり、冬の星空を見上げるにはちょうどいい開けた空間がある。夜の気温はぐっと冷え込み、地面に立つ影が月の光に照らされて長く伸びていた。
友樹は、その広場のベンチに腰掛けていた。手にはカフェオレの缶。指先が少しずつかじかんでいく感覚を受け入れながら、視線は上空に釘付けになっていた。寒空の下、星がまるで海の波のように揺らぎながら瞬いている。
自分のペースで進んでいく性格の彼は、何かを急かされるのが苦手だった。だが、“他者と共に成果を上げることに喜びを感じる”という強い思いを心に持っている。それは、自分一人では感じられない“達成感”が、誰かと歩む中にこそあると信じているからだった。
「お待たせ」
その声に振り返ると、ひまりが立っていた。ふわりとした淡い青のストールが、冬の空気の中で柔らかく揺れている。彼女は、自分のペースで目標を達成する一方で、“他者との信頼関係”を何より大切にしてきた。そして、“誰かをサポートすること”に喜びを感じる、そんな人だった。
「寒くない?」
「ううん、大丈夫。今日は、星がよく見えるって言ってたから、楽しみにしてたんだ」
「……ほんとだね。星の海って、こんなに近くに広がってるんだな」
ふたりは並んで空を見上げた。都会の喧騒から少しだけ離れたこの場所には、空気の透明度と同じくらい、心を静かにさせる力があった。
「ねぇ、友樹くん。私、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「うん?」
「あなたにとって、“誰かと一緒にいる”ってどういうこと?」
唐突な問いに、彼はしばらく沈黙した。口に出すには、言葉が多すぎて、どこから話せばいいか分からなかったからだ。だが、ひまりのまっすぐな瞳に背中を押され、少しずつ語り始めた。
「……俺にとって、それは“星の海に一緒に浮かぶこと”なんだと思う。誰かが隣にいることで、自分の存在が確かになる。波に流されても、隣にいる人がいれば、また戻れるって信じられる」
「……それ、すごく分かる」
ひまりはそっと頷き、手袋越しに自分の膝の上で手を組んだ。
「私もね、いつも誰かの役に立ちたいって思ってた。だけど、本当は“誰かと一緒に在りたい”って思ってたんだよね」
「違い、分かる気がする。役に立つことと、心を重ねることって、似てるけど、全然違う」
「そう。だから、あなたといるときだけは“私でいい”って思える。うまく話せなくても、ただ一緒にいられることが幸せって、感じられるの」
友樹は、その言葉を聞いてふっと息を吐いた。ずっと胸の中で絡まっていた想いが、少しほどけたような気がした。
「俺ね、ひまりといると、あたたかな日差しを感じるんだ。たとえ曇りの日でも、お前が隣にいると、どこかに太陽があるって思える」
「……うん」
ひまりの頬が赤くなったのは、寒さのせいだけではなかった。友樹は、そっと自分のコートのポケットから、小さな封筒を取り出した。
「これ、読んでくれる?」
ひまりは少し驚いたように受け取り、中をそっと開いた。中には、友樹が手書きしたメッセージが一枚。
ひまりへ
君の存在は、僕にとって“日差し”そのものだった。
どんなに自分のペースでしか進めない僕でも、君が隣にいてくれることで、歩くことに意味が生まれる。
一緒に笑った日も、黙って並んで歩いた時間も、全部が宝物です。
これからも、星の海を一緒に漂ってくれたら嬉しい。
友樹より
手紙を読み終えたひまりは、ゆっくりと目を上げた。
「……私も、あなたと一緒にいられることが何よりの幸せ。だから、これからも隣にいさせてね」
「うん、約束するよ」
ふたりはそっと手をつないだ。見上げた空には、無数の星たちがふたりを包むようにまたたいていた。
——星の海に漂う二人。
それは、ペースの違いも不器用さも、すべてを受け入れたふたりが、一緒に同じ夜を、同じ空を、分かち合うことを選んだ証だった。
(第一〇七章 完)