第一〇五章「夜空に舞う星たちの声」
福生駅から少し歩いた先にある、アメリカンな雰囲気が漂う小さなカフェ。その店先には、星条旗と共に「OPEN」のネオンサインが揺れている。冬の夜風が通りを撫で、店の前に吊るされた電球の列を微かに揺らしていた。店内にはジャズが静かに流れ、時間の流れがゆるやかに溶けている。
亘は、カウンター奥の窓際席に座っていた。手元にはホットココアと、くたびれたスケッチブック。ページの片隅には、乱雑ながらも真剣な文字で、自分の考えや感情が走り書きされていた。
彼は“他者との信頼関係を築き、強化していく”ことを何よりも大切にしている男だ。その前向きなエネルギーは周囲を明るくする一方で、“感情が混乱しやすい”という内面のもろさを隠していた。勢いで突っ走ってしまい、後からひどく落ち込むこともあった。それでも彼は、自分の“らしさ”を手放すことはなかった。
「ごめん、遅くなっちゃった」
その声に顔を上げると、紗奈が立っていた。落ち着いた色のコートに身を包み、肩から下げたバッグにはいくつかのポストカードが覗いていた。彼女は、他者との協力を通じて目標を達成する喜びを知っている人であり、時に“他人に影響されやすい”という一面を持ちながらも、自分の意思で動こうとする“勇敢さ”を心の奥に秘めていた。
「来てくれてありがとう。今日は、話したいことがあって……」
亘は照れくさそうに笑いながら、彼女のために用意していたミルクティーをカウンター越しに手渡した。
「ありがとう。ここ、変わってないね。あのときも、夜遅くまで語り合ったよね」
「覚えてる。あのときの紗奈の言葉が、ずっと心に残ってた」
ふたりはマグを両手で包みながら、カフェの外に広がる夜空を見上げた。都会の明かりを避けたこの場所では、星がよく見える。どこか遠い場所で、小さな光が確かにまたたいていた。
「……最近、ちょっとストレスが溜まっててさ。前ほど、気持ちの整理がうまくできなくなってた」
「分かるよ。私も、自分が誰かに流されてるのか、それとも自分の意思で動いてるのか、分からなくなることがある」
「そんなとき、空を見上げると……思い出すんだ。“夜空に舞う星たちの声”って、昔君が言った言葉。あれ、ずっと俺の中で生きてる」
「……そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ。“どんなに混乱していても、星は変わらずそこにある。だから、自分もそこにいていいって思える”って」
紗奈は照れくさそうに頷いた。
「そうだね。あのときの私は、誰かに支えてほしくて、自分にそう言い聞かせてたんだと思う。でも今は、あなたの言葉で支えられてる」
「俺も同じ。お前の“協力する姿勢”に、何度も救われた。ひとりじゃできないことも、一緒なら乗り越えられるって思える」
カウンターの端、スピーカーから流れてきたジャズの旋律が、ふたりの間の沈黙を心地よく包んだ。亘は、スケッチブックを開き、一枚のページを彼女に見せた。
「これ……最近描いた。空に散らばる星と、ふたりで並んで歩く影」
紗奈は、それをしばらく見つめたあと、そっと呟いた。
「……綺麗。星って、孤独に見えて、実は全部繋がってるんだよね。人も、きっとそうなんだと思う」
「だから、君と繋がっていたい。今だけじゃなくて、これからも。自分が混乱しても、信じてくれる誰かがいるだけで、人は前を向ける」
「あなたがそう言ってくれるなら……私、信じる」
ふたりはカフェを出て、並んで歩き出した。福生の街灯の下、吐く息は白く、手のひらの距離は少しずつ縮まっていく。
——夜空に舞う星たちの声。
それは、迷いながらも信じる気持ちを手放さなかったふたりが、同じ空の下で“心を重ねる”ことを選んだ夜だった。
(第一〇五章 完)