第一〇三章「星が見守る夜」
国分寺駅の南口を抜けた先、夜の国分寺崖線沿いにある小道には、ほのかな街灯と時折聞こえる草木のざわめきが漂っていた。十二月の夜風は冷たいが、その澄んだ空気の中に広がる星空は、まるで誰かの背中をそっと押してくれるような、静かな強さを持っていた。
太一はその小道をゆっくりと歩いていた。左手には紙袋、右手はポケットの中でぎゅっと握られている。足元の落ち葉が軽く音を立てるたびに、彼の心も少しずつ整っていくようだった。
彼は「積極的に挑戦する」ことを信条とする男だった。周囲を明るく照らす力を持ち、誰かを褒めてその背中を押すのが自然にできる人。だが一方で、常に「安全」を重視する慎重さもあり、そのバランスが時に彼自身を迷わせることもあった。
「……ごめん、待たせた?」
声をかけた相手、美香里は、夜風に揺れるベージュのロングコートを羽織っていた。彼女は、誰かに「ありがとう」と伝えることを忘れない人だ。情熱的で、そして問題が起こればすぐに解決しようと動ける、まっすぐな女性。
「ううん、今来たとこ。……ほんとだよ」
彼女の言葉に、太一は心の中で小さく安堵したように微笑んだ。
ふたりは並んで歩き出す。国分寺崖線の緩やかな坂を下るたびに、街の灯りが遠くに広がっていく。空にはたくさんの星が瞬いていて、それがふたりの沈黙を優しく埋めていた。
「最近どう?仕事、忙しいって言ってたけど」
「うん、ちょっとバタバタしてた。でも、今日は絶対に時間を作りたかったんだ。美香里とちゃんと話したくて」
「……嬉しい。私も、あなたとゆっくり話したいと思ってたから」
「俺さ、ずっと考えてたんだ。“星が見守る夜”って、どういう夜なんだろうって。たぶん……不安や期待や、いろんな感情が入り混じった中で、それでも誰かと向き合える時間のことなんじゃないかって思った」
「……それ、すごく素敵な言い方」
「ありがとう。俺、美香里にちゃんと伝えたいことがある。今まで、“楽しい時間”を過ごしてきたけど、それだけじゃなくて……これから先の時間も、君と一緒に“乗り越えていきたい”って、そう思ってる」
美香里は立ち止まり、空を見上げた。
「私ね、最近、自分の感情に振り回されてばかりだった。情熱的に動くくせに、すぐに不安になったり、自分を疑ったり……でも、あなたがそばにいてくれるだけで、“大丈夫”って思えることが増えたの」
「俺も。君の“ありがとう”が、どれだけ俺の力になってるか……伝えきれないくらいだよ」
太一は、紙袋から小さな箱を取り出し、美香里に手渡した。
「開けてみて?」
中には、彼が自作した写真立てが入っていた。二人で行った思い出の公園で撮った一枚と、空を見上げて笑い合う小さな星のイラストが描かれていた。
「……これ、あなたが?」
「うん。不器用だけど、どうしても“カタチ”にしたくて」
美香里は、言葉を失いながらも、じっとそれを見つめていた。そして、静かに頷いた。
「ねぇ太一、私……“あなたといると、時間が足りない”って思うの。もっと話したいし、もっと一緒に笑いたい。たぶん、それって“好き”ってことだよね」
太一は頬を赤らめながら、でも真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「……俺も、ずっとそう思ってた。君といる時間が、何よりも大事だった。だから、これから先もずっと、一緒にいたい」
美香里はそっと彼の手を取った。
「じゃあ、今日はこのまま星が消えるまで、歩いていよう?」
「うん。たくさん話して、たくさん笑って、たくさん未来を語ろう」
ふたりはゆっくりと歩き出した。頭上には、無数の星が輝いていた。
——星が見守る夜。
それは、ふたりが心の距離を埋め、これからの時間を共に生きることを選んだ、決意の夜だった。
(第一〇三章 完)