第一〇一章「君との未来を描く夜」
日野市・高幡不動尊。年末の寒空の下、本堂の灯りがぼんやりと浮かび、参道には風に揺れる提灯の明かりが並んでいた。昼間の喧騒とは打って変わり、夕方六時を過ぎたこの時間帯は参拝客もまばらで、神聖な静けさが境内に漂っていた。
陽都は境内の石段に立ち、ゆっくりと息を吐いた。手袋越しにポケットの中で握っていたのは、小さなメモ帳だった。そこには、彼がここ数ヶ月、自分に問い続けてきた想いが断片的に綴られている。
進取の気性を持ち、どんな状況でも冷静に行動することができる彼は、普段なら不安や迷いを顔に出すことはなかった。だが、いま彼の心の中には、“本当の自分を大切にしたい”という思いと、“それを誰かに共有すること”への葛藤が渦巻いていた。
「来てくれて、ありがとう」
その声に、陽都が振り返ると、悠里が立っていた。黒のロングコートに身を包み、髪を緩くまとめている。彼女は、確かな直感を持ち、誰かの言葉に惑わされることなく、自分で解決するのを好む。そんな強さが、陽都の胸を震わせる存在だった。
「……ここ、変わらないね」
「うん。昔、二人で初詣に来たときも、こんな風に人が少なかった」
「そのとき、あなたが甘酒こぼして、“めっちゃ熱い!”って叫んでたの、まだ覚えてるよ」
ふたりは思わず笑い合った。境内の隅にある石灯籠の前に腰を下ろし、手を合わせたあと、ゆっくりと話し始めた。
「今日、どうしてここを選んだの?」
「たぶん、ちゃんと向き合える場所だから。自分とも、君とも」
「……何かあったの?」
「自分の未来を考えるようになった。今まではただ動いて、結果を出して、誰かに評価されることばかり気にしてた。でも、ふと気づいたんだ。“君といるときの自分”が一番自然で、本当の俺なんだって」
悠里は微かに眉を下げた。
「それって、すごく大切なことだと思う。でも、それに気づくのって、簡単じゃなかったよね?」
「うん。君がいてくれたから、気づけたんだよ。俺は、誰よりも冷静に見えて、本当はすごく臆病だった。失うのが怖くて、素直になれなかった。でも今日、君との未来を……ちゃんと描きたくて、ここに来た」
陽都はメモ帳を開き、そこに書かれた言葉を読み上げた。
“君との未来を描く夜”
忙しさの中で忘れかけていた感情。
何が欲しいかじゃなく、誰と過ごしたいかを問うようになった。
答えはいつも、君だった。
悠里はその言葉に、そっと目を閉じた。そして、微笑んだ。
「私ね、公園で親子が楽しそうに遊んでるのを見たとき、ふと思ったの。私も、誰かとこんな時間を共有したいって。隣にいる人と一緒に、小さな幸せを喜びたいって」
陽都は小さく頷き、隣の彼女の手をそっと握った。
「一緒に描こう、未来を。俺はもう、逃げたりしない。君のそばで、ちゃんと笑っていたい」
「私も。あなたとなら、どんな未来も怖くない。だって、あなたはちゃんと向き合ってくれる人だから」
ふたりの影が、石灯籠の淡い光に寄り添っていた。
——君との未来を描く夜。
それは、ひとりでは気づけなかった“本当の自分”を、大切な人のまなざしの中に見つけた夜。言葉も光も、すべてがふたりをやさしく包み込んでいた。
(第一〇一章 完)