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第一章「夢への切符」

 北海道の広大な大地を見渡す特急列車の窓際に座る健太は、手にした切符をじっと見つめていた。チャレンジ精神が強い彼にとって、新しい環境へ飛び込むことは決して珍しいことではない。しかし、今回ばかりは少し違った。夢への第一歩となるこの旅に、ほんの少しの不安が混じっていることを自覚していた。

「そろそろ着くな…」健太は窓の外に広がる雄大な景色を眺めながら、心の中でつぶやいた。

 列車が減速し、駅に近づくと、改札口の向こうに見覚えのある姿があった。美江だ。彼女は寒空の下、コートの襟を立てながらこちらに向かって手を振っている。その姿を見た瞬間、健太の心に張り詰めていた緊張が少しだけ和らいだ。

 ホームに降り立つと、美江が笑顔で迎えてくれた。「久しぶりだね、健太!」彼女の声は明るく、まるで冬の冷たい空気を溶かすようだった。

「久しぶり、美江。寒くなかったか?」健太は荷物を持ち直しながら尋ねる。

「もちろん寒いよ。でも、こうしてまた会えたらそんなの吹き飛ぶよね!」

 健太は美江の屈託のない笑顔に、少し驚いたような表情を浮かべた。周囲に前向きな影響を与える彼女の魅力は、以前と変わらず健在だった。彼女は誰とでも自然に調和を保ち、人との違いを尊重することができる。そんな美江と並んで歩くうちに、健太の足取りも自然と軽くなっていく。

 二人は駅を出て、雪が舞う街を歩きながら語り合った。共通の思い出話に花を咲かせながら、ふとした拍子にお互いの夢について語る時間が訪れる。

「健太の夢って、今も変わってない?」美江がふいに問いかけた。

「うん。自分のペースで、着実に進んでいくつもりだよ。焦らず、一歩ずつな」

「そうだね。健太らしいや」

 美江は彼の言葉に深く頷きながら、真剣な眼差しで続けた。「でもね、たまにはちょっと感情に任せてもいいんじゃない?夢に向かう道のりって、ただ進むだけじゃなくて、その瞬間瞬間の気持ちも大事だと思うんだ」

 健太はその言葉に少し考え込む。彼は確かに慎重に進むタイプだが、感情に流されることを恐れている節がある。そんな彼の内面を、まるで見透かしたかのような美江の言葉に、心が少し揺れた。

「…そうかもな。でも、美江はどうなんだ?今も変わらず、人を励ますことが好きなのか?」

「うん!私ね、人が夢を追う姿を見るのが大好きなんだ。だから、健太がこれからどんなふうに進んでいくのか、すごく楽しみ!」

 彼女の前向きな言葉に、健太は思わず微笑んだ。「それなら、俺も頑張らないとな」

 二人は互いに笑い合いながら、雪の降る北海道の街を歩き続けた。すがすがしい気持ちに包まれたその瞬間、彼らの旅は静かに、しかし確実に始まったのだった。




 美江の案内で駅前のカフェに入ると、外の冷たい空気とは対照的に、店内は温かく、どこか懐かしい香りが漂っていた。木目調のインテリアが落ち着いた雰囲気を作り出しており、窓際の席に座ると、大きな窓からは舞い落ちる雪がゆっくりと見えた。

「ここ、前に一緒に来たの覚えてる?」美江がメニューを開きながら微笑む。

「ああ、確か…大学に合格した時だっけ?」健太は記憶をたどるように店内を見回す。

「そうそう!あのとき、これからのことをたくさん話したよね」

「懐かしいな。あのときは、まだ漠然とした夢しかなかった」

 健太はふと遠い目をした。あの頃と比べて、自分はどれだけ成長できたのか——そんなことを考えていると、美江が注文を終えて、軽くテーブルを叩いた。

「今はどう?今の健太は、昔の自分に誇れる?」

 その言葉に、健太は少し驚いたような表情を見せた。美江の問いかけはいつも核心を突いてくる。彼女の前では、下手な誤魔化しは通用しない。

「…正直、まだ分からない。でも、少しずつでも進んでるって実感はある」

「それなら十分じゃない?」美江はあっけらかんと言い、温かい紅茶を口に運ぶ。「一歩ずつ、自分のペースで。それが健太のやり方でしょ?」

「…そうだな」健太は静かに微笑んだ。自分のペースを守りながら進むことを大事にしてきた。しかし、時には周囲の人間の支えがあってこそ、その歩みが確かなものになることを、改めて感じる。

「それにしても、ここ、変わってないな」健太はカフェの奥の壁に飾られた写真を眺めながら呟いた。

「うん、変わらないものも大事だよね。でも…変わることも大事かなって思うんだ」美江はどこか遠くを見つめるように言った。

「…何かあったのか?」健太は少し眉をひそめる。

「ううん、ただね、私も色々考えてて。私も私なりに、変わっていかなきゃなって」

 その言葉の奥に、何かが隠れている気がした。でも、美江はそれ以上語らず、ただ静かにカップを傾けた。

 窓の外では雪が静かに降り続けていた。二人の会話は、久しぶりに会った旧友同士のように、次々と共通の思い出を引き出していく。過去と現在が交差しながら、二人の時間はゆっくりと流れていった。

 この旅の先に何が待っているのか——それはまだ誰にも分からない。でも、このすがすがしい気持ちを胸に、健太は確かに前へ進んでいた。




 カフェを出ると、冷たい空気が肌を刺すように感じた。しかし、それが心地よかった。健太は深く息を吸い込み、澄んだ冬の空気を味わう。

「さて、どこに行こうか?」美江が軽く伸びをしながら尋ねる。

「そうだな……久しぶりに、昔よく行ったあの公園にでも行ってみるか?」健太は駅から少し離れた場所にある、小さな公園のことを思い出した。

「いいね!あそこ、相変わらず静かで落ち着くんだよ」

 二人は歩き始めた。雪が降り積もった歩道を踏みしめるたびに、ぎゅっと小さな音が鳴る。街並みは変わらないようでいて、どこか違う。新しい店ができていたり、昔よく通った書店がなくなっていたりする。

「時間が経つのって、ほんとに早いよね」美江がふと呟く。

「そうだな。でも、こうして歩いてると、昔と変わらない気もする」

 健太の言葉に、美江は少し驚いたような顔をした。「珍しいね、健太がそんなこと言うなんて」

「俺だって、たまには感傷的になるさ」健太は照れ隠しのように雪を蹴った。

「ふふっ、なんか新鮮かも」

 そんな何気ない会話をしながら、二人は公園にたどり着いた。そこは変わらず、静かで穏やかな場所だった。木々は雪をまとい、ベンチも白く染まっている。昔、ここで語り合った時間が蘇る。

「覚えてる?ここでさ、どっちが先に夢を叶えるかって話してたよね」美江が懐かしそうに言う。

「ああ、言ったな。結局、俺はまだ途中だけどな」

「でも、ちゃんと進んでる。私は……どうかな」

「美江、お前は昔から人に前向きな影響を与えてたじゃないか。今も変わらずそうだろ?」

「うーん……どうかなぁ」美江は少し考え込むように空を見上げた。「最近ね、ちょっと迷ってるんだ」

「迷ってる?」

「うん。私もずっと、自分のペースでやってきたつもりだけど……本当にこのままでいいのかなって」

 健太は美江の横顔をじっと見つめた。彼女はいつも他人を励まし、支える側だった。そんな彼女が迷うこともあるのだと、初めて気づいた。

「お前が迷うなんて、珍しいな」

「そうかな?たまには、私だって悩むよ」

「……そっか。でも、俺はお前がどんな選択をしても、それが間違いじゃないって思うよ」

 健太の言葉に、美江は少し驚いたようだった。そして、ふっと微笑む。

「ありがと、健太。やっぱり、こうして話すと気持ちが軽くなる」

「俺もだよ。久しぶりに会えて、話せて……なんか、すがすがしい気分になった」

 公園の静けさの中、二人はしばらく何も言わず、雪が降る景色を眺めていた。遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。そんな何気ない時間が、どこか特別に感じられた。

 この旅が、二人にとってどんな意味を持つのか——それはまだ分からない。でも、少なくとも今、この瞬間は、かけがえのないものだった。




 健太は、雪が静かに降る公園で立ち尽くしていた。昔と変わらない風景の中に、自分たちがどこか違うものを抱えていることを感じていた。美江が迷っていること、彼女が自分とは違う道を考えているかもしれないこと。そのことが、健太の心の奥に小さな波紋を広げていた。

「健太、なんか静かだね。どうしたの?」

「いや……美江がそんなふうに悩むのって、ちょっと意外だったなと思って」

「そっか。でもね、健太、私だって何もかも順調に見えても、実は不安になることもあるんだよ。だから、今日は話せてよかった」

「俺でよかったのか?」

「もちろん!健太は、昔からそういう意味では頼れるからね」

 健太は、その言葉に少しだけ戸惑った。頼られることが嬉しいのか、それともどこか遠ざかっている気がするのか、自分でもよく分からなかった。

「……健太の夢ってさ、具体的にはどんな形なの?」

 美江がそう尋ねたとき、健太はすぐに答えられなかった。彼の夢は、ただ「前へ進むこと」だった。しかし、改めて問われると、それがどんな形をしているのか、はっきりとは見えていなかった。

「うーん……俺は、今はまだ模索中って感じかな。でも、確実に前には進んでると思う」

「そっか。でも、そういうのも健太らしいね。焦らず、自分のペースで」

 美江は優しく微笑んだ。その笑顔に、健太は少し安心する。

「お前はどうするんだ?迷ってるって言ってたけど」

「うん……私ね、今まで周りの人を励ましてばっかりだったけど、自分自身のことをちゃんと見つめ直したいなって思ってるの」

「なるほどな……」

 健太は美江の言葉を噛みしめるように頷いた。人を励ますことが彼女の長所だった。でも、それと同じくらい、彼女もまた誰かに支えられたいのかもしれない。

「美江、お前がどんな道を選んでも、俺は応援するよ」

「……ありがとう、健太」

 その瞬間、二人の間に静かな共感が流れた。お互いに夢への切符を握りしめながら、それぞれの道を進むことを決めた。その道は交わるかもしれないし、離れるかもしれない。でも、少なくとも今この瞬間は、互いに背中を押し合える存在だった。

 公園のベンチに積もった雪を払いながら、健太はふと空を見上げた。白い雪が舞い落ちるその先に、彼の未来が広がっている気がした。

「よし、美江。もうちょっと歩こうか」

「うん!」

 二人は、雪の降る北海道の街を、少しずつ歩き出した。




 美江と並んで歩きながら、健太はふとポケットの中の切符を握りしめた。それは単なる移動手段ではなく、自分がこれから進む道の象徴のように思えた。けれども、その道は本当に正しいのか──そう思うと、少しだけ心がざわつく。

「ねぇ、健太。せっかくだし、どこか寄っていかない?」美江が提案する。

「どこかって……うーん、せっかくだし、ちょっとぶらぶらしながら決めるか」

「いいね。じゃあ、行き当たりばったりの冒険ってことで!」

 美江の前向きな言葉に、健太は自然と笑みを浮かべた。何も決めずに歩くなんて、普段の自分ならしないことだ。でも、今日はそれも悪くない気がした。

 二人は雪道を歩きながら、ふと目についた商店街へと足を向ける。温かい湯気が立ち上る屋台が並び、甘い焼き芋の香りや、ほっとするようなコーヒーの匂いが漂っていた。

「わぁ、懐かしいなぁ。ここ、昔からあるよね」美江が立ち止まったのは、小さなたい焼き屋の前だった。

「覚えてるか?高校の帰りによく食べたよな」

「うん!お小遣いが少なかったから、二人で一つ買って分けてたよね」

 思い出話に花を咲かせながら、健太は店のガラス越しにたい焼きを焼く店主の姿を見つめた。昔と変わらない光景。けれど、自分たちは確実に変わっている。

「せっかくだし、今日は一人一つ買おうぜ。もう大人だしな」

「ふふっ、確かにね!」

 二人はたい焼きを手に取り、まだ湯気の立つそれをそっと口に運んだ。皮はカリッと香ばしく、中の餡は優しい甘さが広がる。

「やっぱり美味しいね」美江が満足そうに微笑む。

「ああ、変わらない味だな」

 その言葉を口にしたとき、健太は自分がどこか安心していることに気がついた。時間が経っても、変わらないものがある。それが何よりも嬉しかった。

「ねぇ、健太」

「ん?」

「こういう時間、大事にしたいね」

「……そうだな」

 美江の言葉に、健太は深く頷いた。未来を見据えることも大事だけれど、こうして今この瞬間を楽しむことも、きっと同じくらい大事なのだろう。

 二人はたい焼きを食べながら、ゆっくりと歩き続けた。夢への切符を握りしめながら、確かに一歩ずつ、前へと進んでいた。




 冬の空気が頬を刺すように冷たいが、それでもたい焼きの温もりが手の中に心地よかった。商店街の通りは少しずつ人が増え、道行く人々の笑顔がどこか懐かしさを感じさせる。

「ねえ、健太。ちょっと寄ってみたいところがあるんだけど、いい?」

  美江が少し控えめに言った。

「もちろん。どこだ?」

  健太は軽く頷きながら、美江の顔を覗き込んだ。

「昔、よく行ってた本屋さん、まだあるかなって思って」

  美江は少し照れくさそうに言いながら、商店街の奥を指さした。

「ああ、あそこか。懐かしいな。よし、行ってみよう」

 二人は歩き出した。雪が積もった道を踏みしめながら、遠い昔の記憶を辿るような気持ちになった。あの頃は何気なく通っていた本屋も、今思えば大切な場所だった気がする。

 商店街の角を曲がると、見覚えのある古びた木製の看板が目に入った。まだ残っている。本屋「藤堂書店」は、かつてと変わらずひっそりと佇んでいた。

「まだあるんだ…!」

  美江の声に喜びが混じる。

「すごいな。こんなに長く続いてるなんて」

 扉を押すと、ドアベルの音が店内に響く。懐かしい紙の匂い、静かな店内の雰囲気が健太の記憶を揺り動かした。昔、ここで何時間も本を探し、美江とおすすめの本を交換し合った日々が蘇る。

「変わってないね……」

  美江は静かに本棚を見つめる。

「そうだな。でも、俺たちは変わったかもな」

「うん……」

  美江は少し考えるように言葉を選びながら、手に取った一冊の本を開いた。「昔は、ただ好きなものを見つけて、それを追いかけるだけで楽しかったのにね」

「今は違うのか?」

  健太は美江の言葉に興味を持った。

「うーん……楽しいけど、やっぱり考えちゃうよね。これが本当にやりたいことなのかって」

  美江は本を閉じ、ふっと小さく笑った。「健太はどう?」

「俺も……まぁ、同じかもしれない。自分のペースで進んでるつもりだけど、それが正しいのかどうかは分からない」

「そっか。でも、そういうものかもしれないね」

 二人はしばらく本棚を眺めながら、静かにその時間を共有した。答えはすぐに出ない。でも、こうして思い出の場所で言葉を交わしながら、自分たちの進む道を見つめ直すことができるのは、悪くない気がした。

「もう少しだけ、ここにいていい?」

  美江がそっと言った。

「もちろん。俺も、もうちょっとだけここにいたい」

 本屋の静寂の中で、二人はそれぞれの思いを整理するように、本のページをめくった。ここで過ごした時間は、きっとまた新たな一歩を踏み出す力になる。健太はそう感じながら、本棚の奥に目をやった。




 本屋の静かな空間に包まれながら、健太は一冊の本を手に取った。表紙に見覚えがあった。それは、昔、美江が「これ絶対読んでみて!」と勧めてくれた本だった。

「懐かしいな……これ、お前に勧められて読んだやつだ」

  健太は本を開き、ページをめくる。少し色褪せた紙の感触が心地よかった。

「あ、覚えてる?健太、最初は『俺、こういうの読まない』って言ってたのに、最後はめちゃくちゃハマってたよね」

  美江はくすくすと笑う。

「そうだったっけな……まぁ、たしかに面白かったよ」

  健太は苦笑しながら、昔の自分を思い返した。あの頃は、美江に影響を受けることが多かった気がする。彼女が勧めたものを何気なく手に取って、そのたびに新しい発見があった。

「こういうのも、変わらないね」

  美江が微笑む。

「何が?」

「健太は、最初は興味ないって言いながら、結局ちゃんと向き合うところ」

「……そうかもな」

  健太は少し照れくさそうに視線をそらした。

 そのとき、店の奥から店主がゆっくりと出てきた。昔からここを切り盛りしていた藤堂さんだ。白髪が増えたが、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。

「おや、懐かしい顔が二つ並んでるね」

  藤堂さんは二人を見て、にこやかに言った。

「お久しぶりです。まだお店があって嬉しいです」

  美江が丁寧に頭を下げる。

「まあね、細々とやってるよ。でも、こうして昔の常連さんが顔を出してくれるのは嬉しいね」

  藤堂さんは温かい目で二人を見つめた。「あの頃と変わらず、本は好きかい?」

「はい。たまにですが、読んでます」

  健太が答える。

「私もです。最近は、昔と違うジャンルを読むことが多くなりましたけど」

  美江も微笑んだ。

「そうかそうか。人は変わるものだからね。でも、本はいいよ。どんなときでも、新しい考え方や道を示してくれる」

  藤堂さんの言葉は、まるで二人に今必要なことを教えてくれるようだった。

「……そうですね」

  健太はしみじみと頷いた。

「せっかくだし、何か買っていくかい?昔みたいに、二人で交換し合うのもいいんじゃない?」

  藤堂さんの提案に、美江が「いいね!」と即答する。

「じゃあ、お互いにおすすめを選ぼうか」

  健太もその提案に乗ることにした。

 二人は本棚を行き来しながら、それぞれの「今の相手に読んでほしい本」を探した。昔とは違う、それぞれの視点で選ぶ本。どんなものを渡すのか、少し緊張しながらも楽しい時間だった。

「はい、健太にはこれ」

  美江が差し出したのは、自己探求に関するエッセイ集だった。「今の健太なら、こういうの響くかなって思って」

「なるほどな……じゃあ、お前にはこれ」

  健太が差し出したのは、小さな挑戦を積み重ねることの大切さを説いた本だった。「お前、今ちょっと迷ってるみたいだから、読んでみてもいいんじゃないか」

「わぁ……なんか、すごく今の自分に必要な気がする」

  美江は本を両手で受け取る。

「よし、じゃあお買い上げだな」

  健太はレジへ向かい、藤堂さんに本を渡す。

「ふふ、いい選び方をするね。二人とも、それぞれ必要なものをちゃんと分かってる」

  藤堂さんは微笑みながら、袋に本を入れた。

 本を受け取ったとき、健太はふと思った。昔も今も、自分はこうして美江と影響を与え合っている。変わったものもあれば、変わらないものもある。そして、どちらも大切なのだと。

 店を出ると、外はすっかり雪景色になっていた。街灯の光が雪に反射し、柔らかく輝いている。

「なんか、いい時間だったね」

  美江が満足そうに息を吐く。

「ああ、たまにはこんなのも悪くないな」

  健太は本をポケットにしまいながら、静かに頷いた。

 この旅は、まだ始まったばかり。だけど、確実に自分は進んでいる──そう思えた。

 二人は並んで歩き出した。夢への切符を手に、これから先の道を確かめるように、一歩ずつ雪道を踏みしめていく。




 美江と並んで歩きながら、健太はポケットの中の本を指でなぞった。昔とは違うジャンルの本を手にしていることが、なんだか今の自分を象徴しているようで不思議な気分だった。

「この本、読んだら感想聞かせてね」

  美江がちらりと健太を見上げる。

「ああ、お前もな」

  健太は短く返しながら、空を仰ぐ。雪は少し小降りになり、街灯の光がぼんやりと雪景色を照らしていた。

「さて、次はどこに行こうか?」

  美江が足を止める。

「そうだな……そろそろ何か温かいものでも飲みたいな」

  健太は周囲を見渡す。商店街にはいくつかのカフェがあったが、どこに入るか決める前に、美江が「あっ」と声をあげた。

「ここ、覚えてる?」

  彼女が指さしたのは、昔二人がよく立ち寄っていた喫茶店だった。窓際には、柔らかなランプの灯りが揺れている。

「まだやってたんだな」

  健太は懐かしさに目を細めた。

「せっかくだし、入ってみようよ!」

  美江は扉を押し開け、店内に足を踏み入れた。カラン、と懐かしいドアベルの音が響く。

 店内は昔と変わらず、落ち着いた雰囲気だった。木のテーブル、クラシック音楽、そしてほんのりと香るコーヒーの匂い。マスターの姿も変わらない。

「いらっしゃい」

  マスターはカウンターの奥から二人を見て、少し驚いたような表情を見せた。

「あれ、お前たち……もしかして、昔よく来てた?」

「はい、覚えてますか?」

  美江がにっこり笑う。

「もちろん覚えてるよ。二人とも学生の頃、よくここで話してたろう」

  マスターは懐かしそうに微笑んだ。「どうだい、久しぶりにホットチョコレートでも?」

「お、懐かしいな」

  健太は思わず笑った。あの頃、寒い日にはいつもこの店でホットチョコレートを飲んでいた。

「じゃあ、それください!」

  美江が嬉しそうに注文する。

 二人は窓際の席に座った。外は雪が舞い、寒さが残る空気の中、店の温もりが心を落ち着かせてくれる。

「なんか、今日一日、懐かしいことばっかりだね」

  美江がしみじみと言う。

「そうだな。でも、それが悪いわけじゃない」

  健太は外を眺めながら答えた。「昔の思い出を振り返ることで、今の自分がどう変わったかも見えてくる気がする」

「うん……そうかも」

  美江は静かに頷いた。

 しばらくして、マスターがホットチョコレートを運んできた。湯気が立ち上り、カップを手に取ると、指先がじんわりと温かくなる。

「いただきます」

  二人は同時にカップを口に運ぶ。

「……やっぱり美味しい!」

  美江が目を輝かせる。

「ああ、変わらないな」

  健太も同意し、ゆっくりと味わった。甘さとほろ苦さが絶妙に混じり合い、体の芯から温まる感覚が心地よい。

「なんか、こういう時間って大事だね」

  美江がカップを見つめながら呟いた。

「そうだな」

  健太はホットチョコレートの温もりを感じながら、小さく頷く。

 夢への切符を握りしめながら進む道の途中で、こうして足を止めて振り返る時間があること。それは、決して無駄なことじゃない。むしろ、大切なことなのかもしれない。

「美江」

  健太はふと、静かな声で呼んだ。

「ん?」

「ありがとうな。今日、こうして会えてよかったよ」

 美江は少し驚いたようだったが、すぐにふわりと微笑んだ。

「うん、私も」

 二人はカップを持ち上げ、小さく乾杯するような仕草をした。

 外では雪が降り続けていた。でも、二人の心の中には、確かな温もりが広がっていた。




 ホットチョコレートの温もりが体に染み渡る中、二人はしばらく無言で窓の外を眺めていた。降り積もる雪の静けさが、店内の温かさを際立たせている。

「ねえ、健太」

  美江がふと口を開いた。「この旅が終わったら、次はいつ会えるかな?」

 健太は少し考えた。「さあな。でも、またこうして会えるだろ」

「そうだね……」

  美江の声には、少しの寂しさが混じっていた。彼女も、これから新しい道を模索しなければならない。お互いに、それぞれの夢に向かって進む時間が増えれば、自然と会う機会も減っていくのかもしれない。

「でも、また会おう。お互い、どんなふうに変わったとしても」

  健太は、はっきりとそう言った。

 美江は驚いたように健太を見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。「うん、そうだね」

 店内のクラシック音楽が、穏やかな空気の中に優しく流れる。マスターがカウンター越しに二人を見つめ、静かに微笑んでいた。

「変わることは悪いことじゃないさ」

  マスターがふいに言う。「変わらない思いがあるなら、どこにいたって繋がっていられる」

 健太と美江は顔を見合わせ、小さく笑った。

「そろそろ行くか」

  健太がカップを置き、立ち上がる。

「うん」

  美江も続く。

 会計を済ませ、マスターに礼を言って店を出ると、外の寒さが肌を刺した。けれど、心の中は不思議と温かかった。

「さて、次はどこに行こう?」

  健太が歩きながら尋ねる。

 美江は少し考え、それからふっと微笑んだ。「行きたいところ、あるんだ」

「どこだ?」

「……駅」

「駅?」

  健太は意外そうに眉を上げた。

「うん、なんか……今の自分を見つめ直したい気分なんだ」

 健太は少し驚いたが、すぐに頷いた。「わかった。じゃあ、行こう」

 二人は駅へ向かって歩き始めた。雪は相変わらず静かに降り続けている。

 駅に着くと、広いホームが目の前に広がった。電車が行き交い、人々がそれぞれの目的地へ向かって進んでいく。そんな光景を見つめながら、美江が静かに口を開いた。

「健太、私は今、どこに向かってるんだろうって思うことがあるんだ」

「……そうか」

「でもね、今日こうして話してて、ちょっと分かった気がする」

「何が?」

 美江は少し息を吸い、それから健太の方を見た。「私は、やっぱり人の力になりたい。でも、それだけじゃなくて……自分のための時間も大事にしたい」

 健太は彼女の言葉を噛みしめながら、静かに頷いた。「いいんじゃないか。それも、お前らしいよ」

「ありがとう」

 二人はしばらく無言で駅のホームを眺めていた。行き交う電車、そのたびに流れるアナウンス。それぞれの旅路がここから始まり、そしてまた新しい出発が待っている。

「俺たちも、またここから始めればいいんじゃないか」

 健太の言葉に、美江は微笑んだ。「うん、そうだね」

 夢への切符を手に、二人はまた歩き出した。それぞれの道へ進むために。




 駅のホームに立ちながら、健太はポケットの中の切符をそっと握りしめた。それは単なる乗車券ではなく、彼にとって「夢への切符」だった。目の前を電車が通り過ぎ、人々がそれぞれの目的地へ向かって歩いていく。その様子を眺めながら、彼は静かに息を吐いた。

「ねえ、健太」

  美江が隣で言う。「この駅、昔から変わらないね」

「ああ」

  健太は改札の方を見やる。高校生のころ、ここで待ち合わせをしたことを思い出す。放課後、たわいもない話をしながら電車を待っていた時間。あの頃は、未来のことなんて深く考えていなかった。ただ、目の前のことを楽しんでいた。

「でも、私たちは変わったよね」

  美江は少し遠くを見るような目をしていた。

「そうだな」

  健太はそれを否定しなかった。成長という言葉が正しいのか、それともただ時間が流れただけなのかは分からない。でも、昔と同じ場所に立ちながら、考えることが変わっているのは事実だった。

「ねえ、健太」

  美江が振り返る。「私、このまま進んでいいのかな」

「どういうことだ?」

「夢って、追いかけるものだけど……本当にそれが正しい道なのかって、不安になることがあるんだよね」

 健太は彼女の言葉をじっと聞いていた。自分も同じようなことを考えたことがあった。夢に向かって歩いているつもりでも、本当に正しいのか分からなくなる瞬間。それは誰にでも訪れるものなのかもしれない。

「美江」

  健太はゆっくりと言葉を選んだ。「お前はずっと、周りの人のために頑張ってきたんだろ?」

「……うん」

「でも、時には自分のために迷ってもいいんじゃないか?」

 美江は驚いたように健太を見つめた。「自分のために迷う?」

「そう。誰かのために何かをするのも大事だけど、まずは自分が納得できる道を選ぶのが一番だろ?」

 美江はしばらく考え込んでいた。電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。ホームには新たな乗客が集まり、再び人々の流れが生まれる。

「……そうだね」

  美江はようやく口を開いた。「私は、人を励ますことが好き。だけど、それだけじゃなくて、自分の気持ちも大切にしなきゃいけないって、今の話を聞いて思った」

「それでいいと思う」

 健太の言葉に、美江は小さく微笑んだ。その笑顔は、どこかホッとしたようにも見えた。

「ねえ、健太」

  美江はふと顔を上げる。「もしさ、またお互いに迷ったときは、こうして話せるかな?」

「当たり前だろ」

  健太は迷わず答えた。「俺たちは変わったかもしれないけど、こうして話せる関係は変わらないだろ?」

 美江は目を細めて笑った。「うん、そうだね」

 ホームに電車が滑り込んできた。ドアが開き、人が乗り込み、また新たな旅路が始まる。健太と美江は、その光景をしばらく眺めていた。

「そろそろ行くか」

  健太がポケットから切符を取り出す。

「うん」

  美江も軽く頷いた。

 それぞれの道へ進むときが来た。でも、それは別れではない。またどこかで交わることを、二人とも確信していた。

「またな、健太」

「ああ、またな」

 二人はそれぞれの電車に乗り込む。扉が閉まり、ゆっくりと動き出す車両の中で、健太は窓の外を見つめた。美江もまた、ホームに立って手を振っている。

 夢への切符を握りしめ、健太は新たな一歩を踏み出した。




 電車が静かに動き出し、健太は窓の外に広がる雪景色をぼんやりと眺めた。ホームに立つ美江の姿は、ゆっくりと遠ざかっていく。彼女はまだ手を振っていた。その姿が小さくなっていくにつれて、健太の心にほんの少しだけ寂しさがよぎる。

「またな」

  健太は小さく呟いた。

 電車の振動が一定のリズムを刻み、車内には静かな時間が流れていた。乗客たちはそれぞれの目的地へ向かい、車窓には白銀の世界が広がる。そんな景色を眺めながら、健太はポケットの中にある本を取り出した。美江が選んでくれた一冊——自己探求に関するエッセイ集。その表紙をじっと見つめ、彼はふっと息を吐いた。

「俺も……ちゃんと考えなきゃな」

  独り言のように呟く。

 美江と話していると、自分の夢について改めて考えさせられることが多い。自分のペースで着実に進む——それは変わらない。でも、その先に何を見据えているのか。何を成し遂げたいのか。ぼんやりとした輪郭しか見えていない自分に気がつく。

「……読んでみるか」

  健太は本のページをめくった。

 文中には、自分の進む道を見つめ直すための言葉が並んでいた。焦らずとも、時には立ち止まり、振り返ることが必要だという内容が綴られている。それはまるで、今の自分に向けられた言葉のようだった。

 電車はゆっくりと目的地へ進んでいく。その振動が心地よく、読んでいるうちに健太は少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。自分のペースを守りながらも、時には迷いながら歩んでいく。それでいいのかもしれない。

 ふと、スマートフォンが震えた。画面を見ると、美江からのメッセージだった。

「また話そうね。お互いに、進んでる実感を持てるように。」

 健太は小さく笑い、すぐに返信を打った。

「もちろん。次に会うときは、お互いにちょっとでも前に進んでるようにしよう。」

 送信ボタンを押すと、電車は次の駅へ向かって走り続ける。健太はもう一度窓の外を眺め、深く息を吸い込んだ。

 雪はまだ降り続けている。でも、その中にも少しずつ、春の訪れを感じさせる気配があった。

 夢への切符を握りしめ、健太は再び前を向いた。




 電車は雪景色の中を滑るように走っていた。窓の外には果てしなく広がる白銀の世界。遠ざかる町並みを眺めながら、健太はぼんやりと考えていた。

「次に会うときは、お互いにちょっとでも前に進んでるようにしよう。」

 さっき送ったメッセージの文面を、頭の中で繰り返す。確かにそう思っている。でも「前に進む」とはどういうことなのか。自分は本当に進めているのか。ふとした疑問が心をよぎる。

 ポケットの中の本を握りしめ、彼はページをもう一度めくった。

「迷うことは、止まることじゃない。むしろ、それは進んでいる証だ。」

 その一文に、健太は思わず息を飲んだ。まるで今の自分に向けられた言葉のように感じた。

 迷っている自分をどこかで否定していた。でも、本当はそれでいいのかもしれない。焦らず、自分のペースで。美江も言っていた——迷うことも、前へ進むための大事な時間なんだ、と。

 車内アナウンスが流れる。次の駅まであと少し。健太は静かに本を閉じ、外の景色をもう一度見つめた。

「俺は、俺のやり方で進んでいけばいい。」

 ふっと肩の力が抜けた気がした。

 夢への切符を握りしめながら、健太は新たな一歩を踏み出す準備を整えていた。

 電車はゆっくりと速度を落とし、目的の駅へと近づいていく。




 電車が駅のホームに滑り込み、ゆっくりと減速していく。アナウンスが響き、乗客たちが一斉に立ち上がる。健太もまた、静かに席を立った。

 ポケットにしまった本の感触が、まだ指先に残っている。美江が選んでくれた一冊。その本の中にあった「迷うことも前へ進むこと」という言葉が、今の健太の胸に深く染み込んでいた。

 扉が開き、冷たい外気が車内に流れ込む。健太は一歩踏み出し、ホームに降り立った。

「さて……」

 彼は小さく呟く。次にどこへ向かうのか、それはまだはっきりと決まっていない。けれど、焦ることはない。大切なのは、自分のペースで進むこと。

 改札を抜け、駅前の広場に出る。雪が静かに舞い落ちる中、街の明かりが温かく光っている。どこか懐かしく、それでいて新しい景色が広がっていた。

 スマートフォンを取り出し、メッセージの画面を開く。美江からの「また話そうね」という言葉がそこに残っている。健太はふっと微笑み、短く返信を送った。

「またな。その時は、少し成長した俺で。」

 送信ボタンを押した瞬間、まるで自分自身に言い聞かせるような気持ちになった。

 これからも迷うことはあるだろう。立ち止まることもあるかもしれない。それでも、自分なりのペースで一歩ずつ前へ進んでいけばいい。

 ポケットの中の切符をそっと握りしめながら、健太は静かに前を向いた。

 雪の降る夜の中、彼の旅は続いていく。

 — 第一章 完 —

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