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五年も経つと、ウェンディはすっかり社交界の日影者になってしまいました。

というよりもはや、社交界でその存在をほとんど忘れられてしまっておりました。

アンジェラの話を真に受け、妖精の王を怖れた伯爵は、ウェンディが屋敷の外へ出ることを許さなかったのです。


ウェンディは屋敷の中で、ただ静かに暮らしていました。


その頃になるとアンジェラが屋敷で茶会を開くようなこともなくなっていました。

こちらが招かなくても、向こうから招かれるようになったのです。


まだ十代前半の少女は、大人顔負けの知識と話術で、男女年齢問わず、多くの貴族を魅了しました。

また彼女はウェンディが魔力を失ってから、血の滲むような努力を重ね、なんと回復魔法を習得しました。

ウェンディとちがい、どんな属性の魔力を持つ者も治せるわけではありません。

しかしアンジェラの属性は風。この世界で最も多くの人が持つ属性です。

この国の民も、半分は風の属性でした。

つまりアンジェラは、この国の半分もの人間を、どんな重傷からも回復させられることができるようになったのです。


貴重な回復魔法師、それも風の属性とあって、王宮は沸き立ちました。


姉同様に、アンジェラも王宮から招致を受けました。

宮廷魔法師として仕えてほしいと、頼み込まれました。


これにはアンジェラ以上に、ダーリング夫妻が喜びました。

ウェンディが魔力を失ったことで、伯爵家は万救の乙女を王宮魔法師に、という国王直々の要望に答えることができませんでした。

咎めを受けたわけではありませんが、そのままでは名門伯爵家の名に傷がつきます。

しかしアンジェラが王宮に魔法師として招かれたことで、すべては解決しました。

姉に続き妹も宮廷魔法師に抜擢されたのです。これほどの名誉もありません。


伯爵夫妻は有頂天になり、もともと楽観主義者ではありましたが、ますますその傾向に拍車がかかってしまいました。

伯爵夫妻は、社交界で妹が姉をなんと触れ回っているのか、噂を耳にしているはずだったのに。

五年前まで多くの人から尊敬を集めていたウェンディの名が、どうして地に落ちたのか、知っているはずだったのに。

姉に代わるアンジェラの栄進を、ただ無邪気に喜ぶだけでした。


アンジェラが社交界にその存在を知らしめると同時に、ウェンディは忘れられていきました。

たまに思い出されることがあっても、煙たがられるばかりです。

品も教養もない、無価値な令嬢。ダーリング家のお荷物。

それが人々が今のウェンディに抱く印象でした。


ウェンディは十三歳で妖精の王に会って以来、一度も屋敷の外へ出ていません。

つまり彼女が公の場に姿を見せたのはそれ以前、まだほんの子供の時分です。

それ以降はダーリング家で開かれた茶会で、貴婦人の相手をしたくらいでしょう。

まさか茶会での振る舞いだけで、ここまで名声が落ちることはありえまい。

そう考えた伯爵は、何度かアンジェラを問い詰めました。

けれどアンジェラはひらりとそれを躱すばかりです。


「私は本当のことしか言ってませんわ。誓って、お姉様の不利益になるような発言はしておりませんわ」


私のことを信じて下さらないの?そうアンジェラに詰め寄られて、伯爵はそれ以上追及することができませんでした。

伯爵夫人も同じです。

彼女は姉に対する振る舞いを改めるようアンジェラを窘めましたが、むしろ言い返されてしまいました。


「振る舞いを改めるのはお姉様の方でしょう。近頃は庭いじりばかりして、貴族としてまったくなっていませんもの。作法の先生も嘆いておられますのよ。授業の時間ギリギリまで庭にいるものだから、薄汚れた使用人のような服装で、指先に土をつけたまま授業にやってくるんですって。信じられない!」


伯爵家の令嬢として本当に窘めるべきはどちらかしら、そう言われて、夫人は困り果ててしまいました。


結局のところ、伯爵夫妻はアンジェラに弱かったのです。

溺愛するあまり、強く叱りつけることができなかったのです。


そうして姉妹の関係がうやむやにされていた頃合いに、アンジェラの宮廷入りの話が出てきました。

喜んだ夫妻の頭からは、姉妹の確執などすっかり消え去ってしまいました。

アンジェラのウェンディに対する仕打ちは、二人の中でなかったことになってしまいました。


まったく、単純でおめでたい人たちです。




待望の宮廷入りでしたが、しかしアンジェラは、すぐに首を縦に振ることはしませんでした。

なぜかと周囲に訊ねられた彼女の答えは、こうでした。


「だって、私が家を出れば、伯爵家にはお姉様しか残らなくなるわ。あのお姉様よ?自分で伯爵家を継ぐことなんてまずできないでしょうし、かといって婿養子を迎えることも、とっても難しいでしょう?私が家を出たら、伯爵家の未来がなくなってしまうわ」


まるで悲劇役者のように、アンジェラは嘆きました。

これには周囲の人間も納得せざるを得ませんでした。

たしかに、もう十八歳にもなるというのに、ウェンディには未だに縁談のひとつありません。

妹のアンジェラは十六歳ながら縁談があとを絶たず、舞踏会でも毎度持ちきれないほどの花束を持って帰ることから、その差がいかに雲泥であるか窺えます。

ウェンディは魔力を失って以来、まるで隠居した老人のように、屋敷の広い庭を散策するばかりです。

伯爵夫妻もいつかは彼女に婿を見つけてやらねばと思っていました。

アンジェラを迎えたい王宮からも、ウェンディに婚姻を結ばせ、伯爵家の跡取りを擁立するよう圧力をかけられました。


そうして、ウェンディの婿探しが始められました。


容易なことではありません。

そのときすでに、ウェンディの社交場での評判は地の底にありました。

ただ伯爵が働きかけるだけでは、ろくな相手が見つけられません。

噂を聞きつけ是非にと手をあげる者もありましたが、大抵は伯爵家に名を連ねようと目論む新興貴族か、遺産目当ての末端貴族だけでした。

健全な領地の運営はもちろん、愛のある結婚も望めない相手ばかりです。

伯爵はウェンディの幸せを願っていました。

家の事情の、急ぎの結婚となってしまいましたが、それでも最大限彼女にふさわしい相手を選んでやろうと思っていました。


「舞踏会を開いてはどうかしら?」


そう提案したのは、もちろんアンジェラでした。


「みなさんがお姉様を快くおもっていないのは、悪い噂があるからだわ。本物のお姉様を見てもらえば、きっとその良さに気づいてくれるはず。お相手だってすぐ見つかるでしょう」


名案だと、伯爵は頷きました。

そうして、ダーリング伯爵邸にて、盛大な舞踏会が催されました。

アンジェラの働きかけもあり、国中から伯爵家を継ぐにたる青年たちが集められました。

貴族のみならず、豪商や、平民階級の政務官の姿もありました。

大切なのは家格ではなく、領地を運営する能力があること、ウェンディと相性が良いことです。

伯爵の求める条件に合う青年を、アンジェラは文字通り国中から、持てるすべての人脈を使ってかき集めました。




それは盛大なパーティでした。

共として姉妹や母を連れた客もありましたが、ほとんどは単身で会場に足を運んでいたため、男ばかりの舞踏会となりました。


当然、主役であるウェンディは、彼らの相手を代わる代わる務めなければなりません。


ウェンディは、はじめはひどく緊張している様子でした。

自邸での開催とはいえ、これだけ大きな舞踏会に参加するのははじめてのことです。

ましてや年頃の男性とダンスをした経験は皆無でした。

けれどその日のウェンディは非常にうまく立ち振る舞うことができました。


ウェンディは淡い新緑のドレスをまとっていました。

枝葉に見立てられたレースの上に、細かな宝石が花のように散りばめられた逸品です。

やや子どもっぽいデザインでしたが、白い肌と白金の髪のウェンディに、それはよく似合っていました。

まるで春の精と見紛うばかりで、彼女の素朴さと透明感が最大限引き出されていました。

主役にふさわしい出で立ちでした。

ドレスコード含め、その日はなにひとつ粗相をしませんでした。

ダンスで相手の足を踏むこともなければ、来場客の名を間違えることも、パーティそっちのけで花瓶に生けられた花の具合を気にすることもありませんでした。

ウェンディはウェンディなりに、このパーティを成功させようと必死でした。

父母と妹が自分のために、多くの財と時間を割いて催してくれたパーティです。

婚約者を見つけて家の役に立たなければ、という決意が、ウェンディにはありました。


「遅くなって申し訳ありません」


しかしそんなウェンディの決意を、彼女のためのパーティを、アンジェラは無慈悲に蹂躙しました。


「すばらしい盛況ですわね。皆様、もうお姉様とは踊られましたか?私の姉は、ちっとも噂通りの方ではないでしょう?妖精の王に魅入られるのも頷けるほど、清くて無垢な人でしょう?」


そう言うアンジェラに、しかし会場の目は釘付けとなりました。

アンジェラはかつてないほど、自身を美しく飾り立てていたのです。


濃い金髪によく映える、血のように赤い深紅のドレス。

力強い眼差しをより強調させる濃いアイメイク。

健康的な肌色によく合う、オレンジがかったルージュ。

装飾品はほとんどなく、ドレスの形もシンプルです。

決して、主役を食ってしまうような、マナーに反した格好ではありません。

それでもアンジェラの美しさは壮絶でした。

十六歳とは思えない細くしまった腰つきからは、すでに成熟した女性の色香さえ漂わせていました。

二歳年上のウェンディより、アンジェラはずっと大人びていて、魅力がありました。


会場の男性たちの頭から、ウェンディの存在は消え失せていました。

会場に集まった誰もが、アンジェラに熱をあげました。

ウェンディとのダンスや挨拶は、アンジェラとのそれによって上書きされました。

ウェンディに相応しいとされ国中から集められた男たちの心を、アンジェラはすべて射止めてしまったのです。


見事、としか言いようがありませんでした。


呑気な伯爵夫妻は、誤算だった、とウェンディを慰めました。

アンジェラは同席させるべきではなかったと。

アンジェラの魅力は誰よりも自分たちが知っていた。

アンジェラ自身、これは本意ではなかっただろう。

アンジェラはこのパーティを開くために尽力した。すべては姉の幸せのために。

それがこんな結末になってしまうなんて、誰よりもアンジェラが嘆いていることだろう。

ウェンディはそんな伯爵の言葉に、素直に頷きました。

主役の座を奪われたウェンディでしたが、怒りも、嘆きも、抱いてはいないようでした。

むしろどこかほっとした様子でさえありました。


しかし呑気な伯爵方と異なり、使用人たちは心穏やかでありませんでした。

彼らは見抜いていました。

すべてはアンジェラの策略であることを。


アンジェラは姉から全てを取りあげるためにこのパーティを開いたのです。


これまで二人は、揃って社交の場に出るときは、いつも揃いのドレスを着ていました。

それは幼い頃からの習慣でした。

ドレスはダーリング夫人が選んだものです。

ダーリング夫人は娘に淡い色合いの、繊細なレースがたっぷりと施されたかわいらしいドレスを着せることを好みました。

それは繊細な顔立ちのウェンディにはよく似合っていましたが、目力の強いアンジェラには、他にもっと相応しいドレスがありました。

彼女に最もよく似合うのは、色も形も派手なドレスでした。

けれどアンジェラはこの舞踏会に至るまで、真に自分に見合うドレスをまとったことはありませんでした。

似合いのドレスを着たウェンディと、似合わないドレスを着たアンジェラは、タイプの違う美人姉妹に見えました。

けれど本当は違ったのです。

少なくともその容姿、美貌だけでいえば、アンジェラはウェンディに大きく勝っていました。

しかし彼女はそれを隠していました。

彼女は機会を窺っていたのです。

自身の本当の美しさを、最後の切り札として隠し持っていました。


そしてウェンディのための晴れ舞台で、ついに披露して見せたのです。

その圧倒的な美しさを。

比類なき唯一無二の輝きを。


しかも彼女はまだ十六歳。その美しさは、これからますます磨かれていくことでしょう。

会場にいる誰もが彼女の美貌に目を奪われ、その将来を嘱望しました。

彼女を手に入れることを夢見て、彼女の夫となることを切望しました。


かくしてアンジェラは、ウェンディを、万救の乙女を葬り去りました。

完膚なきまでに、社交界での面子を叩き潰したのです。


アンジェラに骨抜きにされた貴族たちも、伯爵夫妻も、当のウェンディでさえ、アンジェラの腹積もりには気づいていませんでした。

渦中の人物たちは、いっそアンジェラの掌の上で、おもしろいほど簡単に転がされていました。

アンジェラの本性を見抜くことができたのは、裏方で支えていた使用人だけです。

けれど使用人風情では、貴族の方々に物申すことなどできようもありません。

ただアンジェラの悪評を、身内の間で囁き合うことが関の山です。


こんなに不愉快なこともありませんでした。


アンジェラを止めることができたのは、ウェンディを救うことができたのは使用人だけだったのに、結局彼らは、ただそれをおもしろおかしく眺めていただけだったのですから。

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