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ウェンディはその後すぐに意識を取り戻しましたが、ペテロと名付けた妖精の王のことは、なにも覚えていませんでした。

それだけでなく、魔法を使うこともできなくなっていました。


唯一の目撃者であるアンジェラは、妖精の王が施した呪いだと言い張りました。

そして一刻もはやく姉を修道院に入れるよう訴えました。


「お姉さまは妖精の王に目をつけられてしまった。やつから守るためには、灰色砂漠の修道院に入れるしかないわ」


灰色砂漠は、王国の北の外れにある、その名の通り灰色の砂漠のことです。

かつてそこには別の王国が存在していました。

堅牢な城壁で守られた、小さな国でしたが、我が国との戦争に敗れ、火の海に沈みました。

国は七日七晩燃え続け、人も建物もすべて灰燼と化しました。

残ったのは、国の中央にあった修道院だけでした。

特別頑丈なつくりではなかったにも関わらず、なぜかその修道院だけは形を残したのです。

人と建物の灰でできた砂漠の中に、その修道院は今でも建っています。

妖獣は灰色砂漠を嫌います。

修道院の中には、例え人に取りついた妖精であっても、立ち入ることができません。

灰色砂漠と修道院は、その成り立ちこそ恐ろしいものでしたが、今では聖域として奉られています。


しかし聖域とはいえ、そこは死の灰に包まれた荒野です。

望んで足を踏み入れる者はそう多くありません。

聖域の中で修道士として暮らすほとんどの人間は、止むを得ずそこに留まっているのです。


彼らは妖精に憑りつかれた人間でした。

妖精をその身から離すために、修道院に入った人びとでした。

修道院を出れば再び妖精に憑りつかれてしまいますが、その中にいる限り、妖精は彼らに

手出しをできません。


妖精に憑りつかれた人間の選択肢は二つです。

妖精に憑りつかれるまま、怠け者として白い目を向けられ、孤独のままに衰弱死するか、死の灰の上に立つ修道院で、厳しい戒律のもと一生を過ごすか。


ウェンディは後者を選ぶべきだと、アンジェラは言ったのでした。


「あいつはただお姉さまに憑りついたんじゃない。お姉さまを深淵へ連れていこうとしているんだ。きっとなにかひどいことをするつもりだよ。きっと帰すつもりなんてないんだよ。そんなの絶対にだめ。本物の怪物にされちゃう前に、お姉さまを修道院に送って!」


しかしアンジェラの要望が聞き入れられることはありませんでした。

なぜなら彼女の証言が事実であるとは、誰も考えなかったからです。


当然でしょう。

ウェンディは確かに記憶も魔力も失っていましたが、肉体的には健康そのもので、妖精に憑りつかれている様子は見られませんでした。

アンジェラの証言を鵜呑みにして、かわいい娘を修道院へ送り込むことなど、ダーリング伯爵にはできませんでした。

執事やメイド、ウェンディ付きの使用人たちも猛反対しました。

彼らは、アンジェラがウェンディを厄介払いしようとしているのではないか、と疑っていたのです、


アンジェラは今よりもっと幼いころ、よくウェンディの後をついて回っていました。

屋敷の中でも、外でも、べったりです。

いつもウェンディと揃いのドレスを着て、ウェンディと同じ魔法の練習をして、なにをするにも一緒でなければ気がすみませんでした。

アンジェラは万救の乙女と呼ばれる姉を誰よりも慕っていました。


憧れもあったのでしょう。

ウェンディの真似をしていれば、いつか自分も万救の乙女になれると、人びとに尊敬される立派な魔法師になれると、幼い夢を見ていたのでしょう。

けれどアンジェラには、ウェンディのような才能はありませんでした。

彼女の扱う風の魔法は、この世界で最もありふれた魔法でした。

ウェンディのような唯一無二の魔法ではないのです。

彼女の魔力属性はこの世界でもっとも凡庸なもので、いくら努力を重ねようと、生まれ持ったその凡庸性を変えることは出来ません。


齢を重ねるごとに、アンジェラはそのことに気づいていったのでしょう。

アンジェラは次第にウェンディと距離をとるようになりました。

彼女に付きまとうことをやめ、一人で貴族らしい教養を深め、自分に合った魔法の習得に励むようになりました。

貧しい人びとに回復魔法を施すウェンディの奉仕活動を手伝うこともなくなりました。

アンジェラは貴族の令息、令嬢たちと交流を持つようになり、積極的に他家の催しに参加するようになりました。


アンジェラの社交会での評判は上々でした。

万救の乙女の威光を前にかすんでいましたが、アンジェラはとても魅力的な人間でした。

いつも堂々としていて、大人に対しても物おじせずに意見を述べます。

愛嬌があって、口がうまくて、聡明で、博識で、流行にも敏感です。

彼女はあっという間に同世代の人気者になりました。


アンジェラが一人でいるとき、彼女は人びとの中心に立つことができました。

けれどそこにウェンディが現れると、人びとの関心は一斉に移ろいます。

アンジェラなどまるでいなかったかのように、人びとはウェンディを取り囲み、彼女一人を持て囃します。


ウェンディは貴族の社交が得意ではありませんでした。

くるくると話題の転じる会話ついていくことができず、一見平和的なやりとりに含まれる牽制、嫉妬、腹の探り合いを汲みとるもできませんでした。

かといって人びとの関心を引くような話題を提供することもできません。

冗談のひとつも言えず、ウェンディはいつも曖昧に微笑んでいるばかりでした。

その微笑も、人目を惹くようなものではありませんでした。

ウェンディの容姿は整っていました。透けるように白い肌に、絹糸のような白金の髪がよく映える、美しい少女でした。

けれど彼女の容姿は、華やかさに欠けました。

アンジェラが大輪のバラであれば、ウェンディはか細いヒナゲシでした。

社交の場において、ウェンディにはなんの取柄もありませんでした。


また本人もそこに馴染むための努力をしませんでした。

噂話や愚痴ばかりの、窮屈なマナーに縛られた茶会よりも、下町で庶民たちと白湯を飲みたいと思っていました。

それでも、ウェンディはいつも社交の中心にいました。

彼女が万救の乙女だったからです。

将来を嘱望された、稀代の魔法使いだったからです。


アンジェラは、表面上はウェンディを尊重しておりました。

姉に中心の立ち位置を譲り、彼女の隣で、いかにも誇らしげな様子で胸を張っていました。

まるで姉の功績が自分のものであるかのよう、自慢気でした。


ウェンディ付きの従者たちは、そんなアンジェラの態度を、かねてから快く思っていませんでした。

姉の威を借る、厚かましい振る舞いだと。

本当は姉に対して、嫉妬があるに違いない、と。


だからウェンディを修道院に送るべきだというアンジェラの主張に、彼らは猛反発しました。


「妖精の王に憑りつかれているという確かな証拠もないままに、ウェンディ様を修道院送りに?――――ありえない!」


「アンジェラ様はウェンディ様を厄介払いしたいだけなんだわ」


「そうよ。そもそもふたりが深淵に入ることになった原因は、アンジェラ様にあるじゃない」


「あのときなぜアンジェラ様はウェンディ様の王宮入りに反対したんだと思う?きっとうらやましかったのよ。社交下手な姉を気遣っているような口ぶりだったけど、嫉妬が垣間見えていたわ」


「姉が自分を差し置いて王宮に行くことが許せなかったんでしょう」


「すべてアンジェラ様のせいじゃない」


「ああ、おいたわしや、ウェンディ様。実の妹に謀られるなんて……」


従者たちは一丸となって、ウェンディの修道院送りに反対しました。

けれどそんな従者たちを、ダーリング伯爵夫妻は屋敷から追い出してしまいます。


「お前たちのウェンディへの献身は認めよう。だがお前たちの主人はあくまで私であり、お前たちが糾弾したアンジェラもまた私の娘だ」


ダーリング伯爵夫妻も、ウェンディを修道院に送る気はさらさらありませんでした。


「よくも私の娘を侮辱してくれたな」


けれど夫妻は、アンジェラが嘘をついているとは思っていませんでした。

ましてや姉を貶め、家から追い出そうとしているなどとは、考えてもみませんでした。

ですから、従者たちの憶測は寝耳に水だったのです。

ふだんは温厚な伯爵でしたが、このときばかりは怒り心頭で、勢いのままウェンディ付きの従者を一人残らず解雇してしまいました。


ダーリング伯爵は二人の娘を溺愛しておりました。

二人の幸福を心から願う伯爵は、アンジェラを疑うことはしませんでしたが、ウェンディを修道院に送ることもしませんでした。


「アンジェラの危惧するところはわかる。だが灰色の砂漠の修道院なんて暗くて寂しいところに、ウェンディを行かせる必要はない。妖獣避けの魔法なら、この屋敷にもかけられている。修道院にも引けをとらないほど強固なものだ。なにせ建立から四半世紀、これまで一度たりとも、妖獣の侵入を許したことはないのだからな」


伯爵は辛抱強く説得しましたが、アンジェラは最後まで納得しませんでした。

ウェンディは修道院に送るべきだと言い続けました。


「ウェンディが王宮に行くと決まったときはきはあんなに反対したのに、あれだけウェンディと離れたくないって癇癪を起していたのに……それほど森で怖い思いをしたのね」


伯爵と同じように二人の娘を溺愛するメアリー・ダーリング夫人は、そう言ってアンジェラを抱きしめました。


「大丈夫よ。ここにはなあんにも怖いことなんてない。お父様とお母様が、必ずあなたたちを守ってあげるからね」


小さな子どもをあやすように、夫人は言いました。

しかしそんな夫人の優しさにも、アンジェラは絆されませんでした。


「おめでたい人たちね」


アンジェラはもう、それ以来、ウェンディの修道院送りを伯爵夫妻に願うことはなくなりました。


諦めたわけではありません。

彼女は自らの手で、姉を修道院へ送り込むことにしたのです。

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