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「まあ、妖精にも王はいるのね」


「……のんきな娘だな。我が恐ろしくはないのか?」


「はい、ちっとも」


「なぜだ?我は魔力も見た目も、同胞にさえ嫌悪されるほど穢れているというのに」


「それは穢れではありませんわ。古傷が膿んでいるだけです」


「……なぜ傷のことを知っている」


「見ればわかりますよ。それにあなたの声、とても苦しそうに震えていますから」


「……噂通りだな。――――万救の乙女は妖獣さえも慈しみ癒す……か」


「あら、わたしのことをご存知だったのですか?」


「貴様に救われた同胞は多い。王として、我からも礼を言おう、万救の乙女よ」


「そんな、畏れ多いです。それに彼らの傷はもともと私たち人間の手で負わされたものですから……感謝されるようなことではないんです」


「だがその妖精たちもまた人を傷つけている」


「仕方のないことです。だってそれは、妖精の抗い難い性分でしょう?妖精呼ばれるあなた方は、生まれることのできなかった人の子が寄り集まって生まれる存在。ようは小さな子どもですから。わたしたちの気を引くために、つい、イタズラをけしかけてしまうんでしょう?」


「はじめて聞く解釈だな。人間にとって我々は呪いではなかったのか?死した子の魂が、呪いと化して人に仇をなしている。人間は我々をそう定義付けているだろう」


「わたしはそうは思っていません。あなた方は呪いなんて邪悪なものではなく、本来は子を亡くした人間の悲しみを晴らすために生まれてきた存在です。人間があなた方を呪いと呼び、忌み嫌ったから、あなた方の有り様も変わってしまっただけ。本来のあなた方はきっと、人を少しだけおどかせたり、ちょっとしたものを隠したり、小さな子どもが大人の気を引くためにするようなかわいいイタズラをするだけ存在だったはずです」


「……おめでたい考えだな」


「先生や両親にも同じことを言われました。でもわたし、信じています。あなた方は決して、世間で言われているような呪いではありません。この堕獣だってそうです。恐らくもとは熊でした。飢えて人を口にし、その味を覚えてしまったんでしょう。やがて熊は人しか食べることができなくなります。人の死体には高い中毒性があります。死体に残った魔力がただの熊を人喰いの堕獣へと変えてしまうのです。つまり人によってもたらされた病により、人を襲うようになってしまったのです」


そういうウェンディの腕の中で、すっかり傷の癒えた堕獣は、憑き物が落ちたようにくつろいでいました。

ふつうの熊の二倍あろう体躯も、禍々しく飛び出した眼球や牙もそのままです。

しかし、その中身はただの熊に戻っていました。

いえ、ただの熊よりずっと大人しく従順な生き物へと変わっていました。


そうなのです。ウェンディが癒した妖獣は、例外なくこのように大人しくなるのです。


国王自ら宮廷に招くのも頷けます。

ウェンディの力があれば、妖獣をこの世から消し去ることができるかもしれないのですから。


「万救の乙女なんて、大げさなんです。いまのわたしにはふさわしくない称号です。でも、いつか本当にそうなれたらいいなと思っています。わたしの力があれば、あなた方は人を襲わずに済む。人もまた、襲われないとわかれば、あなた方を殺める手を止めるでしょう」


ウェンディは知りませんでした。

これまで自分が治癒した妖獣は、無害になったから放逐されているのだと信じていました。

けれど彼女の知らぬところで、無害化した妖獣たちは駆除されていました。

再び人を襲うともわからない輩を、そうでなくても、これまで人を襲い、殺めてきた怪物を、野に放てるはずがありません。

優しいウェンディを傷つけないために、と、ダーリング伯爵は彼女にその事実を明かしていませんでした。


「本当におめでたいやつだ」


妖精の王は無害化した妖獣の末路を知っていたのでしょう。

人間に妖獣と共存する気などさらさらないとわかっていたのでしょう。


「貴様の方がよほど子どもではないか。無垢で無知で無力な、傲慢な幼子め」


妖精の王はウェンディに手を伸ばしました。


「しかしだからこそ、貴様は我にふさわしい」


無数に生えた、コブのように短い腕が、一斉に彼女に襲い掛かります。


「万救の乙女よ。どうか、我を受け入れてくれ」


ざわざわと蠢く醜悪なその手を、ウェンディは望まれるままに受け止めました。

両手を広げて、抱きしめたのです。


「いいですよ。――――『安寧に身を委ねなさい……回復魔法(リストア)』」


ウェンディは魔法を放ちました。

妖精の王は淡く柔らかな光に包まれ、ゆっくりとその姿を変えていきました。


やがて光は薄れ、中から大人の男性が現れました。


この世のものとは思えない、それは美しい男でした。


透き通るような白い肌と、白金の髪は、ウェンディが持つものとそっくりです。

向かい合う二人は、兄妹か親子のようにも見えました。


「もう痛いところはない?」


ウェンディは妖精の王の変身に、ちっとも驚いた様子はありません。

まるで彼女には、初めから妖精の王がこの姿で見えていたかのようでした。


「ああ――――やはりそなたは我の運命だった」


妖精の王はウェンディを抱きあげました。


「万救の乙女、ウェンディよ。我に名を与えてはくれまいか」


「いいですよ」


ウェンディは間髪入れずに答えました。


それは非常に危険な行為です。

妖精は名を持ちません。

彼らに名を与えると、その妖精に取り憑かれます。

取り憑かれた人間は妖精の手で少しずつ破滅していきます。

妖精はその人の腹に、背に、しがみつきます。腕や足にまとわりつくこともあります。

動けないほどでありませんが、尋常ではない疲労と倦怠感もたらされます。

妖精は夜になるとその人の耳元で歌い出します。

金切り声の絶叫で、眠りを妨げるのです。

妖精は常に空腹です。けれど彼らはものを食べることができないので、代わりに取り憑いた人に食べさせます。

その人は妖精に代わって常に空腹を抱えるようになり、なにかを食べ続けなければ落ち着かないようになってしまいます。

それも妖精はひどい偏食なので、果物か揚げ芋しか受け付けなくなります。

妖精に取り憑かれると、どんな働き者でも、いつも気だるげで、眠たそうで、食べてばかりの、怠け者へと変わってしまうのです。


ですから、どれだけしつこく訊ねられようとも、魅力的な対価を差し出されようとも、妖精に名をつけてはならないのです。


それはウェンディとて理解していたはずです。

ところが彼女は、あっさりと快諾し、ほとんど考える間もなく妖精の王に名を与えました。

もしかするとこれまでも、妖精に名を与えたことがあったのかもしれません。


「――――ペテロ、なんてどうでしょう。貴方は立派な妖精の王だから、きっといつか、妖精世界の平和の礎になれるように」


「……ペテロ。ペテロか。それが我の名か」


妖精の王、ペテロは、ウェンディを抱きしめました。


「万救の乙女の噂はずっと聞いていた。そなたに癒やされたというものたちから話を聞いて、ずっと会いたいと思っていた」


「こ、光栄です」


抱きしめられたウェンディは、気恥ずかしそうに身をよじりました。

しかしペテロはウェンディの首元に顔を埋め、ますます強く抱きしめます。


「ずっと探していた。どこかにいると信じていた。我の運命。我だけの――――」


ウェンディは顔を真っ赤にしてうめきました。

羞恥のためでも、喜びのためでもありません。

苦しかったのです。

骨が軋むほど強く抱きすくめられ、彼女は息をするのもおぼつかなくなっていました。


「は、はなして……」


どうにか声を絞り出すと、ペテロはひどく傷ついた表情でウェンディを離しました。


「どうしてそんなことを言うんだ?……ああ、これはいけない」


ペテロはおろおろとした様子でウェンディの顔を覗き込みました。

ウェンディは咳き込みながらも、だいじょうぶ、と笑いかけました。


「そうか……。そなたはそんなに脆いのか」


ペテロは己の手を見つめました。

おぞましい怪物の手ではありません。作り物のように美しい人の手です。

しかし十三歳のウェンディと比べると二回りも大きく、その力は素手で剣をへし折れるほどに強いものでした。


「今のままではいけないな」


ペテロはウェンディの手に触れました。

今度は慎重に。まるで花弁を撫でるかのように、そっと。


「本当は今すぐ連れ去ってしまいたいが、仕方ない。そなたの成長を待つことにしよう。その間に、我も、そなたの触れ方を覚えておく。そなたを傷つけないためにはどうすればいいか、そなたと共に生きるためにはなにが必要なのか学んでおこう」


切実に、熱烈に、ペテロは誓いを立てます。

しかし理解の追いつかないウェンディは、目をぱちくりと瞬かせるばかりです。


「そなたが成熟した暁には必ず迎えに行く。それまで、しばしの別れだ」


ペテロはそう言って、ウェンディの手に口をつけました。


「あっ」


ウェンディは小さく息を漏らし、そのまま気を失いました。


「我が迎えに行くまでの間、人間どものいいようにされてはかなわないからな。そなたの力は封じさせてもらったぞ」


ペテロは名残惜しそうにウェンディの手を離すと、煙のように消えてしまいました。


アンジェラは最後まで、ただ二人のやりとりを眺めていることしかできませんでした。

妖精の王はそんなアンジェラに、一瞥をくれることもありませんでした。

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