12
*
アンジェラ様はウェンディの影に隠れることを良しとされていました。
二人で得た万救の乙女の称号が彼女一人のものとされても、一向にかまいませんでした。
けれど、自負はありました。
ウェンディには自分がついていなければならない。
ウェンディには自分が必要だと、信じて疑っていませんでした。
だからこそアンジェラ様は、ウェンディの宮廷入りを認められなかったのです。
万救の乙女として宮廷に招かれたのは、ウェンディ一人でした。
アンジェラは憤慨しました。
自分の支え無しに、ウェンディが宮廷で貴族たちと渡り合えるはずがありません。
政治利用される姿しか、魔法師として酷使される未来しか見えませんでした。
けれどなんの力も持たない十一歳の少女がいくら喚こうとも、聞き入れてもらえるわけがありません。
姉の宮廷入りを妬む哀れな妹として、アンジェラ様は軽んじられるばかりでした。
「お姉さまなんて、――――お姉さまは宮廷なんてふさわしくない。怪物たちと深淵にいるのがお似合いなんだから!」
まったく心にもないことを口にしてしまうほど、アンジェラ様は追い詰められていたのです。
アンジェラ様はなにも悪くありませんでした。
いったい誰が、アンジェラ様を責めることができるでしょうか?
アンジェラ様自身にも、アンジェラ様を責めることは許されませんでした。
けれどアンジェラ様はご自身を責めました。
姉にひどい暴言を吐いたことを。
すぐ過ちに気づいたのに、謝ることもできず、その場を逃げ出したことを。
妖精の王と出会わせてしまったことを。
アンジェラ様は生涯に渡って悔い続けました。
それを罪と認め、残りの生涯のすべてを、贖罪に費やしました。
*
ウェンディを妖精の魔の手から遠ざけるために、アンジェラ様は手を尽くしました。
ウェンディを妖精の王から守るたったひとつの方法が、彼女を修道院に送りこむことでした。
アンジェラ様はそのために、尊敬する姉を貶めなければなりませんでした。
心無い言葉で幾度となく傷つけ、笑いものにしました。
万救の乙女であった過去さえ否定し、落ちこぼれというレッテルを張りました。
力を失った価値のない存在として無視し、また周囲の人間が無視するよう仕向けました。
ウェンディ自身が、修道院に入ったほうがマシだと思うよう仕向けました。
アンジェラ様は、ウェンディを守るためなら、ウェンディに憎まれようともかまわない覚悟でした。
けれどそんな妹の心を踏みにじるように、ウェンディは屋敷に留まり続けました。
社交界でどれだけ辱めを受けても、軽んじられても、その存在を忘れられようとも、ウェンディは屋敷を出ようとはしませんでした。
アンジェラ様のことを憎むこともありませんでした。
婚約者探しの夜会を台無しにされたときでさえ、アンジェラは本当に人気者ね、と嬉しそうにする始末でした。
白状すると、私はこの頃からウェンディを憎むようになっていました。
悪意がないのはわかっています。
彼女は被害者です。
アンジェラ様がなにも悪くないように、ウェンディだってなにも悪くはありません。
ですが、それでも、私はアンジェラ様が不憫でならなかったのです。
*
「もうおやめください」
一度だけ懇願したことがありました。
ウェンディの婚約者探しの夜会からしばらくたった日のことです。
結婚さえ絶望的になったウェンディですが、彼女はなおも、屋敷に留まり続けていました。
懇意の庭師とともに、のんきに草花の手入れを行っていました。
アンジェラ様はその様子を、自室の窓から眺めていました。
眩しそうに。
どこか、羨ましそうに。
「やめないわよ」
アンジェラ様はウェンディと庭師から視線を逸らさないまま、きっぱりと答えました。
「あと一押しでお姉さまを追い出せるんだから」
私は食い下がりました。
「ですが、だからといって、あんな男と結婚なんて……!」
不敬な発言であることは自覚していました。
けれど、言わずにはおれませんでした。
アンジェラ様は屋敷でのウェンディの居場所を完全に失わせるために、婚約を決めました。
お相手は、名門侯爵家の次男坊です。
アンジェラ様とは一回り以上齢が離れていますが、肩書は申し分ありません。
非常に有能な人物として知られており、宰相補佐を務める長男に代わって行っていた領地経営では、その手腕を高く評価されていました。
人当たりのいい好人物として、社交界でも評判の人物です。
しかしその本性は、女や庶民をものとも思っていない、差別主義のサディストでした。
男には病死した前妻がありましたが、侯爵家の使用人の話によると、それは主人から暴言を受け続けた末、精神を摩耗した結果の衰弱死だったそうです。
男は前妻を精神的に追い詰め、殺していたのです。
アンジェラ様に結婚を申し込んできたのは向こうからでした。
男もウェンディ様の婚約者探しの夜会に参加していたのです。
そこで壮烈な美しさのアンジェラ様に惚れ込み、アプローチをかけてくるようになりました。
アンジェラ様が結婚相手に求める絶対条件は、伯爵家へ婿入りすることでした。
ウェンディを修道院に入れるためには、伯爵家の跡取りを立てなければなりません。
男はそれを飲みました。
アンジェラ様を妻にできるのであれば、現在ある地位を捨て、伯爵家に下ってもいいと言ったのです。
これ以上適した相手もいないと、アンジェラ様は婚約を決めました。
けれどその後、婚約者として顔を合わせるうちに、男の本性が明らかになっていきました。
男は二人きりになると、アンジェラ様を完全にものとして扱いました。
自分に意見することを許さず、人格を否定するようなことを平然と口にしました。
婚約時点であれなのです。
結婚後の扱いはさらに酷くなることでしょう。
「いまからでも遅くはありません。婚約を解消してください」
私はふだん、アンジェラ様の決定に異を唱えることはありません。
けれどこのときばかりは、意見せずにはいられませんでした。
「もっとご自身を大切にしてください」
「……有能な男よ。領地経営の腕は確かだわ。あれを迎え入れることができれば、伯爵家は安泰。私はなんの心配もなく宮廷魔法師としての務めを果たせるし、お姉様も、遺恨
なく修道院へ入れるわ」
「人を人とも思わない男です。健全な領地の運営ができるとは、私には思えません」
「だからこそよ」
立場を弁えず意見する私を、アンジェラ様は優しく窘めました。
「領地の運営は易しい仕事じゃない。ましてうちの領地は、深淵の森と接する、国内でも妖獣の被害がかなり多い危険な場所。非情になることができない人間には務まらないわ」
「侯爵家の使用人から聞きました。あの方は前妻へ酷い暴力をふるっていたそうです。結婚後、アンジェラ様にもきっと、無体を働くでしょう。それでもいいんですか」
「あら、私が黙ってやられると思うの?」
アンジェラ様は不敵に笑いました。
「こちらは十一歳のときから、妖精の王を殺すつもりで生きてきたのよ。そこいらの貴族なんて魔法ひとつで屈服させられるわよ」
「それはそうかもしれませんが……でもそれじゃあ、アンジェラ様の幸せはどうなるのですか……」
どれだけ強気なことを言おうとも、アンジェラ様だって女の子です。
まだたった十六歳の、乙女です。
幸福な結婚を望んで然るべきです。
「幸せになる資格なんてないのよ、私には」
アンジェラ様は笑みを消し、窓にそっと手を触れました。
見下ろす庭園には、楽しそうに笑い合う、ウェンディと庭師ピーターの姿がありました。
ウェンディが平服を着ていることもあり、二人は庶民の恋人同士のようでした。
「お姉様をさんざん貶めてきたわ」
アンジェラ様は窓ガラスに額をあて、懺悔しました。
「酷いことをたくさんしたわ。人生をめちゃくちゃにしたわ。だから私は幸せになんてなってはならないのよ。結婚相手に虐げられたって、私がお姉さまにしたことに比べれば、軽いものよ。私はそれを甘んじて受け入れるわ。なんの罪滅ぼしにもならないことはわかっているけれど、そうでもなければ、私自身の気が済まないもの……」
「ウェンディ様を守るためではないですか!」
頭に血がのぼって、どうにかなりそうでした。
私は涙を必死に堪えながら訴えました。
「やりたくてやったわけではないでしょう!アンジェラ様にはなんの罪もありません!」
「あるわ」
アンジェラ様は私に背を向けたまま、ウェンディ様を見つめたまま、言いました。
「あの日私が深淵の森に入らなければ、お姉様が妖精の王と会うことはなかった。――――お姉様を奈落に突き落としたのは、間違いなく私なのよ」
「でも――――でも私は――――私はお嬢様に幸せになってほしいです……!」
アンジェラ様はゆっくりと振り返りました。
そこに、いつもの勝ち気な表情はありませんでした。
その瞳は、迷子の子どものように、震えていました。
「もっとご自分を大切にしてください」
「できないわよ」
「お嬢様!」
「いいのよ。だって私は、貴方に大切にしてもらっているから」
アンジェラ様は微笑みました。
情けない、無理やり作った笑顔でした。
「貴方だけじゃないわ。お姉様も、お父様もお母様も、こんな私のことを心から大切に思ってくれている。だからいいのよ。みんなに大切にしてもらっているから、私はそれだけで十分幸せよ」
堪えきれず、私は泣き崩れました。
しゃがみこみ、嗚咽をもらしながら、みっともなく泣きじゃくりました。
「貴方が泣いたところを初めて見たわ」
アンジェラ様は戸惑いながら、私の背中をさすって下さいました。
「忍耐強い人だと思っていたけれど……ふふ、それだけ私を愛してくれているということかしら?なんだか嬉しいわね」
照れくさそうに、アンジェラ様は言いました。
「だめね。貴方といると私、絆されそうになる」
「……絆されてください」
「そうもいかないわ。私はお姉様のことを、奈落から救いあげなきゃいけないんだから」
アンジェラ様は立ち上がりました。
私も涙を拭い、アンジェラ様の後ろに控えました。
「妖精の王から守って終わりじゃないわ。お姉様の修道院での生活をよりよいものにすることも、私の使命よ」
ウェンディが一生修道院から出られないのであれば、修道院の中で幸せになってもらう。
それはアンジェラ様のもうひとつの悲願でした。
アンジェラ様は灰色砂漠の修道院について綿密に調査しました。
ご自身でも何度となく足を運ばれ、その内部や生活、修道者たちのことを調べ上げました。
数年がかりの調査でわかったのは、修道院は世間一般で言われているほど悪い場所ではない、ということです。
暗くて寂しい場所ではありましたが、地下深くから組み上げられている水はとてもきれいで、その水と魔力を用いた特殊な照明を使えば、水棲植物を育てることも可能でした。
アンジェラ様はウェンディのために、修道院の環境を整備しました。
多額の寄付をし、建物の修繕を行いました。
水棲植物のための菜園を作り、素行の悪い修道士には教育を施しました。
ウェンディが好いた相手と添い遂げられるように、庭師ピーターの紹介状まで用意しました。
加えて、自分の財のすべてをウェンディに持たせるつもりでいました。
アンジェラ様は宝飾品に目が無い散財家として知られていましたが、それはご自分のためのものではありませんでした。
いざというとき金がものをいうことを、アンジェラ様はよく知っていました。
修道院へ赴いた際、ウェンディに、餞別として渡すつもりで集めていたのです。
もしものときに役立つ現物財産として、価値の変動が少ない宝飾品はうってつけでした。
ウェンディのために、アンジェラ様は入念に準備していたのです。
灰色砂漠での生活が少しでも快適になるように。
不自由のない、幸福な生活が送れるように、アンジェラ様は手を尽くしていたのです。
「あと少しの辛抱よ、お姉様」
アンジェラ様は、再び窓の外のウェンディを見つめて言いました。
「あと少しで、お姉様はすべてから解放される。きっと、幸せになれるからね」
アンジェラ様はどうなんですか。
胸に沸いた思いを、私は口にすることができませんでした。
これ以上、アンジェラ様の覚悟に水を差すことをしたくなかったのです。
それでも思わずにはいられませんでした。
だって、そうでしょう。
たしかにウェンディはアンジェラ様が用意した箱庭で、これから幸せに暮らしていけるでしょう。
安全で、穏やかな日々が謳歌できるでしょう。
けれどアンジェラ様はこれからも耐え続けなければなりません。
貴重な回復魔法を使える王宮魔法師として、各地の戦場に駆り出されることでしょう。
屋敷では夫から虐げられるでしょう。
使用人たちからは妹を追い出した悪人として蔑まれ続けることでしょう。
アンジェラ様のこの先の人生は、灰色でした。
日の届かない修道院へ入るウェンディより、よほど暗い未来しか見えませんでした。
せめてお傍にいよう。
私はそう誓いました。
アンジェラ様の今日までの努力を無駄にすることはできません。
進んで地獄を歩もうとするアンジェラ様を、私には止めることができません。
だから、せめて、最後までお供をしようと思いました。
生涯をこの人に捧げようと。
どんなときも、なにがあっても、私だけはこの人の味方でいようと誓いました。
けれど、私はそれを忘れてしまいました。
半世紀、五十年もの長い間、
私は誓いに背き、アンジェラ様を、怪物令嬢と呼び捨ててしまったのです。