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「私から奥様に言って差し上げましょうか?」
たっぷりとした濃い金髪を梳りながら、私は言いました。
「これだって決して悪いとは思いませんが、お嬢様には、他にもっと似合うドレスがあるはずです」
「例えばどんな?」
「そうですね――――薔薇のような、重厚な赤色のドレスなんて、とってもよくお似合いだと思いますよ」
私は鏡台の前に並べた髪飾りの中から、ベルベッドの太いリボンを選び、髪に合わせてみました。
黄金色の髪に、それはよく馴染んでいました。
主張の強い色同士だからこそ、互いに負けることが無く、よく引き立て合っていました。
「趣味がいいわ」
アンジェラ様は、誇らしげに笑いました。
「やっぱり身支度をまかせるなら、あなたに限るわね」
「……もったいないお言葉です」
謙遜しましたが、内心では、当然だと思っていました。
小さい頃から誰よりもアンジェラ様を近くで見ていたのは私です。
アンジェラ様のことは、お母上よりも、姉君よりも、よく知っていました。
だからこそ、許せなかったのです。
アンジェラ様の魅力を半減させるドレスをお着せしなければならなかったのが。
「いかがでしょうか。今からでも、別のドレスに着替えられては?」
私の提案を、アンジェラ様は苦笑と共に退けました。
「わたしだって、他にもっと似合うものがあると思ってるわ。でもいいの。お母さまをがっかりさせたくないもの」
アンジェラ様がまとうのは、淡い桃色の、シフォン地のドレスでした。
それはお母上、ダーリング夫人が用意したもので、姉のウェンディと色違いのものでした。
ダーリング夫人がドレスを用意したのは、今日だけのことではありません。
夫人はアンジェラ様とウェンディにいつも揃いのドレスを着せました。
夫人の趣味であるそれは、色白で白金色の髪をしたウェンディにはよく似合っていましたが、健康的な肌色で、濃い金髪のアンジェラ様には、もの足りないものでした。
ですがアンジェラ様は、不満を漏らさず、夫人に望まれるまま袖を通しました。
主人がいいというのですから、侍女である私は黙って身支度をお手伝いするだけです。
ですが、今日は、アンジェラ様の十一歳の誕生日でした。
誕生日くらい、一番似合うドレスを着てほしい。
そんな願いを、つい口にしてしまった私に、アンジェラ様は言いました。
「お母様だってべつに、わたしにいじわるをしてるわけじゃないのよ。お母さまは本当にこれがわたしに似合うと思って用意してくれてるのよ」
たしかに、夫人は少女趣味をお持ちです。
夫人自身も、二人の娘に与えるものと似たデザインのドレスを普段から着用されていました。
正直なところ、夫人はお世辞にも趣味がいいとはいえませんでした。
年齢よりは若い見た目をされていましたが、それにしたって、二人の子を持つ母が着るものとしては、ふさわしくありませんでした。
夫人に他意がないことはわかっていました。
夫人はウェンディとよく似ておられます。
おっとりしていて、どこか少し、人とずれたところがありました。
いつまでも少女のような、あまり母親らしくないお方でした。
それでも夫人は、二人の娘のことは心から愛しておられました。
真っ向から夫人を批判することはできません。
それでも私は、アンジェラ様が不憫でなりませんでした。
アンジェラ様は努力家で、素晴らしい才覚をお持ちです。
けれど万救の乙女たるウェンディの影に、いつも隠れてしまっていました。
せめて外見だけでも、脚光を浴びてほしかったのです。
私はアンジェラ様に、きちんとした評価を受けてほしかったのです。
「それにね、わたしは自分に似合うドレスより、お姉さまとお揃いのドレスを着たいから」
そんな私の思いとは裏腹に、アンジェラ様は姉君を心から慕っておられました。
彼女の影に隠れることも、万救の乙女の妹としてしか見られないことも、良しとされていました。
「だからこのままでいいわ。リボンも、お姉さまとおなじのにしてちょうだい」
アンジェラ様は、鏡台から、白いレースのリボンを取り上げました。
私は要望通り、ウェンディと同じ髪型を拵えました。
黄金の髪に絡まる白いリボンは、ひどく浮いて見えました。
二人は大変仲のよい姉妹でした。
アンジェラ様はウェンディのことを慕っていました。
特別な力を持って生まれながら決して驕ることなく、すべての生命を慈しむ万救の乙女のことを、心から尊敬していました。
ウェンディもまた、アンジェラ様に一目おいていました。
アンジェラ様の利発さを、ウェンディはよく理解していました。
自分にはない才能がある。人を惹きつけ、従える魅力があると、高く評価していました。
貴族の社交場でも、奉仕活動で訪れる貧民街でも、アンジェラ様ほど頼りになる付き人もいなかったとこぼしているのを聞いたことがあります。
ウェンディの、母親に似たおっとりとした性格は、厳しい貴族社会には不向きでした。
危機感が欠如していたため、貧民街でも目をつけられていました。
アンジェラ様はそんなウェンディを、幾度となく救ってきました。
魔法の悪用を目論む貴族からウェンディを遠ざけ、乱暴を働こうとする悪漢を勇ましく倒しました。
「お姉さまったら、ほんとわたしがいないとなんにもできないんだから!」
それが小さい頃のアンジェラ様の口癖でした。
照れ隠しもあったのでしょう。
ウェンディは怪我人がいると見境いなく飛び込んでいきます。
無茶をして危ない目にあったことは数えきれません。
アンジェラ様はそんなウェンディにいつも振り回されていました。
人を治して自分が怪我をする姉に、説教をすることもありました。
「まったく、どちらが姉かわからないわ」
アンジェラ様はよくそうぼやいておられました。
けれどウェンディの傍を離れるようなことは決してありませんでした。
姉の助けになれることを、誇りに思っていたのです。
アンジェラ様の助けが無ければ、ウェンディが万救の乙女と呼ばれることもなかったでしょう。
万救の乙女は、ウェンディ一人の称号ではなかったのです。
ウェンディと、それを支えるアンジェラ様。
ダーリング姉妹、二人が揃うことで得られた称号だったのです。
もちろん周囲の人間はそんなことを知りません。
ウェンディは事あるごとに、自分の活躍は妹あってこそだと言いました。
アンジェラ様の存在を理解してもらおうと、呼びかけました。
けれどそれをまともに受けとったのは、ダーリング夫妻だけでした。
ウェンディを担ぎ上げようとする貴族たちは、身内びいきだろうとして取りあいませんでした。
アンジェラ様がこのことをどう思っていたのかはわかりません。
なんともないように振る舞ってはいました。
わたしはお姉さまを助けるために生まれてきた、と豪語することもありました。
けれど心の底では、悔しく思っていたのではないしょうか。
努力を正しく評価されないことに、姉の影に完全に隠れてしまうことに、やるせなさを感じていたのではないでしょうか。
そうであってほしいと、私は願います。
私はアンジェラ様に、あの頃から、もっと自分のことを考えてほしいと思っていました。
あの事件をきっかけに、アンジェラ様がご自身を顧みることは完全になくなってしまったわけですが、せめてそれ以前は、人並の自尊心があったと、思いたいのです。
だってあんまりじゃないですか。
万救の乙女は、ウェンディは、誰をも救うことができたはずなのに、一番近くにいたアンジェラ様のことだけは、救わなかったんですよ。
今では誰もが、アンジェラ様はウェンディからすべてを奪おうとした、と思っていますが、本当は逆です。
アンジェラ様は、ウェンディになにもかも奪われたのです。
人生も。その心も。
ウェンディは無自覚に、善意で、アンジェラ様の人生をめちゃくちゃにしたのです。
アンジェラ様を殺したのは、妖精の王だけではありません。
アンジェラ様の首を最も長く絞めていたのは、ウェンディでした。