25、奇跡が呼ぶ波紋7
波のように押し寄せる言葉が、頭の内側にぶつかっては砕け、また形を変えて押し寄せる。嬉しい? 誇らしい? それとも――怖い。怖い、が一番大きい。喉の奥に冷たい石が詰まったみたいに言葉が通らない。
息を吸えば胸がきしむ。はっきりした形にならない感情が、心の中で絡まり合い、ほつれかけた糸のように落ち着く場所を見つけられずにいた。私は、たったいままで、“ただの私”だったはずなのに。
『君の遠い祖先の一族の中に、初代国王がいるということだ。君は、その者の血縁者。顔も名前も知らない、遠い、遠い祖先。初代国王の血筋が持つ特別な「境界の波」は、時を超えても一族の中に受け継がれていたのだ。そして、君が、その波を最も強く受け継いでいた。』
その言葉に、私の心臓はさらに重くなった。
知らない、遠い祖先。顔も名前も知らない誰かの、途方もなく古い願いと血筋によって、私はここにいる。自分の人生が、知らないところで、遥か昔の誰かによって決められていたような、そんな理不尽な感覚。
「…私の人生は、何だったんだろう。」
ぽつりと呟いた私の声は、風に消えていった。
まさかこんなにも壮大な、重い理由と結びついているなんて。自分が積み上げてきたと思っていた「水野鈴子」としての人生が、まるでこの世界に来るための準備期間だったと言われているようで、虚しさと、どうしようもない絶望が押し寄せてくる。
ルフェルは、何も言わずに私の肩に乗り、頭を擦りつけてくる。その温かさが、私の心をわずかに温めてくれた。
私の存在は、ただの偶然ではなかった……?
私はただの一人のカメラマン――そう信じていた。失敗して、学んで、また撮って。地味で、時々報われて、たまに泣きたくなる。そういう日々が私だった。自分の選択でここに立って、自分の意志でシャッターを切ってきた。
けれど今、私の中のその“自分”に、別の名札がくっつけられていく。初代国王の血。使命。希望。どれも眩しくて、目が痛い。
偶然じゃない、と言われると、レールの音が耳の奥で鳴った。カン、カン、と等間隔に。どこかで誰かが敷いた線路の上を、私はずっと前から走らされていたんだろうか。私の“選ぶ”は、実は“選ばされていた”のだろうか。反発が、胸の裏で火花を散らす。
仕事に疲れて、朝焼けの駅のホームで、冷えた缶コーヒーを両手で包んで、シャッター音に自分を繋ぎ止めて――そんな記憶が、急に鮮やかに戻る。あの世界の湿った夏、凍るような冬。母の留守電、友だちの未送信メッセージ。私のいた場所は、確かにあって、確かに私を作った。
「選ばれたから」と、簡単に言われても困る。
選ばれたから、って――そんな簡単な言葉で片付けられるほど、私の毎日は軽くなかった。
「……勝手に、決めないでよ……。」
声が震えた。自分でも驚くほど、幼い音だった。驚き。戸惑い。押し付けられたみたいな使命への反発。ぐちゃぐちゃの感情が波打って、胸の奥にぶつかる。
『勝手、とは?』
ナエルが小首をかしげる。無垢な瞳。悪意なんてない。だから余計に痛い。きっと彼女たちにとっては“理”なのだろう。誰かの祈りが、世界の仕組みになっていく。
でも、私は人間だ。驚くし、怖がるし、足がすくむ。安らぎを探していた私は、別の安らぎごと、ぜんぶ奪われたのだと思ってしまう。
「……私だって、好きでここに来たわけじゃない。何もかも、突然で。自分の意思とは関係なく、家族とも、友人とも、住んでいた場所とも、全部引き裂かれて……!」
言いながら、喉が熱くなる。悔しい。情けない。戻れない事実が、現実の形を取って目の前に立つ。
言葉が途切れ唇を噛む。鉄の味。涙がじわ、と盛り上がって、まばたきで溢れる。誰かに助けてほしい、でも、誰も助けてはくれない。そんな孤独な気持ちを、私はこの世界に来てからずっと抱えていた。私は、孤独だったのだ。ここへ来てからずっと。強がって、忙しさで塞いで、でも本当は――怖かった。
そしていま、その孤独の源泉に名前がついた。“世界の理”。なんて大きい。なんて、理不尽。
視界の端で、ルフェルが心配そうにこちらを見上げていた。
「…私に、そんな大きな使命なんて、背負えないよ…。」
力が抜けて、カメラを抱き寄せる。額をひやりとした金具に押し当てる。ひび割れそうな心臓に、重さで蓋をするみたいに。
私はカメラを強く抱きしめ、うずくまった。その瞬間、ルフェルが私の頬にそっと触れた。
『リン……。』
ルフェルの小さな手が、私の涙を拭う。そして、庭守りの妖精たちが、私の周りをきらめく光の粒となって舞い始めた。彼らの小さな体が放つ輝きは、まるで私の心を照らすかのような温かさに満ちていた。その光の中に、私はかすかな、しかし確かな意思を感じた。それは、私を責めるものではなく、ただただ、寄り添ってくれるような優しさだった。
『君が望むなら、ボクはどこまででも一緒に行くし、力になるよ。』
ルフェルの声は風の音に似ている。木の葉を揺らして、熱を少し攫っていく。小さな手が涙の跡をなぞると、痛みが丸くなる。
周りで、エルメルドたち庭守りの妖精が、光の粒になって舞い始めた。エルメルドは深い森の匂いを、ピオラは朝露の甘さを、リィナは陽だまりのぬくもりを、シェルは泉の冷たさを運んでくる。
光に包まれて、私はようやく息を最後まで吐けた。肺の隅に溜まっていた黒い空気が、少しだけ外へ出ていく。ほんの少しだけ呼吸が楽になった。
短い言葉が、胸の真ん中に燈をともす。小さくて、消えそうで、でも確かな火。私は、その微かな熱の在りかを両手で包む。
――この世界のために、何かできるなら。
――私が撮った一枚の写真が、誰かの心を救えるなら。
それは、私が信じてきた写真の意味と同じだ。変わるのは、場所と、求められ方。核心は変わらない。
私は、人の心のいちばん静かなところに、やわらかな灯りを置くためにシャッターを切りたい。ずっと、そう願って生きてきたのだ。
私は、顔を上げた。彼らの瞳には、私への深い哀れみと、それでもなお、私を信じてくれる光が宿っていた。彼らは、私がこの世界に迷い込んだ不幸な存在だと理解しながらも、それでも私に希望を託そうとしている。その想いが、私の心に少しずつ染み渡ってくる。
顔を上げる。視界が明るくなる。まだ不安は消えない。足元は少しぐらつく。けれど、立てる。
エルメルドたちの瞳に、哀れみも、期待も、祈りも、そして私を“ひとりの人間”として見る眼差しもあった。私が迷子であることを認めたうえで、なお差し出される手。
心のどこかが、そっとほどける。
「…ごめんなさい。感情的になって…。正直、気持ちの整理がついていないけど…。」
素直に頭を下げると、ナエルは目を瞬かせ、ピオラは「泣いていいんだよ」と肩のあたりをとん、と叩いた。リィナがそっと私の呼吸に合わせて羽を揺らし、シェルがベンチの足元を冷やして火照りを落ち着ける。
「でも、皆さんの気持ちは、わかりました。この世界の人たちの心に光を届けるために、私ができることがあるなら……やってみたい。――それが、私がこの世界に来た意味なのかもしれない。」
言いながら、自分の声が少しずつ自分のものに戻っていくのを感じる。まだ震えは残る。けれど、その震えは、逃げ出したい震えではなく、歩き出す前の緊張に近い。
写真に宿る「真実」の力。
それはきっと、レナリア様の心を癒すだけじゃない。私自身の迷いも、不安も、撮りながら、少しずつ輪郭を与えてくれるはずだ。光と影を受け止めて、紙の上に「いま」を定着させるみたいに。
「……ありがとう。みんながいてくれて、思い出せた。私、最初に写真を好きになったときの気持ち。誰かのために、喜んでもらうために、心に残る一枚を撮りたいって――だから、この世界の人たちの心に、ちゃんと光を届けたいです。」
まだ胸の内は複雑だ。寂しさもある。あの世界で撮り損ねた朝焼けが、喉の奥に引っかかったままだ。
それでも、ひと筋の光が、はっきりと差し込んでいる。そこに向かって、私は歩ける。
私の言葉に、妖精たちは歓喜するように空中で舞い、光の粒となって私を包み込んだ。薄紫の風が、庭の白い花を撫でる。その光は、まるで私に力を与えてくれるかのように、温かく、そして力強かった。妖精たちが、歓声みたいに羽音を重ね、光の粉をひとしきり散らす。
私はカメラのストラップを握り直す。
――私の選んだ写真の道は、まだ続いている。
――そして今、その道は、この世界と、誰かの心と、確かにつながっている。
妖精たちの光が静かに散っていく。
私の胸の奥に、温かさとざわめきが同時に確かな鼓動が響いた。その鼓動は、これから進むべき道を静かに、しかし確かに示してくれていた。
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